第12話

 用意させた修道服と下着をテレサに渡して、着替えさせている間に、私も隣の部屋で侍女に朝の準備をしてもらう。

 シンプルだが仕立てのいいコタルディドレスを選び、化粧は気付かれないくらいに薄く。

 テレサに綺麗とか可愛いとかは思われたいが、贅沢だと眉をしかめられたくはない。


 準備を終えて寝室に戻ると、着替え終わったテレサが寝台に腰かけて書物を読んでいた。

 黒を基調とした修道服が彼女の細い体の線を浮かび上がらせて、清楚な色香を際立たせている。

 飾り気のない修道服が、ここまで映える人は他にいないと思う。

 本人がこの上なく美しいのだから、華美な衣装なんて余分でしかない。

 肌着姿のテレサは触れたくなる可憐さだけれども、修道服のテレサはどこか触れがたい美しさで、どちらもとても素敵。


「テレサ、行きましょう」


 一しきり、テレサの姿を堪能した後、私は声をかける。

 書物を置き、立ち上がったテレサが私の手に目を向ける。

 私は手に持った籐籠を軽く持ち上げた。


「姫さま、それは?」

「朝ごはんです。少しはしたないですが、お外で食べましょう」


 テレサがお昼に近い朝食と夕食の一日二食の生活をしていることを、私は知っている。

 宮殿内と庭園の散策をしていれば、ちょうどいい時間になるでしょう。


 私はテレサと連れ立って、部屋の外に出る。

 ローレタリアの宮殿は二重構造になっていて、宮殿のある庭園区と、それを囲う城郭区から成り立っている。

 宮殿は本館を中心に、左右対称の構造をしていて、本館は公式行事が行われる場所で、式典が行われた大ホールや、謁見の間などがある。

 左翼棟は王族の居住区で、右翼棟は政庁区となっている。

 宮殿にも見ごたえのあるところはあるが、華美な装飾や立派な絵画などはテレサがあまり興味をもつとは思えなかったので、さらりと通り過ぎる。

 食堂や書庫などは右翼棟に集中しているので、毎日通っているテレサには今更でしょう。


 私は宮殿を裏口から出たところで、そっとテレサの手を摘まむように握る。

 何の反応もないから、ちらりとテレサの横顔を窺うけど、何を思っているのかは全く読み取れない。

 嫌がっては、いないのかな。

 どきどきしながら指を絡めるように握りなおすと、テレサの方からも軽く握り返してきた。

 そんなことで、私は心が浮き立ってしまう。


「テレサ、庭園に行きましょう」


 握った手を引いて歩きはじめる。

 テレサは黙ってついてくる。

 宮殿の裏は生垣で造られた迷路庭園となっており、私はテレサを連れてそこに入っていく。

 死角の多い迷宮庭園は、正規の道を外れると恋人たちの逢引きに使われていることも多い。

 そんなところをテレサと手を繋いで歩いていることに、少しくすぐったい気持ちになる。


「広い迷路ですね。迷子になりそう」

「ええ。私も子供のころ迷ったことがあります」

「姫さまが?ちょっと意外です」

「ふふ。お勉強がいやでここに逃げ込んだのですが、迷ってしまって、泣いてしまいました。まあ、実際は近衛が後ろをついてきていたんですけど」

「けっこう、お転婆だったんですね」


 わざと悪戯っぽい口調で言うと、テレサも揶揄うような返事をくれる。

 今の、すごく、友だちっぽい会話だった!


「テレサは…あ、えと」

「何ですか?」


 調子にのってテレサの子供のころを聞こうとして、私は慌てて止めた。

 テレサの生まれを知ってしまったのに、何を聞こうとしているんだ私は。

 何でこうも思いやりが出来ないのだろうか。

 王族として生まれ育ったことで知らず傲慢になっていたのか、私と言う人間の生まれ持っての気質なのか。


 そっとテレサの横顔を見ると、唐突に黙った私を訝しむでもなく、穏やかな表情を浮かべている。

 ああ、きっと彼女は私が何を言おうとしてしまったのか、気が付いている。

 気が付いていて、知らないふりをしてくれている。

 恥ずかしい。惨めだ。

 楽しかった気持ちが萎んで、いたたまれない気持ちでとぼとぼと歩く。


「わぁ、綺麗ですね」


 テレサの上げた感嘆の声に、私は顔を上げた。

 足は自然と正しい順路で迷路を抜けていて、目の前には桟橋と湖が広がっていた。

 冷たい青の湖水は水底が見えるほど透明度が高く、湖を囲む林を鏡のように映し、陽の光を反射して輝いている。

 人口湖ではあるけれども、自然の伏流水を利用していて、人の手入れを必要とせずにその美しさを保っている。


 テレサがこんな声を上げるのは珍しくて、私は連れてきて良かったと思う。

 それだけで、沈んでいた気分が浮上してしまう私は単純だ。

 例えそれが言葉だけのものであったとしても、私のために言ってくれたのなら、嬉しい。


「舟に乗りましょう」


 私は桟橋に留められた小舟の一艘に、テレサを誘う。

 テレサの手を握ったまま、先に小舟に乗って、エスコートする。

 櫂を手に取った私を、テレサが不思議そうに見る。


「姫さまが漕ぐのですか?」

「はい、私、上手なんですよ」


 テレサが腰を下ろすのを待って、舟を漕ぎ始める。

 湖面に指先を浸して感触を楽しむテレサの姿があまりにも美しくて、ずっと見ていたくて、私はわざとゆっくりと漕いでしまう。


「あら」


 舟が湖の真ん中くらいまで来たところで、小さく声を上げたテレサが湖面から上げた掌を宙に差し出す。

 その掌に水滴が弾けるのを見て、私は空を見上げた。

 雨雲一つない空から、糸のように細やかな雨が降ってきていた。


 私は急いで舟を漕ぐと、対岸の桟橋に舟を着け、隣接する東屋ガゼボにテレサの手を取って駆け込んだ。


「急に降ってきて、びっくりしましたね」


 言いながら振り向いた私は、息をのんだ。

 細雨だったため、びしょ濡れになる程ではないが、黒髪がしっとりと露をはらみ、首筋の白い肌を水滴が伝う。

 どこまでも清純な美しさのなかに、得も言われぬ色香をはらんでいる。


 どうして、この人にこんなに目を奪われるのでしょう。

 旅の間にだって、テレサのいろいろな姿は見たはずなのに、こんなふうには思わなかった。

 あの時と今で何が違うのか、自分でも分からない。

 たしかに命がけの戦いの緊張感で、余裕がなかったのかもしれないけれども。


「テレサ、座ってください」


 私は東屋の長椅子にテレサを座らせると、その隣に腰を下ろした。

 籐籠から手拭いを取り出し、テレサの髪に押し当てる。髪を痛めないように丁寧に水分を吸い取っていく。

 長椅子は三人は余裕をもって座れる長さがあるのに、肩が触れるくらいの近くに座ったのはこのため。

 けして、それ以外の下心なんてない。


「姫さま、自分でやりますから」

「いいから。大人しくしていてください」


 私の手から手拭いを奪おうとするテレサの手を抑えつけ、髪の次は顔や首筋も拭いていく。

 ため息が出るくらい、綺麗な肌。

 顔かたちの造形は生まれつきの要素が大きいけれど、容姿は後天的な手入れの方が重要になる。貴族階級に容姿の優れたものが多いのは、食生活や手入れにかけられる余裕が庶民よりも多いから。

 テレサはけして恵まれた生活を送ってきたわけではないはずなのに、肌荒れ一つ見あたらない。

 王族として徹底して容色を磨かれ、内魔力で生理機能をある程度制御できる私ですら、一年の旅の間に少し肌が荒れてしまったのに。


「姫さま、代わります」


 しばらくされるがままに拭かれていたテレサが、籐籠から新しい手拭いを取って、私を拭き始める。

 テレサの指が、私の髪に、肌に触れてくれる。

 触れられた場所から、甘い感覚が頭を蕩けさせて、吐息がもれそうになってしまう。

 ぎゅっと目を閉じて堪えるけれども、テレサに変に思われていないかしら。


 嬉しくて、くすぐったくて、心地よくて、でも不安な時間は、長くも短くも感じられて、ただ拭き終わって離れていくテレサの指の寂しさだけが残った。

 その指を追いかけて、捕まえたくなり、私はごまかすようにテレサに微笑みかけた。


「ありがとうございます。雨も止みませんし、ご飯にしましょう」


 私は籐籠をテレサに差し出す。

 中にはパンに肉や野菜を挟んだ軽食と、水筒が入っている。

 お手軽な庶民の食事だけれど、最近では貴族の間でも流行っているらしい。


 テレサが籐籠からパンを手に取るのを見て、私もパンを口に運ぶ。

 かりかりしたベーコンと、しゃっきりとした野菜に柔らかい白パン。

 複雑な味わいではないかもしれないけれど、とても美味しい。


「美味しいですね」

「はい、すごく」

「あら、具が違うのですね」

「卵、でしょうか」

「そちらも、美味しそう」

「食べますか?」


 私はテレサが差し出したパンに顔を近づけて、そのまま一口食べる。

 はしたないけれど、今は誰にも見られてはいない。近衛は周辺には待機しているけれども、長椅子の背もたれに隠れて、姿は見えないでしょう。


「美味しい。こちらも食べますか?」


 私が差し出したパンを、テレサが口にする。

 唇が、かすかに指先に触れる。


「ん。美味しいです」


 今更だけれど、とても恥ずかしいことをしている気がする。

 でも、お友だちなら普通のことだ。きっと、そうだ。


 肩の触れ合う距離で、食べたり、食べさせたりしていると、すぐに食べ終わってしまう。

 食べているときのテレサは、どこか無邪気に楽しそうで、私は嬉しくて、胸が温かくなった。


 お腹がいっぱいになると、急激に訪れた睡魔に私はうとうととしてしまう。

 

「姫さま、眠いのですか?」

「大丈夫、です」


 どこか、遠くから聞こえたテレサの声に、私は答える。


「どうぞ、寄りかかってください」


 聞いたことのない、とても優しい声に、私は甘えるように体を寄せながら、意識を手放した。

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