第3話

 国民向けのパレードを終えた私たちは、そのまま宮殿で開かれる貴族や各国要人向けの祝典に参加する。

 表向きの主役は私たちだが、実際には祝典の後に開かれる、各国の首脳級の会談こそが本番でしょう。

 魔王が倒されたとは言え、それで全ての問題が解決するわけではない。


 むしろ問題は山積している。

 魔王がいなくなり、統率されなくなったとは言え、人里に出た魔獣たちの被害は続いている。統率がなくなった分、その被害は無節操になったとも言える。

 その対策に動かすべき各国の軍は一年以上に渡る防衛戦で疲弊している。

 騎士や専業軍人の育成は、時間も費用もかかる。

 魔獣被害の補償や復興もそれは同じ。

 国同士の戦争であれば敗れた側から奪うものもあるけれど、魔王や魔獣から奪えるものは少ない。せいぜいが魔獣の素体となった獣そのものくらいでしょう。

 各国の首脳は、そういった問題にこれから対処していかなければならない。


 とは言え、私がそれに関わることはない。

 私のここでの役割は、挨拶に来る各国の要人に笑顔を振りまくことくらいでしょう。

 正直なところ、テレサとのお話が失敗に終わり、自室にこもって泣いてしまいたい気分だけど、そういうわけにもいかない。


「殿下。少しよろしいかな」


 各国の首脳級の人々との挨拶を終えるタイミングで、その人は私のところに訪った。

 穏やかな声をかけてきたのは、杖を突いた小柄な初老の男性だった。

 白の正教会礼服を纏うことが許されるのは、この大陸でただ一人。その立派な礼服に反するように、左足は義足で、右目は刀傷で塞がれている。

 戦場に出たことのない貴族などは、その人を見てぎょっとして道を空ける。

 私は緊張に身を固くしながら、ドレスの裾を軽く持ち上げてお辞儀をした。


「お久しぶりです。総主教猊下」


 正教会の総主教ヨハン七世猊下。

 総主教指名権を持つ大主教の地位に若干三十歳の時に就くも、当時の正教会の腐敗を嫌って半ば破門状態で出奔。想いを共にする司祭たちを連れて戦乱の大陸を渡り歩き、人々を癒し続けた方。

 戦乱終結後は五王国の後押しを受けて正教会の改革に乗り出し、十年の歳月をかけて腐敗を一掃した。

 私たちなどよりも、よほど讃えられるべき人だ。


「成人の儀以来ですかな。お美しくなられた」


 杖を突いた姿勢が辛そうで、私は壁際に置かれた椅子に猊下を連れていく。

 椅子に腰かけた猊下は、小さく息をつき、少し体を弛緩させる。


「いや、申し訳ない。私も歳をとりました」

「お身体を労わってください」


 老いたと言っても、猊下は五十歳をいくつも出ていないはずだ。

 実際よりも老けて見えるのは、若い頃から無理をし続けたせいでしょう。


「殿下。まずは、無事にお戻りになられて何よりです」

「ありがとうございます。これも精霊のご加護の賜物と心得ております」

「ハハハ。堅苦しい挨拶はけっこうですよ」


 正教は前身となる聖教とは違い、行き過ぎた精霊信仰が生み出した実在しない精霊神を存在を崇める組織ではない。

 精霊と言う、聖剣と言う形で実在を証明しうる存在を信仰の対象としている。

 精霊は自然と言う言葉で言い換えることもできて、正教の教えは要約すれば、あらゆることに感謝して善き生き方をしましょう、というもの。


「…テレサは上手くやれていましたかな」

「え、ええ。テレサはとても優秀な法術士です」


 今あまり聞きたくない名前を急に出されて、不自然な態度になってしまった気がする。

 でも、これは良い機会なのだろうか。

 猊下であれば、テレサの事情にも詳しいかもしれない。しかし、それを本人以外から聞き出そうとするのは、何か違う気もする。


「難しいでしょう、あの子は」


 優しいが見透かすような猊下の目。

 もしかするとテレサから何か聞いているのかもしれない。

 私はきっと、今泣きそうな顔をしている。


「何が悪かったのでしょうね。嫌われてしまいました」

「殿下は何も悪くありません。悪かったのは私を含めたあの子を取り巻く全ての大人でしょうな」


 どこまでも優しい、だけどとても疲れた声だった。


「それはどういう?」

「私からあの子の事情をお話ししても、同情しか生まれないでしょう。あの子はそんなものを求めてはおりません」

「でしたら、私はどうすれば…」

「殿下は、あの子のことをどうお考えなのですか」

「私は…テレサとお友だちになりたいのです」

「そうですか。そうですか」


 猊下は嬉しそうに、でも悲しそうに何度も頷いた。


「殿下、これは私の身勝手な願いで、こんなことを言う資格はありません。ですが、どうか、あの子のことをお願いできませんでしょうか」

「私に、何ができるのでしょうか」

「殿下は殿下のままでいてください。ただ、あの子のことを諦めないでいてくだされば」

「ですが、テレサが神殿に戻ってしまったら、私にはもう…」

「それはありません」


 あまりにも強い、断言だった。


「あの子が神殿に戻ることは、ありえません。私には、あの子があの孤児院の管理をしていたことすら痛ましい。そして、そこに戻ることももうできません」

「分かりません。分かりませんが、それでしたらテレサは、この国を出てしまうのでは」

「ああ、そうしてくれればどんなにか。それすら、優しすぎるあの子にはできない」


 猊下が何を言っているのか、私にはほとんど分からなかった。

 分かったのは、テレサは私が考えの及ばないほどの事情を抱えていることだけ。


「あの子はきっと、今どこにも帰る場所はありません」


 私に頭を下げて去っていく猊下の背中は、とても小さく見えた。


◇◇◇


 煌びやかな祝典は続いているが、私の心はもうそこにはなかった。

 猊下の言葉がただ、頭の中をぐるぐると回っている。


 テレサと話しがしたかった。

 何を話せばいいのかは分からない。それでも、会って何かを伝えたかった。

 この会場のどこかにいるはず。

 今しか話す機会はないかもしれないのに、時間だけが過ぎていく焦燥感。


 引きも切らさずに、次々と自国他国を問わずに貴族たちが私のもとに訪れる。

 そのほとんどは自分や自分の息子の売り込み、遠回しな求婚だ。

 こんな公の場所で遠回しとは言え求婚されること自体で、私個人がどれだけ軽く見られているかが分かる。

 苛々を抑えるために、一口づつ口にしていた葡萄酒が積み重なって、少し頭が重くなってきている。

 何だか酔いが深まるほど、順番待ちが増えている気がする。


 もう一年も履いていなかったヒールの高い靴で足が痛い。

 旅の間に履いていた鉄板入りの革靴が恋しい。あの靴がもう足の一部のように馴染んでいる。


 何で私の前にいるのがテレサじゃないのでしょう。

 目の前には、滔々と自分語りをする何某伯爵の御曹司。

 私が近衛騎士と混ざって訓練していたのを知っているのか、自分の剣術の腕を語っている。

 と言うわりには、隙だらけだし纏った内魔力も大したことないし、片手で首をへし折れそう。


 いけない、変なことを考えている。

 鈍くなった思考に追随して、身体が反射的に動こうとした。

 でも、思ったよりも酔いが回っていた。

 足がもつれて転ぶな、とどこか冷静な部分で思った。


 だけど、後ろから腰に回された腕に支えられて、転倒を免れた。

 ほっそりとした、しなやかな腕と、私よりも少し長い指の感触。

 振り向かなくたって分かる。


「テレサ」


 不本意そうな顔で、それでも私を支える腕は離さない。

 私はその腕を抱え込んだ。


「つかまえた」


 テレサの耳元で私は囁く。

 こんなところ、王女としてはけして見せてはいけない姿だ。

 テレサにだって迷惑をかけるかもしれないのに。


「それはつかまっているだけです。お酒が過ぎていますよ」


 呆れたように囁き返してから、テレサは私の前に群れる人々に向き直った。


「皆様、殿下は長旅でお疲れです。申し訳ございませんが、今宵は下がらせていただきます」


 馬車の上でも見せた、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた、作った聖女の顔。

 その圧に押されて、私の前に集まった人々が散っていく。


 こういう人たちの相手が煩わしいって、言ったくせに。

 困っていたら、助けてくれるんだ。


「姫さま。参りますよ」


 ぶら下がるようにしていた私の腕を解いて、腰を抱えなおす。

 私は寄りかかるように、テレサの肩に頬を寄せた。

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