第10話

 テレサの孤児院に訪問した日の夜、私はアレクの部屋で書類仕事をしていた。

 時刻は深夜に近い。


 孤児院への訪問は、完全に私情だったので、その分遅れた公務を取り戻さなくては。

 もちろん、私の公務は遅れたからといって、損害が出るような性質のものではないけれど、うず高く積まれた訪問の要望書を見ると、私情を優先したことに後ろめたさを感じてしまう。

 かと言って、自分の執務室で遅くまで仕事をしていると、儀典官も帰りにくいし、心配させてしまう。

 だから、アレクの部屋に仕事を持ち込んでいた。


「いい加減に部屋に戻ったらどうだ」


 寝台の上で書物に目を落としたまま、アレクが言う。


「もう少し」

「自分の部屋でやれ」

「テレサを起こしたくないし」

「また、逃げてるだけだろ」


 ぴたり、とペンを執る手が止まってしまったのが、真実を物語っていた。

 そう。本当は分かっている。

 本当に後ろめたいのは、テレサの出生を知ってしまったこと。

 テレサと顔を合わせるのが気まずくて、逃げている。

 私がテレサの出生を知ってしまったことを、テレサに気付かれたらと考えると、怖い。

 テレサに怒られるのは怖くない。嫌われるのはイヤだけれど、耐えられる。でも、どうでもいい相手として切り捨てられるのは、耐えがたい恐怖だった。


「アレクは、テレサが捨て子だって知ってたの?」

「自分の国の聖女の出自くらい、普通に調べるだろう」


 普通に調べられるのは、貴方が王太子だからよ。

 私が聖女の出自に調べを入れたりしたら、下手したら王国と正教会の間に諍いを生みかねない。

 アレクの場合は、むしろ正教会側から情報の共有があったのかもしれない。


「自分の国の聖女、ね。そのことを知っていて、それを言うの?」

「ん?ああ、なるほどな」


 アレクが書物を傍らに放って、こちらを見る。


「テレサがローレタリアの国民ではないことを気にしているのか」

「そうよ。分かっていて、よくあんなパレードにテレサを出せたわね」


 テレサを喝采する民は、その裏で同じ出自の捨て子たちを見下している。

 知らないからなどと言うのは、された側の不快感を少しも和らげるものでない。


 いえ、民がどうとか言い訳だ。

 私こそ、捨て子が虐げられる原因を作った為政者の側なのに、知らなかったでは済まされない。


「なら、どうする。お前を認めなかった国のパレードなんか出たくないだろうから、参加しなくていい、とでも言うか」

「私は、アレクみたいには割り切れない。いいとか悪いとかではなく、思うところはないの?」

「ないな。王も国も法も完全なものなどない。最大多数の公益に資するのが俺たちの務めだ」


 私の考えが、私情であることは分かっている。

 テレサに関わることでなければ、心は痛めても、ここまで気にすることはなかった。

 王族としてはアレクの考えの方が正しいことは分かるけれど、一年も生死を共にする旅をした相手のことを、そんなふうには割り切れない。

 そして、アレクの言葉で分かってしまった。


「捨て子は法の瑕疵ではないのね。意図的に作られた予防線」

「その通りだ。捨て子を国民と認めたらどうなると思う?移民や難民、生活に苦しいものはこぞって子どもを捨てるぞ。そうなれば、孤児院の財源そのものが破綻する」


 だから、戸籍制度がこの国で始まって数十年が経つのに、放置されている。

 いや、放置されているのではなく、初めからそのように設計されている。

 だとしたら、テレサはなるべくして国から見捨てられたのだ。


 胃の辺りが鉛を飲み込んだみたいに重くなる。

 私はテレサに、お友だちになりたいなどと言っていい人間ではなかった。

 事情を知っていれば、そんなこと恥ずかしくて言えたものではない。


 でも、内臓をかき回されるような罪悪感の正体はそれではなかった。

 なんてあさましい人間なんだろう。理性はそれを理解しても、私の感情はまったく、これっぽっちもテレサを諦めようとしていない。

 言う前に知っていればともかく、今となっては羞恥心はあっても、テレサと仲良くなる障害が増えて困ったな、という気持ちの方が強い。


 私は理性や道徳よりも、自分の欲や感情を優先する人間だと思い知らされる。

 王位継承権が得られなかったのも、天意のようなものだったのかもしれない。

 私のような人間が、きっと暴君や暗君になってしまうのだ。

 私たちの祖父、つまり前王がまさにそんな人間だった。殊更に圧政を敷くような王ではなかったが、贅沢に蕩尽し、戦を好み、内政に関心を持たなかったことから、賄賂や汚職が横行して国内が荒れた。

 当時、腐敗していた正教会と結託して、人身売買まがいのことすら行っていた記録もある。

 その自己嫌悪が、私の気持ちを重くしていた。


「うう。テレサに会いたい」

「いや、それなら部屋に戻れ。何言ってるんだ、お前」


 机に突っ伏して呻く私に、気持ち悪そうな声でアレクが言う。


 会いたいけれど、会うのは怖い。

 テレサに会うのが怖い気持ちを、テレサとの触れ合いで癒されたい私は、もうどうかしている。


 罪悪感や後ろめたさはきっと消えない。それでも、会いたいのだから、飲み込んで戻るしかないのは分かっているけれど、きっかけがほしい。


 そうだ、約束があるじゃない。


「アレク、お願いがあるのだけれど」

「何だ?」

「しばらく、夜、部屋を使わせて」


 アレクがため息をついたのが分かる。


「確認だが、テレサから逃げるためじゃないんだな?」

「ええ。一日公務に空きを作りたいから、執務を詰めておきたいの」

「…自分の部屋でやらない理由は?」

「え、そんなのテレサの睡眠の邪魔したくないからだけど」


 当たり前のことを答えた私に、何故かアレクは眉間を抑えて顔をしかめた。

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