第4話

 テレサに寄りかかるようしながら、宮殿の中を歩く。

 酔いは歩いているうちにほとんど抜けていたけれど、そのことに気づかれたらテレサがどこかに行ってしまいそうで、言い出せなかった。

 勝手に祝宴を抜けてあとでアレクに叱られるかもしれないけど、要人への挨拶は終わっているから大きな問題にはならないでしょう。


 テレサは歩きながら、物珍し気に宮殿の中を眺めている。

 だけど、王族の居住区に入ったあたりで、雰囲気の変化に気が付いたのか、ソワソワしだした。

 調度品や内装の質も変わり、警備が厳重になり、その警備を担当するのも近衛に代わっている。


「姫さま。どこに向かっているのですか?」

「私の部屋です」


 ぴたり、とテレサの足が止まる。


「わたしは休憩所に向かっているのだと思ったのですが」


 腰を支える手が離れそうな気配を感じて、思わず腕を抱え込む。

 酔いと会場の熱気で呆っとしていた先ほどとは違い、ほっそりとしたテレサの腕の感触をたしかに感じて、心臓がざわざわする。


「ここで一人で帰ったりすると大変ですよ?」


 私は背後にちらりと視線を向ける。

 一定の距離をおいて近衛騎士がついてきている。

 近衛は王族から声をかけなければ、自分から話しかけてくることはないし、王族から離れることもない。そして、王族の許可がないものがこの場所で自由にすることも許さない。

 もし、ここでテレサが私から離れようとしても、私の許可がなければ阻止するだろう。


 テレサは眉をしかめるが、何も言わない。

 いやなことばかり言って、ごめんなさい。

 それでも、あなたとの縁を失いたくない。

 この手を離せば、あなたとは二度と会えなくなる。そんな予感があるの。


「参りましょう」


 気まずい雰囲気のまま、無言でしばらく歩くと、さして時間もかからずに自室前にたどりつく。

 部屋の前に立つ侍女が扉を開けて、頭を下げる。

 一年前も私つきの侍女だった子だ。ルーメル伯爵家の三女で、たしかテレサと同じで十七歳になるはず。

 懐かしいけれど、彼女が私を見る目を見て、親し気に声をかける気にはなれなかった。

 まるで崇拝する神を前にしたかのような、畏敬の目。


「ご苦労様です。今日はもう下がってかまいません」

「はい。かしこまりました」


 彼女は私に、友だちのように気兼ねなく話せる王女なんて求めてはいない。

 だから私も、必要以上の声をかけたりはしない。

 侍女は私たちが部屋に入ると、頭を下げたまま扉を閉める。


 その様子を見つめるテレサの目。

 その瞳が映すものが、閉じられた扉から、私へと移る。

 私は王女をしているときにその瞳に見られると、すごく緊張する。今も手汗がじわりと止まらない。

 ちっぽけな私自身を見透かされているようで怖い。


 でも、テレサの目は私から部屋へと、すぐに移った。

 そのことに安心と、少しの不満が同時に湧き上がる。


「あまり、物がないんですね」


 テレサの言葉に、私も部屋を見回す。

 寝室と言うこともあるが、たしかに寝台以外のものはほとんど置かれていない。


「旅に出るときに、ほとんどの物は片付けてしまったので」


 死ぬつもりではなかったけれど、生きて戻れるとも思っていなかった。

 事実、他の勇者たちには帰れなかった人も多いと聞いた。


「そうですか。ところで姫さま」

「何でしょうか」

「もう離していただいても?」

「あ、あ、ごめんなさい」


 私は抱えたままだったテレサの腕を慌てて離した。

 離してしまってから、急速に薄れる温もりに、寂しさを覚えた。


「ど、どうぞ、お掛けになってください」


 私が寝台を示して言うと、テレサは皺ひとつないシーツに遠慮がちに腰を下ろす。

 柔らかな寝台に体が沈み込んだことに吃驚して、一度腰を浮かせてから不安げに座りなおすのが可愛い。

 テレサと微妙に距離を空けて、私も寝台に腰かける。

 何となく気まずくて、言葉が見つからない。


「あの、ドレス脱ぎませんか?苦しくて」


 一年前までは当たり前にドレスで生活していたけれど、旅の間に動き易い服に慣れてしまった。

 お洒落も可愛い服も好きだけれど、ドレスは日常生活に向かなすぎる。


 テレサの聖女の正装もドレスほどではないにしても、それなりに肩の凝る嵩張りのはずだ。


「まあ、そうですね」


 頷いたテレサは、あっさりと服を脱ぎだす。

 ベールを外して、基本が貫頭衣に近い祭服のアレンジなので、頭からすっぽりと脱いでしまう。

 肌着シュミーズ一枚になるまで、一瞬だった。

 無造作に靴まで脱ぎ捨てている。

 躊躇いがなさすぎる!


 袖なしの肌着の隙間から覗く白い肌の艶めかしに、思わず見入ってしまう。

 谷間と言うほどの主張はしていないが、胸元が見えそう。

 いや、おかしい。何を考えているだろう、私は。

 テレサにお友だちになりたいと告白してからの私は、どこか情緒がおかしい。


 だいいち、テレサの肌着姿なんて旅の間に見慣れているはずなのに。

 それは、ほんの数週間前のことなのに。

 今はテレサの肌を見てしまうことも、見られることにも恥ずかしさを覚える。


「脱がないんですか?」


 訝し気にテレサに言われて、我に返る。


「脱ぎます!…あの、テレサ」

「何でしょうか」

「手伝ってください…」


 背中で紐で結ばれているため、一人では脱げないドレスだった。

 隣の部屋には侍女が控えているから、呼び鈴を鳴らせば手伝ってもらえるけれども、テレサと二人きりの部屋に誰も踏み込んでほしくない。


 テレサは無言で寝台の上に上がると、私の背中に回った。

 私の髪を指で梳いてまとめて、肩から胸元に垂らす。

 ひやりとした指先が私のうなじに触れて、背筋に甘い痺れが走る。


 紐を全て解いたテレサは、そのままドレスを脱がしはじめた。


「あ、あとは一人でできます!」

「動かないでください」


 静かな、でもにべもない言い方に私は固まる。

 背中から抱きすくめるようにして、テレサはドレスを脱がしていく。

 うう、羞恥で頭がおかしくなりそう。


 別に人に着替えを手伝ってもらうのなんて、慣れている。

 ローレタリア王家は自分のことは自分でできるように躾けられるけども、人の手を借りて支度することも義務の一部だし、それこそ一人で着替えることのできないドレスなどの時は侍女の手を借りるしかない。

 なのにテレサにされると、何でこんなに恥ずかしいのだろう。


「それで、姫さま。こんな所まで連れてきて、何の用ですか」


 ドレスを脱がしながら聞いてくるテレサの声は固い。


「あの、猊下から貴女が神殿に戻らないと、聞きました」


 私が言うと、舌打ちでもしそうな調子で小さく「余計なことを」という呟きが聞こえた。


「これから、どうする気なのですか」

「宿暮らしでもしようと思っていましたが…」

「え、無理ですよね」


 聖女が宿暮らしとか、外聞が悪すぎて正教会が許可するはずがない。

 だいいち、もうお披露目前の誰が聖女か分からない頃とは違う。昼間のパレードで彼女の顔は王都中に知れ渡ってしまった。

 宿になんて泊まったら、人々が殺到してしまう。

 それは、警備の厳重な本神殿以外の王都の他の神殿でも同じでしょう。


「猊下にも叱られました」


 総主教猊下に言ったら、それはそうでしょう。

 そうまでして、神殿に戻りたくないのでしょうか。


「それで、ですが。猊下から神殿に戻りたくないなら、お城にいさせてもらうように言われました」


 すごく、悔しそう。

 昼間のこともあるし、私に言いにくいのは分かる。


「どうして、私に?アレクに言えばよかったでしょう」

「アレクシス殿下には、姫さまの許可があればかまわないと言われました。国王陛下にもそれで話を通しておくと」


 ありがとう、アレク。

 でも、すごく気に入らない。

 祝典で助けてくれたのも、ドレスを脱ぐのを手伝ってくれたのも、それが理由なの?

 それは、何だか、すごくモヤモヤする。

 テレサには、私に阿るようなことはしてほしくない。


「お城の礼拝堂の控室でも貸していただければ…」

「条件があります」


 私はテレサを遮って言った。


「ここで、私の部屋で寝泊まりしてください」

「さすがにそれは…」

「いやなのでしたら、許可しません」


 言うだけ言って、私はテレサに背中を向けて寝台に横になった。

 こんなこと言って、本当にテレサがどこかに行ってしまったらどうしよう。

 泣きそうな気分で丸くなっていると、頬にテレサの指先が触れた。


「何か怒っていますか?」

「私が怒っていても貴女には関係ないじゃないですか。お嫌いなんでしょう」

「嫌いです。でも、怒らせたり、悲しませたりしたいわけではないんです」

「そんなの勝手です」


 勝手なのは私だ。

 勝手に近づいて、自分の思うようにならないとふてくされている。

 

 ふと、部屋の魔導灯が消えて、闇が落ちた。

 テレサの指は私に触れたまま。

 壁にある魔導灯の装置を、触れもせずに操作したのでしょう。

 一般人や内魔力しか持たない私は、装置に直接触れないと操作できない。ため息しかつくことができないほどの、繊細で精密な魔力操作。


 暗闇のなか、背中にテレサの柔らかな身体が触れる。

 頬に触れていた指が、頭を撫でるように髪を梳く。

 

 テレサと一緒に眠ることなんて、旅の間に慣れているはずなのに。

 北の地である魔王領は寒冷で、夜は長く、二人組で見張りをしていた。当然、パレードの時と同じ理由で、私とテレサが組むことになる。

 凍える寒さをしのぐため、人肌で温めあうのに疑問なんてなかった。

 もちろん、こんな肌着一枚の薄着ではなかったけれども。


 なのに何でこんなにも幸せな気持ちになるのだろう。

 その心地よさと、人の体の温かさに、私はいつの間にか眠りに落ちていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る