第5話「ねえ、もう少しこのままでもいいかしら?」

 マリカは夢を見た。人間だった頃の夢を。

 くまのぬいぐるみだが、ちゃんと夜は眠るのだ。


 ◇


 夢の中では、マリカは10歳ぐらいの人間の女の子の姿をしていた。

 照明も窓もない、真っ暗な廊下を一生懸命走っている。

 

 そして、何かから逃げている。

 はぁはぁと息を切らし、だんだんと足に力が入らなくなってくる。それでもマリカは走り続ける。

 捕まってしまうと――どうなるかわかっているから。


「待ちなさい……待ちなさい、茉莉花まりか!」

 後ろを振り返ると、白衣を着た老人が追いかけてきているのがわかった。

 その姿を確認すると、マリカはまた、前を向いて逃げ続ける。


 どこまで逃げ続ければいいのかわからない。気の遠くなる時間を走り続けたマリカは、ついに胸が苦しくなって立ち止まってしまった。膝に手を置いて、苦しそうに息をする。


 すると目の前に白衣を着た老人が現れた。老人は息ひとつ切らしていない。まるで瞬間移動をしてやってきたかのように。「ひっ!」とマリカが声を出して後ろを向くと、後ろにも同じ格好をした老人が立っていた。続けて右にも左にも。やがて自分の視界を埋め尽くすほどの数の老人がマリカを取り囲んだ。


「さあ、茉莉花まりか。言うことを聞くんだ」

「いや!」


 老人の手が四方八方から伸びてくる。その手はマリカの腕を掴み、足を掴む。じたばたする彼女の服も掴む。


「さあ、大人しくしなさい」


 老人の別の手が伸びてきて、マリカの口を塞ぐ。さらにもう一つの手が彼女の視界に覆いかぶさった。


 ◆


「――はっ!」

 目を覚ますと、そこは真っ白い壁に囲まれた研究室のような場所だった。彼女は部屋の中心にあるベッドの上に寝かされていた。


 起き上がろうと思っても手足ががっちりとベッドに固定されていて動くことができなかった。首も同様に持ち上げることができず、横に少し傾けるのが精一杯だった。


 そんなマリカの視線の先にはたくさんのコンピュータが並んでいて、そこからたくさんのケーブルが伸びていた。そのケーブルの行き先を目で追うと――自分の頭のてっぺんとつながっていることがわかった。


「何よ、これ!」

 動こうにも、首と手足をがっちりと固定され、どうしようもできない。そこに、先ほどの白衣を着た老人の姿が現れた。


「もうすぐ世界は崩壊する。茉莉花まりかが生き延びるにはこの方法しかないんだ」

「いやよ、いや! こんなことをするぐらいなら死んだほうがマシよ!」


「そんなことを言うんじゃない……せっかくの才能をここで終わらせるわけにはいかないんだ」

「やめて!」


 老人はマリカの言うことに耳をかさず、目の前にあるスイッチを押した。


「いやあああぁぁっ!」

 マリカの夢はいつもここで終わる。


 ◇


「――マリカ、大丈夫?」


 マリカはアンジュの腕の中で目を覚ました。どうやら抱きかかえられたまま眠っていたらしい。空を見るとまだ薄暗く、いくつかの星が輝いているのが見えた。地平線の方がうっすらと明るくなってきていて、もうすぐ夜が明ける。


 こんな朝早くから、アンジュは次の目的地――ヴァルク野村から教えてもらった、アイスクリームが売っているかもしれない集落――を目指して歩いていたのだった。電灯がほとんど機能していない現在、夜の移動は誰からも見つかりにくく、昼間と比べると比較的安全なのだ。


「あ、アンジュおはよ……あたし、うなされてた?」

「ええ。いつもと同じようにね」


 相変わらずアンジュの表情は感情に乏しいが、彼女のは優しくマリカの頭をなでなでしていた。それがマリカには心地よかった。


「ねえ、もう少しこのままでもいいかしら?」

「ええ――」


「――どうせ、いつものように二度寝するんでしょ?」

 少しだけ、アンジュの顔が笑ったように見えた。

「ムッキー! 今日はしないもん、いつもいつもそんなことばっかり言うんだから! 歩く! 歩くから離しなさいよ!」


 腕の中でジタバタするマリカを、アンジュはさらに優しく包み込んだ。そして赤ん坊をあやすように、背中をトントンと軽く叩いたり、さすってみたり。


「はいはい、ごめんねマリカ。街に着くまでもう少しおやすみなさいね……子守唄でも歌ってあげましょうか」

「赤ちゃん扱いするなぁ!」

 と抵抗しながらも、だんだんと心地よさを感じて再び眠りに落ちるマリカなのだった。わかっているのだ。アンジュがわざとこんなことを言って、嫌な夢を忘れさせようとしてくれていることを。


「むにゃむにゃ……ありがと……アンジュ」

 マリカが寝ぼけたフリをしているのか、夢を見ているのかわからないが、はっきりと聞こえる声でそう言った。

 アンジュはその言葉に対して特に反応することもなく、左手でマリカを優しく抱き続けた。


 それから少しして。

 アンジュの右腕に、ゆっくりとロケットパンチが戻ってきた。そして「ガチャリ」と、いつもよりも静かに接続されると、アンジュは軽く右手を握ったり広げたりして感触を確かめた。

「マリカ……ありがとうを言うのは……私の方よ」


 遠くの山の裾から朝日が上ってくる。

 目指すべき次の集落はもうすぐそこだった。




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 こんにちは、まめいえです。お読みいただきありがとうございます。

 ちょっと今回はおふざけ要素なしでシリアスな内容になってしまいました。いつもぎゃあぎゃあ言い合う二人だけど、実はお互いのことが大好きなんだということが伝わったらいいなと思って書きました。

 少しでも「面白い!」とか「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひぜひレビューやフォロー、応援コメントをいただけると嬉しいです。

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