第21話
「聞いているのか」
「え?」
アレクの声で顔を上げると、議場に集まる人たちの視線が私に集まっていた。
その多くは私を慮るものであったけれど、中には侮るようなものも混ざっている。
そういった目は昔から私につきまとうものではあったけれど、ここまであからさまではなかった。
アレクへの譲位も決まり、私の政治的利用価値を計ろうというものが増えたのでしょう。
「まだ本調子ではないなら、休んでいてかまわないぞ」
アレクの言葉に、侮るような目を向けていたものが、気まずげに視線を逸らす。
私がつい先日、瀕死の重傷を負ったばかりだと思い出したのでしょう。
実際には、体調はもうまったく問題はない。
テレサのおかけで。
私はただ、ずっとテレサのことを考えている。
テレサから逃げてしまった、あの夜のことを何度も反芻している。
テレサは、どうしてあんなことをしたのでしょう。
あんなことをわざわざ自分から暴露する必要はなかったはず。
複数の人と口づけをかわす関係、のようなものがあったなんて。
そのことを考えると、私の胸は鉛を飲んだように重くなる。
別にそのことでテレサが汚らわしいとか、触れられるのが嫌になったわけではない。
自分以外がテレサに、しかもその唇に触れたと言うのは許せない。そんな子どもじみた独占欲のようなものはたしかにある。
テレサの身の上に何があったのかも気になる。
どう考えても、真っ当な境遇にあったとは思えない。
総主教猊下の改革で正教会全体の正常化が概ね終わったのは、ほんの数年前のことだ。父王も国内の立て直しに手一杯で、本来口出しの出来ない正教会のことは、猊下の後押しくらいしか出来なかった。
腐敗しきった神殿の中で、テレサのような捨て子と言う社会的な保証を何も持たない美しい少女が、どのような境遇にあったか考えると寒気がする。
だけれど、それ以上に悲しかった。
私はテレサにとって、少しは特別な人間なのだと思っていた。
他人に一切の感情を持たないテレサが、嫌いと言う感情を持つくらいには個人として認識されている。
それなのに、あの時のテレサは、求められるものに応じるだけの他の人と同じように私を扱った。
それが、どうしようもなく悲しかった。
あの夜から、もう三日が経っている。
テレサが最後に残した言葉が、まだ胸に深く突き刺さっていた。
本当に幻滅されてしまったと考えると、怖い。他の人を見るのと同じ目で見られたらと思うと、身がすくむ。
「では、聖女への打診はお前に頼んでいいか?」
「え?」
今度のは、聞いていなかったからではない。
議題は一週間後に迫る建国祭について。
この建国祭で、同時にアレクに王権を譲位する戴冠式が行われる。
五王国の王権は聖剣に象徴される。
そして聖剣は、精霊からもたらされたもの。
だから五王国の戴冠の儀式は、精霊を奉る正教会の神殿で行われる。
そして王冠を授ける精霊の代理人は、通常であれば各国の信徒を束ねる大主教が務める。
だけれど、今のローレタリアには大主教よりも格の高い聖女がいる。
「何だ、また聞いていなかったのか。戴冠の儀式を聖女に務めてもらいたいと言う話しだ」
「それは聞いておりました。しかし、私だけで聖女様に?」
「そうだが」
「正教会への礼儀もありますし、正式な使者を立てた方がよろしいのでは?」
王宮内に使者を立てると言うのも、おかしな話しだけれど、正教会の信徒は王宮にも多い。聖女に礼を欠いたと正教会に伝わり、関係を悪化させるのもよくない。
そもそも、王宮が要請しなくても、正教会の方で聖女を儀式に立てるでしょう。
これは、手続きの問題なのだ。
この場合の使者とは、先触れを出して使節団を組むと言う意味になる。
その使者の代表として、私が選ばれたというのなら理解できるけれど。
それでも、儀典官で問題ないはず。わざわざ私を行かせようとする理由が分からない。
「どうやってだ?」
「何のことです?」
「何だ、気が付いていなかったのか。あの離れには結界が張られていて、お前以外誰も近づけない。俺が行った時も、結界を壊されると思ったのか、追い返されただろう」
そのアレクの言葉に、私の心臓は痛いほど締め付けられて、息すらも忘れてしまいそうだった。
「そ、れは、いつからなのでしょうか」
私が怪我をして戻った後なのであれば、養生のためという可能性もある。
「テレサが離れに移った、その日からだ。近衛から報告が上がっていたが、別段、問題でもないから放置していた」
テレサ。どうして。
そんなこと、私は知らなかった。
貴女にとって、私は何なの。何で私を、私が特別みたいなことをするの。
貴女が私を執着させようとしているのは分かっている。
でも、こんなこと。私が気が付かなければ、意味がないじゃない。
「で、やってくれるか?」
「私は…」
アレクは頼むような言い方をしているけれど、公式の場で発せられた譲位が決まっている王太子の言葉は王命に等しい。
今までの私なら、悩むことすらなかった。
だって、王命に従うのは王女としての義務なのだから。
それなのに、今の私は迷ってしまった。
テレサに会う恐怖が、テレサに向ける執着が、私の中で義務とせめぎあっている。
人の目があれば、王女の衣で心を鎧ってテレサと接することができるけれど、二人きりではただの私でしかいられない。いたくない。
でも今、素の自分でテレサに会うのは、あまりにも怖い。
嫌われるだけなら、まだいい。
本当に怖いのは、あの美しい瞳に私を映してくれなくなること。
テレサにどうでもいい人間として扱われるのだけは、耐えられない。
分かっている。
いつもでも逃げてはいられないと。
どうせ私はテレサに会わないでいることにも、耐えられないのだから。
他愛無いおしゃべりをしたい。
一緒に歩きたい。
手をつなぎたい。
抱きしめたい。
抱きしめられたい。
肌に触れたい。
あの唇に、私だけが触れたい。
本当は片時だって離れたくなんて、ない。
きっと、こんな気持ちはお友だちに向けるものではない。
でも、私はその気持ちに名前をつけられない。
だって名前をつけてしまったら、歯止めがきかなくなってしまうから。
「かしこまりました。私から聖女様にお伝えいたします」
だって私は、王女の仮面を捨てられないのだから。
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