第8話

 その孤児院を公務の訪問先に選んだのは、完全に私の私情だった。

 政庁機関、教会関係、商業組合など訪問の招待は数多い。孤児院は訪問要望の多い施設だけれど、公的な優先度は高くない。国民受けはいいので、定期的に予定に組み込まれてはいたけれど、戻ってきたばかりで重要な機関や施設が優先されるこの時期に無理に訪問する意味は薄い。


 それでも、私はもう一度ここを訪れておきたかった。

 私とテレサが出会った孤児院。

 テレサにも声をかけるか悩んだけれど、どういう反応があるか分からなくて、それが怖くて、結局言い出せなかった。


 騎士の手を借りて、馬車を降りる。

 手を貸す騎士も、一年前と同じ。私の護衛を務める女の近衛騎士を取りまとめる小隊長で、トラヴィス伯爵家の令嬢でもあるサリア。

 私の手を取るその麗しい顔は、敬意と誇りに満ちている。

 それはありがたいものではあるけれど、少し重くも感じてしまう。


 テレサがこの役を振られたらどうだろうと考えて、めんどくさそうな顔か、いやそうな顔が浮かんできて、おかしくなった。

 そんな顔をされることを考えて嬉しくなってしまう私は、かなり変だ。


 馬車を降りて、一年ぶりに見る孤児院は、記憶よりも小さく寂れているように見えた。

 壁の漆喰は剥げているし、小さな庭なのに雑草が処理しきれていない。

 テレサがいたころに比べて、手入れが行き届かなくなっている。


 庭には修道服の老婆と、十人ほどの子供が行儀よく並んでいる。

 行儀よくとは言っても、年少の子供たちは落ち着かない様子で、もぞもぞしてしまっている。

 それが可愛らしくて、自然と笑みが浮かんでしまう。


「ご機嫌よう」


 ドレスの裾をつまんで、子供たちにお辞儀をする。

 孤児に王女が自分からお辞儀をするなんて、と言うのはローレタリア的な考え方ではない。

 貴族は国民の範たれ。人に礼を求めるなら、まず自分が礼を尽くせ、がローレタリアの国是だ。


「「こ、こんにちは、おーじょさま」」


 あら。あら、声を揃えて可愛い。

 わざわざ練習したのかしら。

 無理やりやらされたのでなければいいけれど。


「王女様。このようなところに来ていただけるとは」


 年老いた修道女が震える声で言う。

 当然、訪問は正教会に先触れを出しているし、前日から近衛が不審な工作などが行われないように調査と監視にも訪れているでしょう。

 それでも、実際に訪れるまでは信じがたかったらしい。

 先触れなしで訪れても動揺一つしなかったテレサとは、随分と違う。

 でも、こちらの方が普通なのだ。


「ここは、私と聖女様が出会った思い出の場所なのです」

「テレサ、様ですね」


 どこか複雑そうな老修道女の言い方。


「どうぞ、王女様。何もないとこですが、見て行ってください」


 孤児院の中に誘い、歩く老修道女は軽く足を引きずっていた。

 あの足では、孤児院の維持管理も苦労でしょう。


 孤児院の中に入ろうとした私は、ふと視線を感じてそちらを向いた。

 建物の影から、私をじっと見つめる幼い女の子。

 私と目が合うと、すぐに身を隠してしまう。


 一瞬だけ合ったその目が。

 年端もいかない幼子とも思えない、感情を見せない目。

 なぜかその目がテレサを思い出させて、頭から離れなかった。


◇◇◇


「すみません、王女様をお通しできるような部屋はなくて…」


 申し訳なさそうに言われて、むしろ無理やりおしかけた私のほうが恐縮してしまう。

 本来、私が訪問するのはもっと大きな孤児院であることが多い。

 このような小さな孤児院では、相手に迷惑をかけるだけになってしまうので、あえて避けている。


 孤児院の大小の差は、言ってしまえば子どもの親の貧富の差だ。

 身寄りのいない、あるいは引き取り手のいない孤児が出た時、親の財産の一部を養育費として国が徴収して、孤児院に振り分けられる。

 こうした小さな孤児院に振り分けられる子供の親は、ほとんど資産を持っておらず、孤児院の運営も国の補助金と正教会の援助で成り立っている。

 だから、孤児院の管理人も役人ではなくて、正教会の司祭が務めている場合が多い。


「お気になさらず。少し、お話ができませんか?」


 私は、この老修道女が気になっていた。

 もしかすると、テレサの子どものころを知っているのではないだろうか。


「かしこまりました。では、私の部屋に」


 狭い廊下を抜けて、一番奥の部屋に入る。

 部屋に入る前に、後ろを少し離れてついて歩く子供たちに微笑んで手を振っておく。


 部屋は狭く、小さな寝台と執務机でほとんどいっぱいだった。

 老修道女が執務机の椅子を引いて勧めてくるので、腰を下ろす。

 立ったままの彼女に寝台に腰かけるように言う。


「どうぞ。貴女も座ってください」

「感謝します」


 腰を下ろした老修道女は、長く息を吐く。

 だいぶ、辛かったようだ。

 こうして見ると、思ったよりもお年を召しているようだ。もしかして六十歳を超えているのかもしれない。


「お見苦しいところを、申し訳ございません」

「こちらこそ、突然の訪問さぞ驚かれたでしょう。貴女は、教会の司祭様ですか?」

「いえ、侍祭のジュナと申します」


 正教会の階級では一つの教会を持てるのが司祭で、侍祭はその補佐的な立場になる。


「ジュナ様は何故、この孤児院に?失礼ですが、引退されてもおかしくないお歳では」

「実は膝を痛めて、引退しているのです。しかし、後任の聖女様が旅立たれたあと、代わりが見つからないということで、臨時で務めております」

「聖女様は、この孤児院となにか所縁が?」

「ご存じではなかったのですね。彼女はこの孤児院の出身です」


 そうだろうとは、思っていた。

 でも、聖女となったテレサが、幼少期を過ごした孤児院にわざわざ戻る理由は分からない。


「聖女様は、どんな子供でしたか?」

「…賢い子でした」


 それが不幸なことであったかのように、ため息をもらす。


「もの心ついた時から、泣いたこともなければ、感情を表に出すことすらない子でした」


 それは、よく分かる。

 今でも、テレサが感情的になるところなんて見たことがない。

 私のことを嫌いだと言った、あの時以外には。


「想像できます。聖女様はそんなに幼い頃からここに?」

「…赤ん坊の頃からです」

「そう、なのですね」


 そう言えば、テレサは親の顔も知らないと言っていた。

 ジュナ様は良い人だと思うけれど、何人もの孤児の中で、テレサだけを特別に扱うことはなかっただろう。

 テレサはきっと、多くの人が幼い頃に得られる親からの無償の愛を知らない。


 私は王族と言う生まれから想像されるような、愛のない家族ではなかった。

 母は幼い頃に亡くなってしまったけれど、乳母任せにせずに自分の手で子どもを育てるくらいに慈しんでくれたし、母を本当に愛していた父は、王族としての教育は厳しくても、父親としては子煩悩なくらいに甘々だ。

 アレクとは下らないことも言い合えるくらいに普通の兄妹だし、ジョルジは姉としてとても慕ってくれている。

 王位継承権を得られない体質だったことで、家族の誰も態度を変えたりはしなかった。


 私では、テレサを理解してあげられないのでしょうか。

 テレサに私を知ってほしいと思うことは、傲慢なのでしょうか。


「聖女様のご両親はどんな方だったのですか?」

「…分かりません」

「え?」


 そんなはずはない。

 孤児院には子どもが預けられるときに、役所から親の情報が開示される。

 この国では国民は出生時に役所に登録が義務付けられている。

 それによって納税を管理している一面もあるが、登録しなければ国民としては扱われず、公共の施設や制度を利用できないのだから、しない理由がない。

 度重なれば過料を課されるとはいえ、望まぬ子どもでも孤児院は引き取るのだから、わざわざ子どもを捨てる必要は薄い。むしろ、子どもを捨てるのは殺人に準じる重罪になってしまう。

 それでも、皆無と言うわけではないけれども。


「テレサは、捨て子?」


 独り言のように思わず漏らしてしまった言葉。

 ジュナ様は返事をしなかったけれども、その悲し気な顔が何よりも明確な答えだった。

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