第14話

 きちんと整えられていた台所で淹れたお茶を持って居間に戻ると、ソファーに腰かけたテレサは、涙こそ流していないものの、まだどこかぼんやりとしていた。

 珍しいその顔を見つめながら、テレサの前のテーブルにお茶を置いて、隣に腰を下ろす。


「済みません。姫さまにお茶を淹れさせてしまって」

「いいの。今さら、そんなこと気にしないでください」


 旅の間は炊事も当番制だったのだから、本当に今さら。

 騎士団の軍事訓練に参加している私もアレクも、野営に必要なことは一通りこなせる。

 ローレタリアの王子は騎士訓練が必須だけれど、王女の場合はそんなことはなく、私は母の血筋なのか体を動かすのが好きなだけ。


 テレサは湯気の立つカップに、息を吹きかけながらちびちびと口をつける。

 ふうふうするの可愛いなぁ。

 これが見たくて、わざと熱めに淹れたまである。


「懐かしい、って何ですか」

「え?」


 テレサの横顔に夢中だった私は、咄嗟に意味が分からなかった。


「先ほど、そう言っていたではないですか」

「ああ。小さいときは、よく母とここで過ごしたのです」


 テレサは不思議そうに首を傾げる。

 私は苦笑いを浮かべる。たしかに、王女が暮らす場所としては、ここは意外かもしれない。


「私は、その、出来損ないでしたので。アレクと比べられたり、お勉強が出来なくて辛くなると、母に泣きついてここに逃げ込んでいたのです」


 冗談めかして私は言ったけれども、私を見るテレサは欠片も笑ってくれなかった。

 私の作った笑顔も引きつってしまう。

 気まずくて、お茶を飲んで誤魔化す。


「出来損ないとは、どういう意味ですか」

「えー、言わせないでください」


 誤魔化すような笑いは、テレサの見透かすような目を前にすぐに引っ込んだ。

 自分の劣等感を言葉にするのは、勇気がいる。

 でも、私は自分をテレサに知ってほしい。それなのに、言葉にすることから逃げて、分かってくれることを期待するのはずるかった。

 私がここにテレサを連れてきたのは、これを話すためだったけれども、テレサから切り出されてしまったので、咄嗟に誤魔化してしまった。


「…私は王位継承権を持っておりません」


 それが、と言わんばかりのテレサの顔。

 王位継承権やその順位は、貴族でもないと知ることはないので、おかしなことではない。そして、王位継承権を持っていない、その意味も。


「テレサには話したことはありませんが、そもそもアレクが今回の聖剣の担い手に選ばれたことがおかしいと思いませんか」

「そうですね。他国の勇者は第三以下の王子が多い感じでしたか」


 そう、聖剣の継承は別に一時代に一人などという制限があるわけではない。

 資格のあるものであれば、何人でも継承するすることができる。


「はい。王太子を死地に向かわせる国はありません。ローレタリアであれば、本来であれば私が聖剣の担い手になるべきでした」

「ですが、姫さまが魔王討伐に参加されているのに、聖剣の担い手ではなかった」

「その理由は、私が王位継承権を持っていないことと同じです。私は王権レガリアの継承、つまり聖剣の担い手にはなれませんでした」


 私はそこまで言って、小さくため息をつく。

 言葉に出すと、今でも胸が痛む。

 私が触れても、聖剣が何の反応も示さなかったときの、絶望と羞恥。


「それは、魔力形質の障害が原因ですか」

「おそらくは。王権レガリアを継承できなかった時点で、私は王家を除籍されてもおかしくありませんでした」


 そうならなかったのは、王家直系の子どもが少なくて、惜しまれたからに過ぎない。

 あとは、単純に父の温情でしかない。


「私の王女としての価値は、あの瞬間に限りなく無になりました。王女の一番の仕事は、他の五王国の王家に嫁いで祖王の血を絶やさないことです。ですが、生まれる子に魔力障害を引き継いでしまうかもしれない女なんて、血筋に入れようなんて思う王家はありません」


 祝典でも私に求婚してきたのは、伯爵位以下の王位継承には絡まない貴族たちだった。

 父を通さずに求婚に来るほど、貴族社会で私が低く見られているということでもある。

 ローレタリア王家への畏敬があるから、表面的には私を蔑む人はいないけれど、同時に私個人に価値を感じる人もいない。


「私を妻にと望むのは、王室に食い込もうとする愚かな野心を持ったものくらいです。それくらい、本当に私に王女としての価値はありません。それなのに、私の双子の兄は祖王の再来と呼ばれているのですよ。子どもの頃はアレクが嫌いで嫌いで仕方ありませんでした」


 私は自嘲気味に笑う。

 私は何がしたかったのだろう。

 私のことをテレサに知ってほしいという気持ちは嘘じゃない。

 でも、それだけなのだろうか。

 同情でテレサの気を引きたかったのか、テレサの出自を知ってしまった罪悪感を誤魔化したかったのか。


 テレサを見るのが、怖い。

 あの何もかも見透かすような目で、私の浅はかな心を見透かされるのは仕方ない。

 怖いのは、何の興味も持ってもらえないこと。


「そうですか」


 無関心そうなあっさりとした言葉に、心がひやりとする。


「それだけですか?」

「まあ、知っていましたので」

「…はい?」


 一瞬、何を言っているのか理解が出来なかった。

 直後にきたのは、頭が真っ白になるほどの恥ずかしさだった。

 私、大きな秘密を告白をしたつもりなのに、すごい馬鹿みたいじゃない。


 いま、絶対、私が全部話しきるのを狙って言った。

 私に対して意地悪すぎないかしら。

 唇をかんで、上目遣いにテレサを睨みつける。


「…いつからですか?」

「旅の間にアレクシス殿下にそれとなく。先日の祝典で猊下に詳しくうかがいました」


 何で二人とも、私の秘密を当たり前のように漏らしているの。

 あれ、テレサの出自を知ってしまったことに罪悪感を持っていたけれど、別に気にする必要ないのではないでしょうか。

 私がテレサを国民とすら認めなかった王家の人間であることは変わらないけれど、黙ってテレサの孤児院に行って過去を詮索してしまったことは、テレサも同じことをしたってことよね。

 それって、テレサが私に興味を持ってくれていたってことなのかしら。


「どうして、私のことを?」

「殿下は聞きもしないのに教えてくれました。猊下は姫さまに絡まれて面倒くさいという話をしたら、何故か喜々として話してくれました」

「面倒くさいはひどくないですか」

「ご自覚がなかったのですか?」


 圧のあるいい笑顔で言われて、そっと目を逸らす。

 自覚は、あります。


「それで、その話をするためにわたしをここに連れてきたのですか」

「はい」

「どうして、その話をわたしに?」

「私のことを知ってほしかったから。それと、済みません。テレサと出会った孤児院に黙って行ってしまいました」


 テレサの表情は変わらない。

 無表情と言うほど冷たくはないけれど、感情の色が見えない顔。


「別に謝ることではないと思いますが」

「孤児院でジュナ様にお会いして、テレサのことを聞いてしまいました」

「ああ、なるほど。わたしの生まれのことを気にしているのですか」

「だって…」


 口ごもる私の肩を、テレサの肩がぐいと押した。


「わたしが姫さまを嫌いなことと、それは何の関係もありません」

「また嫌いって言いました」


 テレサの肩を少し乱暴に押し返す。

 すると、テレサも押し返してきて、私たちは何度かそれを繰り返す。

 それから、どちらからとも、二人で忍び笑いを漏らした。

 ひとしきり笑いあうと、私たちは身を寄せ合うように、お互いにもたれかかる。


「貴女に伝言があります」


 私は囁くように、テレサに言う。


「マリーちゃんが元気でいてって」

「そうですか」


 まるで他人事のようなテレサの口調に、私は密かに身震いする。


「…マリーちゃんは貴女にとって、特別な子ではないのですか?」

「特別?子どもたちはみんな等しく大切ですよ」


 もしかしてとは思っていたけど、テレサにとっては同じ境遇のマリーですら特別ではないのかもしれない。

 子どもたちのために王家にですら刃を向ける覚悟や、世界のために魔王と戦う覚悟。正に聖女の鑑と言える博愛の精神の持ち主に見えて、テレサはどこか無機質だ。

 誰も等しく愛していないけど、自分を一番愛していないから、結果として博愛に見えるだけにすら思える。

 マリーが特別扱いに見えたのは、同じ境遇だからではなく、相対的に他の人よりも恵まれていなかったからなだけではないのか。

 平等なのではなく、公平であろうとする精神が、そう錯覚させたのではないのか。


「マリーちゃんにとって、貴女は特別な人よ」

「特別とは何でしょうか」

「他の人とは違うということです。自分にとってかけがえのない人」

「わたしにはよく分かりません」


 平坦なその言葉は、でも少し途方に暮れているようにも聞こえた。

 涙と言い、この家に来てからのテレサはいつもと違う。

 私はそれが、どこから来るものなのかを知りたかった。


「ねぇ、先ほどはどうして泣いたのですか?」

「何故でしょうね」


 どこか遠くを見る目で宙を見上げて、テレサはぼんやりと言う。


「家と言うものに、はじめて迎えられたからでしょうか」


 その言葉を理解した瞬間、私は血の気が一瞬で引くのを感じた。

 私はまたやってしまった。

 自分のことを知ってもらうことばかりを考えて、テレサのことを考えていなかった。

 テレサには帰る家なんてないのに、母とこの家で過ごしたことを、まるで不幸なことであったかのように話してしまった。

 私に泣く資格なんてないのに、涙が込み上げてくる。


「ごめんなさい。私はただ、私のことを、知ってほしくて」

「今度はわたしが泣かせてしまいましたか」


 零れ落ちる私の涙を、テレサの指先がそっと掬い取る。


「お相子ですね」


 耳元で囁かれた声は、何だかとても甘くて、脳が痺れて蕩ける。


「姫さま、お願いがあるのですが」


 今、そんなこと言われたら、どんなおねだりでも叶えてあげたくなってしまう。


「わたし、この家に住みたいです」

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