第18話
私は飛行船の甲板の舳先に立って、ぼんやりと向かう先を見ていた。
最大船速を出している甲板は、強風で人が立っていられるような場所ではないけれど、宝具、天の羽衣の力は重力制御。私自身の真下に向かう力を強めれば、風に飛ばされることもない。
わざわざ、こんなところにいるのは、人に会いたい気分ではなかったから。
今、考えるべきなのは、魔獣との戦いであり、その後の被害に対する対処。
そんなことは分かっているのに、アレクに言われた言葉がずっと頭から離れない。
私が目を背けているもの。
私が本当にほしいもの。
テレサとお友だちになりたい。
その気持ちは変わらないどころか、日に日に大きくなっていく。
もう私には、テレサとただお友だちになりたいのか、彼女を独占したいのか分からない。
もし私が結婚するとして、テレサと素直に離れられるだろうか。
たった数日、会う時間が減っただけで、耐えきれないのに。
想像するだけで、悲しくなる。
そんなことばかりを考えてしまう。
せめて、ここにテレサがいてくれれば、良かったのに。
状況的には聖女が動いてもおかしくない事態だけれど、アレクからテレサは動かせないと言われている。
出征すると告げたときの、テレサとのやり取りを思い出してしまう。
喧嘩みたいになってしまったけれど、最後の抱擁の印象が強すぎて、頭に血がのぼる。
私から抱きついたことはあっても、テレサに抱きしめられたのは初めてだった。
柔らかなお腹に顔を埋めて、ほっそりとした腕に頭を抱きしめられる、あのほっとするような、切なくなるような不思議な心地よさ。
アレクに言われたことを考えると、テレサのところに戻るのがいろいろと気まずい。
でも、早く終わらせてテレサのところに戻りたい。
「姫様ー!」
強風のなか聞こえるように叫ぶ声に振り向くと、近衛のサリア隊長が船内に続く階段から顔だけ出していた。
私はよろめきもせずに甲板を渡って、階段を下りる。
「サリア隊長、どうしましたか?」
「はい。船長より作戦域に四半刻で到着予定とのことです」
「分かりました。予定通り二隻は避難住民に物資救援後、工兵部隊を街に向けて進発させてください。ただし、戦闘が終わるまではけして街には入らないこと。本船は作戦域に到着後、他の二隻と合流して避難住民の警備に当たってください」
「了解いたしました。姫様に精霊のご加護を」
サリア隊長が私を見る目には、畏敬しかない。
私と言う人間を知っていて、私の能力を理解していれば、そんな信頼はできるはずがない。テレサだけが、それを理解した言葉を私にくれる。
それでも私は、王女としての微笑みを浮かべて、それに応える。
「ありがとう。王家に生まれたものの務めを果たします」
正直なところ、この戦いに向ける意識は、王族の義務よりもテレサとの約束に比重が傾いていた。
王族の義務としては、この戦いで私が勝つかどうかは大して意味はない。
勝てればそれでいいし、負けても王家の面目は保たれる。
負けたとしても、私は必ず魔獣の足は止める。何があろうともやり遂げる。そうすれば、あとは騎士団だけでも対処可能になる。
でもテレサとの約束は違う。
私は敗北どころか、怪我一つ負うことすら許されない。
不思議とそれは私を緊張させるものではなくて、どこか温かく私の心を包み込んでいた。
「では、サリア隊長。私の降下確認後の指揮をお任せします」
「は。承知いたしました」
頭を下げるサリア隊長を後目に、私は甲板に戻る。
再び舳先に立つと、今度は前方に目を凝らした。
やがて、平原に集まるたくさんの人々と、更にその先に煙を上げる街が小さく見えてきた。
騎士たちが避難民と街の間に防衛線をはっている。避難を優先したのでしょう、見る限り騎士団の被害はあまりないように見える。
私は少し安心した。
これなら私が破れても、それなりに弱らせれば後はこの場の騎士団だけで何とかなりそうだ。
随行する二隻の飛行船が高度を落として、平原へと降下を開始する。
二隻には工兵、衛生兵とともに救援物資が積み込まれいて、魔獣に襲われて街から避難した人々の救助に当たる。
私の乗る船は、そのまま街へと近づく。
近づくほどに、街の惨状が見えてきた。
多くの建物が倒壊し、いたるところで火の手が上がっている。
そして、街の中を闊歩する巨大な獣。
まだ倒壊していない建物と比しても、倍近い体高。
全体としては狼に近い姿だけれど、首と四つ足が長く、毛皮の代わりに漆黒の鱗が全身を覆っている。
魔獣バルジラフ。
その威容に、さすがに身体に震えがくる。
本来であれば第一種に分類される魔獣は、人間が対抗できる存在ではない。
台風や地揺れといった自然災害と変わらない厄災。
あれと戦えるのは、英雄と呼ばれる人種だけでしょう。
宝具という借り物の力で戦う私は、そういう本物とは違う。だから、ちっぽけな人間としての私の本能が、全力でこの場から逃げ出せと叫ぶ。
つくづく、私は凡人でしかない。
ローレタリアに伝わる三つの宝具。
擬聖剣とも呼ばれる、聖剣の権能を模して造られた三位一体の宝具。
聖剣とは違い祖王の血族ではなくても使えるけれど、王家並みの莫大な魔力がなければまともに機能しない欠陥品とも言える。
しかも、三つ揃ってもその力は明らかに聖剣に劣っている。
聖剣を二方面で運用したい、極めて限定的な状況でしか使い物にならず、ある意味、王家に生まれながら聖剣を使えない私のためにあるような宝具。
舟が減速しながら、魔獣の真上を通る。
真上と言っても、魔獣から攻撃を受けない程度には上空。
私は舳先を蹴って、飛び下りた。
瞬間、真上を向いた魔獣の真紅の目と、たしかに目が合った。
背筋に走る悪寒。
咄嗟に精緻な文様の刻まれた金の腕輪、蓮の聖盾を嵌めた左手を突き出す。
魔獣の開いた口に赤光が宿るのと、突き出した腕の先に光の盾が生まれるのは同時だった。
直後、魔獣から放たれた火線が盾に当たって弾ける。
建造物の石材をも融かす高熱に、直撃は防いでも余熱だけで肌が焼けるような熱さを感じる。
蓮の聖盾の発動に、魔力を消耗していく。
蓮の聖盾は、宝具の中でも最も私と相性が悪い。
本来であれば最大で八枚の光の盾を形成、自在に操り、しかも一度形成してしまえば維持に魔力を消耗しない強力な宝具。
ですが、この宝具は心魔力の適性に、その性能が依存している。
私では腕輪のごく近距離に一枚だけ、しかも形成を維持するためには常に魔力を消耗し続けなければいけないし、腕輪自体の動きに追随させることでしか動かすことができない。
羽根の軽さで落下する私を、頭上に迫ったところで仕留めきれないと判断したのか、魔獣は火線を吐いたまま後ろに飛び退る。
同時に私は羽衣の重量制御を切り、自然落下の速度で火線から抜け出す。
石畳に着地するよりも早く、腰の光輝の剣を抜き放ち、魔力を込める。
光輝の剣は儀典用の小剣の見た目をしているが、魔力を込めると光の刃を形成する。その刃は魔力の量を調整することで、伸縮自在。
石畳に着地すると同時に振りぬいた刃は、遥か前方の魔獣の頭に届かんばかりに伸びる。
光の刃の長さは伸縮自在とは言え、伸ばすほどに幾何数的に消費する魔力が増える。これほどの長大な光刃の形成は、私の魔力量でも三回が限界。
巨体とは思えない凄まじい反応速度で、魔獣は身をかわすが、わずかに遅い。
光の刃の切っ先が、片目を深く切り裂いていた。
「Gyaaaaaaaaaaaaaa!」
黒い血しぶきを上げながら、魔獣が凄まじい咆哮を放つ。
残った目が、憎悪を宿して私を睨めつける。
腕輪の恒常的な精神防護の加護がなければ、すくみ上っていたかもしれない。
それでも、本来、私なんかが太刀打ちできない存在と相対する恐怖は消えない。
死闘は、始まったばかりだった。
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