第17話

 アレクとの打合せを行い、準備を整えると、かなり遅い時間になっていた。

 もう日暮れに近い。

 足早に離れの家に戻った私は、緊張する手で扉を開ける。

 居間のソファで書物を読んでいたテレサが、顔を上げてこちらを見てくる。


「おかえりなさい、姫さま」


 私の恰好を見たテレサの目がわずかに細まり、声も少し硬い。

 近衛の制服の上に羽織った、騎士の上衣サーコートにも似た、半透明の袖なしの上着。左腕に嵌めた精緻な文様の刻まれた黄金の腕輪。腰の剣帯には儀典用の意匠が凝らされた小剣。

 即ち、天の羽衣、蓮の聖盾、光輝の剣。

 ローレタリア王家三宝具の完全武装。


「何かありましたか?」

「はい。魔獣災害です。すぐに出なければなりません」


 家の中には入らず、私は早口で伝える。

 あまり、テレサに作戦に関して詮索されたくなかった。


「十日ほど戻れないかもしれませんので」

「そうですか」


 いつもの興味なさげな反応が、悲しいけれど、今はありがたい。


「それでは、戻りましたらまた」

「待ってください」


 踵を返しかけた私は、肩をびくりと震わせて足を止める。


「あの、急いでいますので」

「意図的に説明を省きましたね」


 被せ気味に言われて、図星だった私は唇をかむ。


「何のことでしょうか」

「魔獣は何ですか」


 私の誤魔化しは一顧だにされない。


「…バルジラフです」

「第一種魔獣」


 テレサがため息をつく。


「魔王領でも何度か見かけましたね。交戦することは避けましたが。それで、姫さまが出てどうしようと言うのです?」

「軍を編成していては、被害が拡大してしまいます。飛行船による急襲作戦を実施します」


 ここ百年ほどの魔導技術の発展には目を見張る。

 魔王に対して比較的早期対処に成功していて、人類圏への被害が少なかったことが大きく影響していると思う。


 魔導灯、上下水道、通信技術。日進月歩で人々の生活水準は上がっている。

 その中で、最も発展した技術の結晶の一つが飛行船。

 地上を魔獣が闊歩するこの大陸で、陸上の流通はどうしても高い危険を伴う。海路も発展しているけれど、港を経由する必要があるため、制限が多い。


 空にも魔獣がいないわけではないけれど、遭遇する確率は低いし、大型弩砲バリスタで撃退できないほどの大型は翼類魔獣では数少ない。

 竜の支配域である魔王領上空を除けば、空は最も安全な流通経路と言える。


「すぐに稼働できる飛行船は何隻あるのですか」

「…三隻です」


 ローレタリアが保有する軍用の飛行船は、乗船人数、百人のナターリア級が五隻。

 少ないけれど、船体は造れても動力は千年前の魔導文明時代のものを発掘するしかないので、量産ができないから仕方がない。

 飛行船を動かす人員や騎馬を除いて、中隊規模五十人の騎士を一隻で運搬することができる。


 今回の作戦に、王都に停留している三隻のナターリア級飛行船全てが投入されていた。

 地上を行軍すれば一週間以上かかる北州までを、わずか数刻で移動できるのは大きいけれど、人数的にはほとんど意味をなさない。

 

「それで運べる騎士はせいぜいが二百人ですね。第一種魔獣に対して、その数の増援は意味がありません」


 北州には魔王領に近い分、騎士団の多くが配備されていて、テレサの言う通りそこに百人程度の増援を送っても焼け石に水。

 そもそも、巨体や広範囲の破壊能力を有する第一種魔獣に対して、大軍を擁しての作戦は効果が薄く、無駄に被害を広げてしまうだけ。


「搭載しているのは救援物資が大半です」

「でしょうね」


 ソファから立ち上がったテレサが、触れそうな距離まで近づいてくる。


「姫さまが、一人で戦うおつもりですね」


 気が付かれたくないことに、気付かれてしまった。


「それが、最善の作戦です」

「いいえ。アレクシス殿下に聖剣を振るっていただくのが最善です」


 そう、テレサが私の心配なんてするはずがない。

 テレサは常になすべき人がなすべきことをなすことを良しとする。

 でも私はテレサにまで価値のない人間だなんて、思われたくはない。

 分かっている。テレサは人の価値なんて値付けはしないし、比べたりもしない。これは、ただの私の意地だ。


「魔王討伐時に聖剣の力が大きく減じているのはご存知でしょう。王太子に軽々と命の危険がある戦いなどさせられるものではありません。あの旅が特別だったのです」

「何千人という死者が出るかもしれないことが軽いのですか」

「はい。王太子の命に比べれば。王太子が、殊に英雄であるアレクが死ねば国が乱れます。国が乱れれば、魔獣被害の何倍もの人が不幸になります」

「だから、姫さまが戦うと。本来であれば見過ごすしかなかった魔獣災害に、王族の一人が命を懸けたという面目作りのためだけに」


 その通り。

 例え代用品でしかなくても、その誇りだけで、私は生きてきたのだ。


 私はまっすぐにテレサを見返す。

 珍しく、テレサの方が目を逸らした。

 どこか不満そうな顔で、ため息をつく。


「二度と嫌いと言わなければ、行かないでくれますか」

「え…」


 テレサの言葉が理解できなかった私の態度を、どう解釈したのか、テレサはまたため息をつく。


「足りませんか?友だちになると言えばいいですか」

「何を。何を言っているのですか」

「駄目ですか?」


 分からない。

 テレサがどうしてこんなことを言うのかが分からない。

 だって、これでは私に危険なことをさせたくないだけみたい。


 そして、なんてひどい言葉なんだろう。

 それでも、私の心はその言葉に揺れてしまう。

 それが手に入るなら、誇りも何もかも投げ捨ててもかまわないと思う私がいる。


 でも、これは違う。

 これでは、貴女を手に入れることはできない。

 私はただ、全てを失うだけだ。

 悔しくて、自然と涙が滲む。

 ですけれど、ここで泣くのは惨めすぎる。

 何より悔しいのは、テレサにこんなことを言わせた私の不甲斐なさ。


「どうしてそんなことを言うのですか、テレサ」


 物憂げなテレサの目が、私を捉える。


「わたしは付いて行けないのですよ」

「存じております」

「姫さま、旅の間に何度死にかけたか分かっているのですか」

「それ、は…」


 私の能力は他の三人より数段劣る上に、テレサやティティスに攻撃が向かないようにする役割的に最も熾烈な攻撃にさらされていた。

 宝具の加護があってすら、テレサがいなければ死んでいたような重傷を負ったことも、一度や二度ではない。

 

「わたしがその気になれば、姫さまを無理やりここに閉じ込めることもできるのですよ」


 その、昏い目は、それが軽口や冗談ではないことを如実に表していた。

 本能的に、内魔力による身体強化を全開に、宝具の力すら使って全力で飛び退く。


 そして、何もない空間に思い切り背中をぶつけて、息が止まる。

 そのまま、私は空中に縫い留められる。


 二枚の結界を狭い間隔で展開することにより発生する斥力で動きを封じる高等法術。

 魔力の起こりから術への移行が恐ろしく早く、静か。

 これが、テレサがその魔力の大きさ以上に恐ろしいところだ。


 身動きも取れない私にゆっくりと近づいてきたテレサが、結界越しに私の顔に指先を伸ばす。

 強い力で前後から圧迫された私は、呼吸もままならない。


「テレ、サ」

「このまま、永久に封じ込めておこうかしら」


 どうして、そんな昏い笑みを浮かべるの。

 まるで、不安を誤魔化そうとしているみたい。


「そんな、こと、アレクが、許しません」

「アレクシス殿下が?こんなことであの人は、私と敵対したりはしませんよ。そういうふうになっているんです」

「お願い、テレサ、こんなふうに、守られるのは、惨めです」


 そう言った瞬間、抑えつける力が消えて、私は地面に膝をついた。

 大きく息を吸って、呼吸を落ち着ける。


「どうしてわたしが、姫さまの誇りに斟酌しないといけないのですか」


 頭の上から、テレサの静かな声が降ってくる。

 今しがた、一国の王女に暴行とも言えることをしたとは思えない平静さ。

 でも、どこかいじけているように聞こえたのは、私の気のせいだろうか。


 私は膝立ちのまま、目の前のテレサの腰を抱きしめる。


「ちょっと、姫さま。どうしてそういうことをするのですか」

「約束、しますから」

「…何の話しですか?」

「けして、怪我などせずに戻ってくると、約束します」


 テレサが黙り込む。

 的外れだったら、とても恥ずかしいけれど、言葉にしてみればそれしかないと、すとんと心に落ちた。


「…約束を破ったら、どうするのですか」

「何でもします!」


 再び沈黙したテレサの、静かな呼吸がお腹の緩やかな起伏で伝わる。

 しばらくして、テレサの体から力が抜けたのが分かった。逆にそれで、今までテレサも体が強張っていたのだと気が付く。

 そっと、頭の上に置かれた手が、軽く髪を撫でた感触が伝わってきた。


「はぁ、もういいです」


 呆れたようなテレサの言葉は、いつもの調子だった。

 抱擁を解いて、顔を上げようとすると、逆に頭を抱き返された。

 あまりの不意打ちに、頭の中が真っ白になる。


「約束、破ったら許しませんよ」

「は、はい」


 そう頷く以外、私にできることは何もなかった。

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