第16話
「で、テレサと一緒に暮らしたいから、離れに移りたい、と」
執務机に書類の束を放り投げて、アレクが投げやりに言う。
自分が無理を言っている自覚があるからか、アレクの声がちょっと怖く感じてしまう。
「駄目、かしら」
「お前があの離れに移ること自体は、大した問題はない」
そういう割に、声が固い。
こういう声の時のアレクは、大概いやなことを言うと経験で知っている。
「女の王族はお前だけで、女の近衛はお前専用みたいなものだから、警備体制もそう変える必要はないしな」
「それなら」
「だが、あまりテレサに入れ込むな、と言ったはずだぞ」
「別に入れ込んでなんて…」
「友人でいたいだけなら、一緒に住む必要はないだろう」
とても正論だけれど、自分でもよく分かっていないことを聞かれても答えようがない。
私が黙っていると、アレクは放り投げた書類を、指先で何度か叩いた。
心なしか、少し苛立っているようにも見える。
アレクが感情的になることなんて、ほとんど見たことがないので、意外に思った。
「お前の結婚相手は、俺が陛下から一任されている」
「知っている、けど?」
いま、どうしてそんな話をするのだろう。
そして、どうして私は結婚の話を持ち出されて、胸に痛みを感じているのだろう。
「正直なところ、お前に任せていいと思っている」
言っている意味が分からなくて、首を傾げた。
テレサに言った通り、私には他の五王国の王家に嫁がせる価値はない。
そうなると、国外の有力貴族か、国内の政治バランスを保つために嫁がせるしかない。
私も十九歳。貴族の令嬢としては、少し婚期を逃しているくらいだ。明日にでも結婚相手が決められてもおかしくはない。
私がテレサと一緒にいられる時間は、そんなに長くはない。
だからこそ、私はテレサとの関係を強引にでも進めたかった。
「どういうこと?」
「魔王討伐に参加したことで、お前の価値が上がり過ぎた」
「私に価値なんて…」
「お前の自己評価は知らん。ともかく、国外の半端な貴族に嫁がせれば、民が反発するうえに、その国の王家からやっかいな姫を送り込むなと関係悪化の原因になりかねん。かと言って、国内の有力貴族に嫁がせるには、影響が大きすぎる。どうしたって、『魔王を倒した姫』を嫁がせた相手には、特別な意味があると思われるからな」
そう、なのかな。
魔王討伐の一員と言っても、他の三人とは違って、私だけは特別な存在ではない。
聖剣の担い手たる勇者。魔王を封印する聖女。数百年を閲する伝説の魔女。
私がそこに参加していたのは、ローレタリア王家の三宝具が使えたから。それがなければ、騎士としての私はせいぜいが近衛騎士の端っこに引っかかる程度でしかない。
旅の間の私の役割も、主に聖女と魔女の護衛だった。
「政治的な話しだけをするなら、お前には結婚してもらわないのが一番いい」
王女としての私の価値は、ないどころか負債にまで落ちたらしい。
別に結婚願望があるわけではないけれど、それが王女としての価値だと信じて生きてきた私には、乾いた笑いしか出ない。
ああ、でも、気が付いてしまった。
結婚しなければ、ずっとテレサと一緒にいられる道があるかもしれない。
王女として育てられた私と、テレサと一緒にいたい私で、心が二つに分かれて感情がぐちゃぐちゃになる。
「次点で、下級貴族か騎士あたりと恋愛結婚してくれることだな」
「はい?」
「魔王を倒した姫が大恋愛の末、身分違いの相手と結婚。夢がある話だし、民はそういう物語が大好きだろ」
「そんな相手、いないし」
「だからさ。結婚するつもりがあるなら、そういう相手ができた時のために身綺麗にしておけって話だよ」
「なに?本当に意味が分からないんだけれど」
私が眉をしかめると、アレクは盛大なため息を返してきた。
「おかしな噂が立つことは避けろ、ってことだ」
「おかしな噂って?」
「王女が聖女を囲っている、なんて十分な醜聞だろ?」
何を言われたのか、頭が理解を拒んだ。
囲う?愛人ってこと?
誰が?誰を?
私が、テレサを!
「私たち女同士だよ!?」
「だから?」
思わず叫んだ私への、アレクの返答はにべもなかった。
「女を侍らす貴族夫人などいくらでもいるぞ?とかく、貴族階級は性的に倒錯していると見られがちだ。事実がどうあれ、そう思われる行動自体が身を危うくする」
「…たしかに、私はテレサに執着しすぎかもしれないけれど、そんなふうに言われるほど?」
「お前、完璧な王女を演じすぎなんだよ」
「どういうこと?」
「悪人が小さな善行をすれば美談に見える。反対に善人が小さな悪事をなせば、人はこぞってそれを叩く。騙された、と思ってな。そういうとき人はいくらでも残酷になるぞ」
分かるけど。
テレサがそういう目で見られるのは、我慢がならない。
「誰に対しても等しく品行方正を通していたお前が、テレサだけは特別扱いしている。そこに意味を見出そうとするのは、当たり前のことだ」
「私はやましいことなんて、していない。お友だちがほしいのが、そんなに駄目なの?」
「王族が誰かを贔屓すれば、そこに政治的な力学が発生する。それを理解していたから、お前は誰も特別扱いしなかったのだろう」
「私はアレクじゃない。私が誰を贔屓したって、権力なんて生まれない」
「事実がどうでも関係ない。人がどう思うか、という話だ」
私は唇をかむ。
「だったら。どうして止めなかったの。どうして今さらそんなこと」
「勘違いするなよ」
私の言葉を、アレクが遮った。
「俺はテレサに深入りするなと言ったが、どうするかはお前は決めればいい」
「じゃあ、今の話しはなんだったの」
「お前が目を背けていることを、教えてやっただけだ。誰だって、全てを手に入れることはできない。自分が一番ほしいものは何なのか、よく考えろ」
「私は…」
アレクはなすべきこととは言わなかった。
義務ではなく、願望を見定めろと。
王女として正しくあることと、テレサとお友だちになることは両立しないと暗に言っているのか。
私が求めていることは…
沈黙している私を、アレクは何も言わずに黙って見ている。
そして、私が答えを出すよりも早く、扉が激しく叩かれた。
王子の部屋のノックとしては、激しすぎる。緊急の事態だとすぐに分かった。
「失礼します!…これは王女殿下」
部屋に入ってきた近衛騎士が、私の姿をみとめて視線が彷徨う。
私の前で報告するべきか、迷ったのでしょう。
「構わない。報告しろ」
私が退出を申し出るよりも早く、アレクが先を促す。
「は。北州エルフィン伯爵領から、緊急魔導伝書による救援要請です。第一種牙類魔獣バルジラフの襲撃を受けているとのことです」
その報告に、私とアレクの間に緊張が走る。
第一種に分類される魔獣とは、単体で都市を壊滅しうる主に超大型の魔獣のこと。
個体数が極端に少なく、北の魔王領以外で見ることはほとんどない。
軍隊で討伐しようとするなら、万人規模の部隊を編成をする必要がある。
その規模の部隊を編成して、北州まで遠征させるなら、到着までに甚大な被害が出ることになるのは確実でしょう。
そもそも、機動力と大規模破壊力を兼ね備えた大型魔獣と軍隊は、相性が悪すぎる。万の軍隊で討伐できるというのは、その大半が戦死するという前提であって、現実的な対処法とは言えない。
基本的な対処法は、黙って過ぎ去るのを待つ、になる。
被害を抑えて討伐するための対応は限られている。
私とアレクの目が合った。
考えていることは同じ、というか私が思いつく程度のことは当然アレクも想定している。
「お前に動いてもらうことになりそうだ」
アレクの言葉に、私は無言で頷いた。
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