テレサ 4

 わたしは体力はそこそこある方だけど、運動神経はあまり良くない。

 だから、内魔力で強化しても、あまり早く走ることができないのがもどかしかった。

 すぐにジョルジオス王子に抜かれて、殿下はわたしを先導するように走る。

 後ろからは近衛がついてきているのが分かる。


 飛行船が着陸した練兵場にたどり着くと、近衛騎士が飛行船を囲んでいた。

 更にその周りには人だかりができていて、邪魔くさく感じたわたしは結界で押し退けてやろうかと思ったけど、それより早く殿下に気が付いた人たちが慌てて道を開ける。

 わたしは殿下の先導と、近衛の壁によって、邪魔されずに飛行船にたどり着いた。


 飛行船の中に続くタラップには、アレクシス王子が立っていた。

 すぐ傍には、ティティスが浮いている。


「来たか、テレサ」


 悠然とした態度のアレクシス王子に、苛立ちが募る。

 一緒に旅をして、その人となりは理解しているけども、妹の危地でもその態度はどうなの。

 いえ、違う。わたしが他人の兄妹関係で腹を立てるわけがない。相手があなただから、そう感じてしまったのだろうか。


「どこですか」


 苛立ちを抑えて短く聞くと、アレクシス王子はついて来いと言わんばかりに身を翻す。

 落ち着いた足取りのその背中を蹴とばしてやりたいと思いながら、黙って背中を追う。

 広い飛行船の中をしばらく歩き、奥まった一室の前で立ち止まる。


 無造作に扉を開けるアレクシス王子に続いて、部屋に入る。

 途端に鼻につく、濃い薬品と血の匂い。

 貴賓室なのだろう、立派な部屋に置かれた寝台の上に、あなたがいた。


「姉上っ」


 思わずと言った感じで、ジョルジオス王子が叫ぶ。

 それくらい、ひどい有様だった。

 擦過傷、裂傷、火傷。

 生きているのが不思議なほどの夥しい傷に、左腕は肘から先が失われている。

 欠損した腕は、枕元に置かれていた。

 血の気の引いた青白い顔で、呻きもせずに横たわる姿は、すでに息をしていないのではないかのように見える。


「聖女様…」


 寝台の傍らにいた年かさの修道女が、顔を上げてわたしを見る。

 その顔は憔悴の色が濃い。

 この部屋に張られた結界を、長時間維持したためだろう。


「申し訳ありません。お命を維持するのが精いっぱいでした」


 修道女の言葉に、わたしは頷く。

 あなたがまるで死んでいるかのように見えるのは、停滞の結界によって、生命活動を最低限まで抑えて、命を繋いでいるから。切り離された腕が腐敗していないのも、結界の効果だ。

 さすがに国付きの司祭だけあって、適切な判断。

 この状態のあなたに治癒の法術を使用していたら、間違いなく死んでいた。

 法術による肉体の治癒は、被術者の生命力と魔力を使用した復元術式だ。重傷を負った人に使用すると、怪我は治っても衰弱死したということになりかねない。


「いえ、適切な処置でした。後は引き継ぎます」


 わたしは寝台に近づくと、あなたの残された右手を両手で包むように握る。

 約束、ぜんぜん守れていないじゃない。

 許さない。何でもするって言ったことを後悔するくらい、意地悪をしてやろう。だから、絶対に死なせない。


 まずは治療するための下準備。

 恒常的に励起している四つの法術のうち二つに術式を流し、結界を展開する。

 大気中の魔力を取り込んで生命力に転換する『揺籃』と、悪素を浄化する『聖域』を同時に励起。


「高位結界の同時二重展開…」


 修道女が近くで感嘆の声を漏らすが、わたしは四つの法術を励起状態で維持できる。それは、同時に四つの法術を展開できるいうことでもある。

 でも、あなたの治療にはその四つを使い切る必要がある。


「アレクシス殿下。短剣をお貸しください」


 無言で腰に帯びた短剣の柄を差し出してくる。

 受け取ったわたしは、腕に刃を当てて軽く引く。

 鋭い痛みとともに、裂けた皮膚からぷつぷつと血が湧く。

 短剣を返したわたしは、寝台の枕元に腰かけて、傷口をあなたの口元に近づけて血を垂らす。

 薄く開いた唇を伝って、血があなたの口の中に入る。


 血の気を失った美しい顔に、唇だけが艶めかしく赤く染まって、それが死化粧のようで不吉で、心臓が痛みを覚えた気がした。

 それを気のせいだと割り切って、さらに励起法術の一つに術式を流す。

 『均衡』。

 体液を媒介に、わたしとあなたの生命力を同一にする法術。

 わたしの命を使って、あなたの傷を治す。


「治癒術式を発動したら、停滞を解除してください」


 言いながら、わたしは枕元のあなたの左腕を手に取る。

 欠損した人の腕なんて普通なら気色悪いだろうけど、あなたの一部だと思うと奇妙な愛着を覚える。

 このまま、繋げずに永久に保存しておいてもいい、なんて頭をよぎった。

 ほんの少しだけだけど。


 左腕を切断面の近くに置いて、最後の励起法術を使って治癒術式を発動する。

 間髪いれずに停滞の結界が解除されて、瞬間、『均衡』によってわたしの生命力が一気にあなたに流れ込む。

 激しい虚脱感、嘔吐感、悪寒。更には四つの法術の同時展開により、魔力の急速な消耗が引き起こす頭痛。

 だけど、集中力を切らすわけにはいかない。

 ここで術式が途絶えたら、あなたの命が失われる。


 治癒術式がゆっくりとあなたの身体を治していく。

 傷を塞ぎ、皮膚を再生する。

 だけど、生命力と魔力の消耗が大きすぎる。

 わたしの頭の常に醒めた部分が、このままでは共倒れになると判断する。

 ここで術式を中断すれば、わたしは生き、あなたは死ぬ。


 だから、わたしはわたしの命を使うことにした。

 『聖餐』。

 人間の命と魔力を対価に、被術者の肉体を再構成する奇跡に最も近い法術。残りの魔力が乏しいこの状態で、瀕死のあなたを再生するのなら、わたしの命の全てを差し出す必要がある。

 この術式で対価を差し出すのは、術者である必要はない。

 だけど、わたし以外の魔力を使うなら、よほどわたしと親和性の高い魔力でもない限り、調整のための長時間の儀式が必要で、そんな時間はない。

 それに、わたし以外の命があなたに混ざるのは何だか気持ちが悪い。

 わたしが死ぬことで世界に何が起こるか分からないけど、知ったことではない。


 その術式を励起しようとした瞬間、わたしの肩に小さな手が置かれた。

 目線だけで振り向くと、ティティスだった。


「僕の魔力と生命力を使え」


 ティティスの言葉とともに、掌から生命力と魔力が奔流のように流れ込む。

 生命力と魔力を自在に譲渡する、『均衡』の上位術式『流転』。

 供給量を制御しなければいけない『流転』はこの状況では使い難く、発動させてしまえば自動で配分される『均衡』を選んだけど、わたしも使えないわけではない。

 それでも、聖女のわたしですら単純接触で発動させることなんてできない、超高位の法術・・だ。


 莫大な魔力と生命力の供給を受けて、治療術式が安定する。

 欠損した腕が繋がり、もとの美しさを取り戻していくあなた。


 わたしはため息をつきたい気分で、残念に思う。

 命を使って助けられたと知ったら、とてもあなたは傷つくと思ったのに。

 それは約束を破ったあなたに対する、最高の意地悪だったのに。


 仕方ないから、治ったあなたに精一杯の意地悪をすることにしよう。

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