第6話『契約の計画』
近所のスーパー。毎日何らかの魚や野菜のセールがあり、どこかの市場と直接繋がっているであろうと推察されるこのスーパーは、夕方の半額セールを狙った買い物客で、ごった返していた。
僕とリリスは、このスーパーに、ある"契約に必要なもの"を買い出しに訪れている。
「値段は気にしなくていいのか?」
「ええ、それなりのものなら何でも大丈夫よ」
「うーん、それなりって言っても、買ったことないからなぁ。どれが美味しいとか、あるのか?」
「っ、もちろんよ!」
彼女の爛々と輝く瞳を見て、あ、これ地雷踏んだんじゃないか、と僕は悟ったのだが、時既に遅かった。
「値段の高いものほど美味しい、という訳ではないのよ。確かに値段は良い保証にはなるけど、安いものだって飲む人にとっては美味しく感じたりするわ。それにお酒って、ジンとかウォッカとか、アルコール度数の高いものは基本的に高いし、そもそもそういうものは人を選ぶでしょう? だから自分に最適な味のものを選ぶのが正しい選び方ね。それと、お酒っていうのは発酵食品だから、アルコールによる発酵が進んでいればいるほど味が深くなるの。長いのだと数十年もなんかがあるのよ。あ、ちなみに 発酵っていうのは糖分がないと進まなくてね――」
「もういい、もういい、もういい! お願いだから黙れ!」
夕食の食材を買いに来た周りの奥様方の視線が痛い。物珍しそうに、こちらの様子を伺っている。中には失笑している人も居た。夕食の肴にでもされたら、たまったもんじゃない。
「ちぇー、章から訊いてきた癖して」
「もういいから! 全くお前と歩いてるところを知り合いに見られたりなんかしたら――」
「アキ君……?」
「――は」
不意に背後から馴染みのある声がかけられ、思わず間の抜けた声が出た。
「何してるの、こんなところで?」
振り返ると、そこには、幼馴染でありクラスメイトの、
彼女の姿はと聞かれると、まず、髪を明るめの茶色に染めている。長さは肩にかかるほどで、毛先には軽くパーマがかかっている。瞳は黒く、垂れ目で、綺麗系というより可愛い系だ。端的に説明するとすれば、こんなところだろうか。
「詩織、何でお前がこんなところに!?」
「こんなところって……ここはスーパーなんだからお遣いに決まってるじゃない」
「それもそうだよな……ははっ……」
ミッキー○ウス顔負けの愛想笑いをする僕。
内心はそれほど、いや、全く愉快ではない。
「アキくん、笑顔、わざとらしいよ? ……あれ、後ろの女の子は、誰?」
……げ、と思い、首筋の筋肉が強張った状態で、ゆっくりとその『後ろの女の子』を視認する僕。するとそこには、澄ました顔で、礼儀正しくかしこまるリリスが。その様子は、先程とは別人のようだった。
「……え? …………え? 誰? お前――ぃ痛っ!」
詩織に見えない角度で、器用に僕の背中をつねるリリス。
「リリスと言います。章の遠い親戚で、両親の都合で章君の家に住まわせてもらってます」
「そうだったの。初耳。歳はいくつなの?」
「17歳です」
「リリス、それはもしかして永遠の17さ――あっぐっっ!」
詩織に見えない角度で、器用に僕の背中を殴るリリス。
詩織の方はというと、リリスの話を素直に信じ込んでいるようだ。
「じゃあ、同い年だね」
「いやいやいや、ちょっと待って! 今の見えてたよね? 絶対見えてたよね!?」
「アキくん、どうかした?」
「見えてないの!?」
彼女――詩織――は、天然なところがある。だからこそ今助かっているのだが……いや、これは助かっているのだろうか……?
「もう少し丁寧に説明すると、両親が海外赴任になってしまって、章君の家に居候することになってしまったんです。学校も一緒になると思うので、よろしくお願いします!」
「ご近所さんだね。よろしく♪ それじゃあアキ君、私は買い物の続きがあるから、また明日ね」
僕とリリスは精一杯の作り笑顔で手を振った。こうして結城詩織は、台風のように訪れ、台風のように去っていった。
「…………」
無言でリリスを恨めしく睨みつける僕。
「……私、悪くないからね」
僕は思わず、溜息をついた。
──そして僕は、リリスが小声で独り言ちていたのに気付かなかった。
「……まさかね」
*
こうして僕らは主目的の赤ワインを買い終えると、追加で二階の百円ショップで蛍光塗料とカッターナイフを買い、帰路についた。
「で、結局二千円の赤ワインか……」
高校生の僕にとって二千円の出費はかなり痛い。来月発売のゲームももう買えなくなってしまったので、来月の余暇は図書館でSF作品を借りるか、ネットサーフィンをして凌ぐしかない。せめてこのワイン、一口くらい飲めればいいのに……。魔方陣を描くことに使う訳だから、全て使い果たしてしまうのは間違いないが。
ここでふと、僕の頭に疑問が沸き上がる。
「そういえば何で赤ワインで魔法陣を描くんだ?」
「ああ、身体に宿す聖霊が赤ワインを好むからよ」
問うことを予測していたのだろうか、即答だった。
「なるほど、わかりやすいな」
「あとは、血の代用ね。それと……章は、『最後の晩餐』って知ってるかしら?」
あまりにも唐突過ぎる話題転換に、思わずうろたえる。
「え? あ、ああ。一応、知ってるけど? レオナルド・ダ・ヴィンチが真っ先に思い浮かぶよ。尊敬する学者の一人だ」
リリスはこちらの返答に感心するように頷くと、再び話し始めた。
「『最後の晩餐』で、キリストは十二使徒に、赤ワインを血として、パンを肉として分け与えたでしょう? キリスト教の領域である『魔法』は、キリスト、あるいはそれに与する聖霊の、奇跡の力を借りるものなの。だから血の代用品として、赤ワインで魔法陣を描いて、残りを聖霊に捧げるのよ」
僕はオカルト方面に興味があるので、彼女が話してくれた
その後、帰宅して自室のドアを閉めた瞬間、まるで用意していたかのようにリリスは口を開く。
「決行は午前3時に近くの霊山で行うわ。私は仮眠を取るから、魔法陣の書き方、儀式のやり方については魔導書形態の私をよく読むこと」
突然一気呵成に話し出したリリスに困惑する僕。
「どうしたんだいきなり、何を焦って……って」
瞼が重そうにしている彼女を見て、僕はその心の内を察した。
「ああ、眠いのか」
「……別に」
リリスは素っ気ない態度で応答する。
素直に認める性格でもなさそうだ。
「一つ聞いていいか? 普段、魔導書にならないのは何か理由が?」
「特に無いわ。実体形態が好きなだけ。でも、魔導書形態の方が不思議がられずに済むからね。だから仮眠を取る時は常に魔導書形た――ふぅわぁあ~」
「…………」
「…………」
突如として、お通夜のような静寂が部屋に訪れた。ただひたすら時間だけが流れ、僕は笑いを堪えるのに必死だった。
「……え」
「……何よ!」
つよきな ことばとは うらはらに リリスは はずかしそうに こちらを みている。
「え、お前今の――」
「今の誰にも言っちゃ駄目だからね!? 絶対だからね!?」
「お前の知り合いなんて一人も知らな――」
「うるさい馬鹿ぁ!」
僕の真正面から、器用に僕のみぞおちに正拳突きをかますリリス。そして彼女は、逃げるように魔導書形態へと戻った。
「気にしすぎ……っ……だろ……」
倒れながら、これからは、リリスはこういうとき、そっとしておこう、と思う章こと、僕であった。
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