第2章

間章 1

 わたくしがアレクの名代としてテレサを迎えに行ったのは、アレクが伝説の魔女であるティティスの下に魔王討伐の協力を求めに行っていたからだ。

 アレクがティティスを連れて戻るのを待って、私たち四人は北の魔王領に向かった。


 魔王領に入る手段は、大きく分けて二つ。

 雲竜山脈を越えるか、海路を取るか。

 近年急速に発展した飛行船による空路が可能であれば一番楽なのだけれど、魔王領上空を飛行するものは、例外なく竜によって撃墜される。

 空で竜に勝てる存在はいない。

 徒歩で山脈を越えるのは、不可能ではないが極めて危険が高い。

 一年中降り積もる雪と、数多棲息する魔獣。

 山脈に住む山の民ですら、中腹以降には踏み込まない。


 比較的に安全な経路が、海路となる。

 比較的に、と言うだけで危険がないわけではない。

 魔王領周辺の外洋は海竜の巣となっていて、発見されれば沈められる。

 だから、目的地は魔王領の北の果てだけれど、魔王領側の雲竜山脈の麓に接岸して、素早く離脱することしかできない。


 魔王領に人が住まなくなって千年。

 もともと険しい土地が、人の手が入らなくなったことで、魔境と化している。

 北の果てまでの距離は、安全な舗装路の旅なら一か月ほど。だけど、魔獣が闊歩し、険しい自然の中を進まなければいけないこの状況では、その数倍はかかる。


 私が最初に心配したのは、聖女テレサの体力だった。

 アレクや私は騎士の軍事訓練にも参加しているし、内魔力で身体能力を強化しているから、こんな土地でも活動に困難はない。

 ティティスは、そもそもそういう常識の埒外の存在。

 だいいち、彼女はほとんど宙に浮いて移動しており、自分の足で歩くことは希だ。


 道なき道を踏みしめながら、私は後ろに視線を向けた。

 私が先頭を歩き、後ろを歩くアレクとで、他の二人を挟んでいる。

 一番死んでも問題がなく、盾役である私が先頭なのは既定で、後背からの攻撃をアレクが警戒する形だ。

 とは言っても、ティティスはアレクの近くで、ふわふわと浮かんでいる。


 聖女テレサは、黙々と歩いている。

 彼女はあまり体を動かすのが得意ではないよう。だけれど、体力はそこそこあるし、何より忍耐力がすごい。

 食糧や野営道具の詰まった背嚢を細い体で背負いながら、一歩一歩確実に歩みを進めている。


 歴代の聖女は貴族の生まれであることが多いけれど、この人は違う。ローレタリアの貴族の家から聖女が出たのなら、私が知らないはずがない。でも、品のある所作を見ると、それなりの家で育ったようにも思える。


 それにしては、忍耐力がありすぎる。

 いいところの娘でなくても、普通の女の子が、こんな土地を旅しろと言われたら、間違いなく一日で音を上げる。

 なのに彼女は呼吸を深く保ちながら、文句の一つもらさずに歩いている。

 そう。大事なのは呼吸を一定に保つこと。周囲の警戒は大事だけれど、過度の緊張は、体力を大きく奪う。

 彼女はそれをよく理解している。

 まるで、周囲を警戒して生きることを日常としているような自然さ。


 たまに、彼女と目が合う。

 私が彼女を見るとき、彼女も私を見ているときがある。

 私のように、何となく気になってという目ではない。

 何かを観察するような、探るような目。


 宮殿でよく見た、私の利用価値を図るような目ではない。

 もっと冷静な、学者が研究対象を見る目に近いような気がした。

 だけれど、目が合うと穏やかな笑みの下にそれは隠されてしまう。


 彼女のことが何一つ分からない。

 なのに、いえだからこそなのか、不思議と目が引かれてしまう自分のことも分からなかった。


◇◇◇


 人の住まない土地の夜は暗い。

 日が暮れるよりも早く野営の準備をしなければ、身動き一つとれなくなる。

 野営にいい場所があれば、早い時間でもそこで足を止める。

 開けた場所は論外だし、洞窟のように逃げ場のない場所も危険だから、必然的に壁を背にして警戒する方向を限定できるような場所になる。


 テントを準備して、火をおこして食事を終えるころには日も暮れて、夜のとばりが下りる。

 北の地の夜は長く、昏い。

 私たちは四人しかいないので、二人一組で交代で見張りをするしかない。それでも十分な睡眠がとれてしまうくらい長い夜。


 夜の冷え込みは厳しく、暖を取らなければ凍傷を負う危険性もある。

 私は宝具の一つ、蓮の聖盾の加護を使えば極地ですら活動が可能だけれど、加護の力も魔力を消耗する。環境が厳しいほど魔力の消耗も大きいから常に稼働させておくのは避けたい。

 テレサが敷設した寒さ緩和の結界がなければ、一晩中火を絶やさずにいても、加護なしではまともに眠れなかったでしょう。


 薪の火を挟んで、私とテレサは向かい合って座っていた。

 ケトルで沸かした湯でお茶を淹れたカップを、テレサに差し出す。


「ありがとうございます。王女殿下にこのようなことをさせて申し訳ございません」

「それ、やめてくださいませんか」


 私の言葉にカップを受け取ったテレサの手が、ぴたりと止まる。


「それ、とは何のことでしょうか?」

「私が王女であることを気にするな、などとは申しません。ですが、この旅の間はけして無礼を咎めるようなことはいたしませんので、過剰な気遣いは無用に願います。そもそも公的な立場では聖女である貴女の方が上なのですし」

「…そうですか」


 カップを両手で包みながら引き寄せて、じっと私の方を見てくる。

 また、この目。


 静かだけど、心の奥底を覗き込まれているような、そんな目。

 心の襞をなぞられているような、ざわざわとした感覚。何を考えているのかのではなく、何を想っているのかを合理的に測られているかのよう。


 王女である私の考えを推し量って、利用しようとする目なら飽きるほど見てきた。でも、これは違う。むしろ王女の衣を取り払った私と言う人間の心の形を見られている。


 何だか負けたくない気持ちになって、少し強い目で見返す。

 すると、「何ですか」とでも言いたげに小首を傾げてくる。そういう所作が幼く見えて、毒気が抜かれてしまう。


「ともかく、生死をともにするのですから、仲間としてお願いします」

「分かりました」

「では、テレサとお呼びしても?」

「もちろんです。姫さま」


 まあ、王女殿下よりはましだと思うことにしましょう。

 別に彼女と仲良くなる必要なんてないのだ。

 ただ戦闘単位として機能する関係性さえ構築できれば、それでいい。


 それに、私はこの人のことが少し苦手だ。

 自らの力だけで、完璧な聖女としてある人。どうしたって劣等感を抱いてしまう。


 王女であることに気遣いするなと言ったのも、彼女にへりくだられると馬鹿にされているように感じてしまうからかもしれない。もちろん、そんなのは私の自意識過剰だと分かってはいるけれど。


 王女と聖女なんて必要以上に馴れ合っても、王国と正教会の関係に変な影響を与えかねない。

 だから彼女とは、適度な距離を保った関係性を築ければいい。

 それで、いいはず。

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