テレサ 2
わたしの肩に寄りかかり、寝息をたてるあなたの頭を、起こさないようにゆっくりと膝に移す。
すると、ころりと向きを変えて長椅子の上で膝を抱えるように丸くなる。
寝室でも、眠るときは姿勢よくしているくせに朝には大体丸まっている。
甘えるように下腹部に顔を埋めてくる感触が、くすぐったい。
顔にかかった緩やかに巻いた金色の髪をそっと掻きあげて、耳にかける。
顕わになった顔はあどけなくも、美しい。わたしよりも二つ上で十九歳になるはずだけど、少し童顔で、まだ少女のように見える。
あなたはわたしのことを、美しいと思っているようだけど、客観的に見ればあなたの方が魅力的だ。
自分が美人であることは否定しないけど、それはただの造形美だ。
あなたはもちろん、愛嬌のある美人ではあるけど、それ以上に魂の輝きを宿す瞳や、全身から溢れる命の輝きが誰よりも美しい。
なのに、その輝きが今はほんの少しくすんでいる。
花の顔の目元に、うっすらと浮かんだ隈。
化粧で隠そうとしているけど、不自然にならない程度の薄い化粧では隠しきれていない。
最近、帰りが夜遅く、寝不足だったのだろう。
何だか様子もおかしかった。
夜遅いだけではなく、朝もわたしを避けるように忙しなく準備して出て行ってしまう。
そのくせ、昨夜は急に甘えてくるから意地悪してしまった
わたしが?意地悪なんて甘えの裏返しを?
だって、きっと、わたしとのこの時間を作るために無理をして。
そんなの、馬鹿みたい。
わたしなんかと一緒に散歩することが、そんなに心が浮き立つの。
恋人みたいな手のつなぎ方をしたくらいで、そんなに嬉しいの。
他愛無い、戯言みたいな会話が、そんなに楽しいの。
反対に、わずかなことで沈んだりして。
わたしの子供のころのことを聞きそうになったのでしょう。
どうせ、孤児のわたしに、それを聞こうとした自分に自己嫌悪でもしているのでしょう。
だから、本当は景色になんて何の興味もないけど、優しい嘘をあげる。
本当に、馬鹿な人。
他人を思いやれない人間は、そもそもそんなことに気付いたりしない。
ましてや口にもしていない言葉を、ただ考えてしまったというだけで罪悪感をもつ必要なんてない。
そんなに優しくては、王族なんて辛いでしょう。
わたしは起こさないように、ふわふわとした髪と一緒に頭を撫でる。
「姫様、あ…」
東屋に入ってきた、雨除けの
長時間、わたしたちが動かないから、様子を見に来たのだろう。
騎士たちを代表してここに様子を見に来たことからも、隊長格なのだと思う。二十歳そこそこの若さに見えるので、相当に優秀な騎士なのだろう。
当たり前だけど、王女の近衛は全て女騎士だ。
ローレタリアの騎士は完全な職業軍人であり、主に家を継ぐことのできない貴族の三男以下が仕官することが多い。近衛はその中でも武芸、魔力、教養、品格、容姿で選び抜かれた精鋭だ。
当然、男が圧倒的に多いが、あえてその道を選ぶ女騎士は熱意が高く、王家に対する忠誠が強い。
「姫さまはお休みです。お静かにお願いします」
「申し訳ございません、聖女様」
頭を下げながらも、あなたを見る彼女の目から、動揺が隠せていない。
信じられないものを見てしまったような、その目。
わたしはあなたがどう思われていようとも、何の興味もないけど、その目には何だかとても苛立った。
「姫さまがお休みのところを初めて見ましたか?」
「は…あ、いえ、姫様が、このような無防備なお姿をされているとは思わなかったもので」
王族としての責務に忠実なあなたが、臣下の前では完璧に振舞うのは当たり前のことだ。
だからと言って、本当にあなたが完璧であったり、弱いところがないとでも思っているのだろうか。
「姫さまだってただの人ですよ。疲れればうたた寝もしますし、甘えたいときもあります」
「祖王に連なる方々を、ただの人などと、聖女様でも不敬では」
丁寧だけど、不快さを隠せていない騎士の言葉。
でも、不愉快なのはわたしの方だ。
「あなたの理想とは違う、人らしい姫さまを見て幻滅しましたか?」
「そ、れは」
「姫さまの気高さも、優しさも、強さも、ただの人だからといって損なわれるものではありません。いえ、違いますね。ただの人だからこそ、気高くあろうとする姿が尊いのだと思います」
言葉を失う女騎士。
だけど、わたしはもう彼女に向けて言ってはいなかった。
彼女を介して見える、あなたを取り巻く環境に話しているにすぎなかった。
「あなたは王室の血に仕えているのですか?」
「無論です」
「では、王室の方はすべからく完璧だと。完璧ではない方は王室にふさわしくないと?」
「王家の方をそのように計ること自体が不敬です」
まるで話にならない。
なるほど、これでは親しい相手などできるはずがない。
その妄信が、あなたの孤独を育てたのね。
わたしなんかに、友だちになってほしいなんて言ってしまうほどに。
「王家の方なら誰でもいい、というわけですね。残念ですね、アレクシス殿下の劣化品の担当になってしまって」
「何を!」
「大きな声を出さないでください」
剣に手を掛けそうなほどに声を荒げた騎士に、冷水のような声を浴びせる。
「姫さま自身に仕えるべき価値を見出さないのでしたら、王と王となるべき人以外は、その代用品でしかないでしょう。まあ、わたしには人に仕える誇りなんて理解できませんし、アレクシス殿下より姫さまの方が興味深いですけど」
「貴女は…」
言いかけて、口をつぐむ女騎士。
わたしは見せつけるように、姫さまの頬をそっと撫でる。
「ぅん」
わたしの膝の上から、小さな寝息が漏れる。
「姫さまが起きてしまいます。もう行ってください」
何か言いたげにしながら、とまどったような顔で一礼し、踵を返す女騎士。
わたしはもう、彼女に何の関心もなかった。
彼女に言った言葉も、ただの八つ当たりだ。
王族であると言うだけで嫌ったわたしが、何を偉そうに。
嘘だ。
王族だから、嫌いだと言ってしまったわけではない。
そもそも、わたしは王侯貴族が嫌いなわけではなくて、無関心なだけ。
わたしが嫌いだという感情をもったのは、あなただけだ。
それ以外の人には好悪どころか、個人としては何の感情も抱いたこともない。
継承権すら認められないのに、王女としての責務から逃げることも、屈折するとこともなく、気高くある人。
わたしは歪んでしまったのに。
あなたをみていると、どうしようもなく劣等感に苛まれる。
だから、もっともっと甘やかしてあげる。
あなたはいつまで気高くいられるの?
同じように歪んでくれれば友だちと思える?
それとも同族嫌悪を抱くだけだろうか。
わたしはその先の感情を知らない。
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