第4話『記憶と意識』

 意識が戻ると、蛍光灯らしきものが、ぼんやりと目に映った。「ここはどこだ?」と思い、二、三度、瞬きをしたところ、そこが自分の部屋の中だとわかった。傍らに誰かが佇んでいる。

 誰なのかが気になり、そちらへと視線を投げかけた。すると、椅子に座って手と足を組んでいるその少女は、僕に優しげに話しかけてきた。


「目が覚めたみたいね」


 鈴を転がすような声色こわいろに一瞬ドキッとするも、すぐにどこかで聞いた声音だと気付く。僕はベッドの上でおもむろに起き上がった。


「君は誰だ……? 何故僕の部屋に居る」

「よく、気絶する前のことを思い出してみなさい」


 気絶……?

 彼女の実直な言葉に促され、僕は目を閉じ、ゆっくりと自らの記憶を反芻はんすうした。


 そうか。いきなり猛獣に襲われて、廃ビルまで逃げて、そしてリリスと契約して、魔法を使って猛獣を倒して、その後気絶したんだっけ。


 ふと時間が気になり、腕時計を見ると、時針は五時を指していた。淡い橙の光が窓から差し込んできているので、午後五時だろう。


「夢じゃ、なかったのか……。ということは、お前、リリスなのか?」

「その通りよ」


 泰然とした態度で返答するリリス。僕は初めて視覚化した彼女の姿を改めて眺め、思わず言葉を失った。

 ルビーのような瞳、清流のような灰色の長い髪、雪のように白い肌。

 なんて麗らかな姿をしているのだろう。彼女のそれは、まるで絵本の中から飛び出してきた姫のようだった。

 思わず見とれてしまい、数秒の時が、無為に流れた。


「さて、あなたが何故気絶したのか、説明させて貰ってもいいかしら?」

「あ、ああ、大丈夫」


 どうしよう、こんなに綺麗な姿をしているなんて聞いてないぞ……。

 僕はなんとかそんな内心が態度に現れないように努めて答える。


「まず、あなたが気絶したのは、体内の魔力が尽きたからよ」

「体内の魔力?」


 オカルト知識は人並み以上にあるつもりだが、実際に魔力といわれても、今一つ想像がつかない。


「それはわかりやすく言うとどういうものなんだ?」

「ああ、わかりやすく言うと……精神力ね。生きるためのエネルギー」


 僕の質問に、リリスは左手の人差し指を振り回しながら、淡々とした説明口調で応えた。


「なるほど、僕はそれを使い切ったから気絶したわけか。つまり、僕は生命力を使い切り気絶した、と。……いや、ちょっと待て、洒落にならないぞその説明」

「何故かしら?」

「この前みたいな猛獣に狙われたら、生命力を失って、また気絶し兼ねない訳だろ? 頻繁じゃないにしても、遭遇する度に気絶なんかしてたら、まともな生活なんて出来るわけがない」


 室内の蛍光灯は、どこか人工的で冷ややかな光で僕らを照らす。多少の肌寒さを感じたので、僕は背後からリモコンを取り、暖房を付けた。


「あれはかなり稀なケース、図書館を出た直後に襲われたのは、ただの偶然よ。普段は全く遭遇しないと思ってくれていい」

「そうか、それなら良かった。これから狙われ続ける訳じゃないんだな」


 ここでふと僕の頭の中に、一つの疑問が湧き起こった。


「でも、街中であんな猛獣が出たら大きな騒ぎになるんじゃないか? 大丈夫なのか?」

「大丈夫、魔獣を見た人の記憶は消したわ」

「そんなの、どうやって」

「この道具よ」


 リリスは右手を差し出し、その腹を上に向けた。すると、掌の上部の空間が、熱気を帯びた空気のように、球上に歪んだ。ぼんやりとした輪郭が、段々とはっきりとしたものになっていく。その輪郭が周りの風景とはっきりと区別出来るようになった時、直径十センチメートルほどの透明な球がそこに出現した。


「凄いなそれ! 水晶か何かか?」

「違うわ。この世の物質ではないわね。オリハルコン、っていうものよ。究極の金属。加えて、それに魔法を付与したもの」

「オリハルコン!? 凄い! 凄いじゃないかリリス!」


 僕は歳にもそぐわず興奮をあらわにした。


「これを真上に投げると、最高点に達したところで一閃して、周囲の人の魔法や魔術に関する記憶を消すことが出来るの。余程私と近距離に居ない限りはね……って」


 リリスは僕の表情を見ると、おかしそうに笑いをこぼす。


「な、何がおかしいんだよ」

「いえ、幼い子供みたいだと思って。クールな印象だったから、意外だったのよ、そのはしゃぎよう」

「……別にはしゃいでたわけじゃないって」


 穏やかな微笑みを浮べながら、柔らかな笑い声を上げるリリス。そんな彼女の無邪気な笑顔を見て、僕の鼓動は少しだけ速まった。


「……どうしたの?」

「なんでもない」


 悟られてないか、少しだけ心配になった僕は、話題を変えることにした。


「ところで、気絶後にどうやって僕はここに戻ってきたんだ?」

「私が抱えて運んであげたわよ」

「ああ、なるほどな」


 彼女の淡々とした回答に、僕は大きく頷く。


「……はい?」


 頭の中が疑問符で満たされる。

 今こいつ、何て言った……?


「ごめん、聞き間違いだと思うからもう一回」

「何度も言わせないでよ。ここまで私が抱えて運んだって言ってるのよ」

「はぁああああ!? い、いや、どうやって?」


 淡々とした態度の自称天使とは裏腹に、大声を出しながら露骨に焦る僕。


 とりあえず深呼吸をしよう。


 スー、ハー。スー、ハー。


 ……よし、少し冷静になった気がする。


「ああ、いや、こっちの解釈が間違ってたんだな。本当か? かなり距離あるだろ。どうやって運んだんだよ」

「空を飛んできたのよ。あなた抱えて」

「どこからツッコめばいいんだよ! というか不法侵入だぞマジで! どこから入ったんですか!」

「窓から」

「はい?」

「窓から入ったのよ」


 予想外の返答に、僕はあんぐりと口を開け、そのまま硬直する。


「口開いてるわよ」

「そりゃあ開くわ! 何で窓からなんだよ!」

「いや、玄関の鍵を開けて人に気付かれたらまずいと思って……」

「それもそうか……。……いやちょっと待て、玄関の鍵開けるって何? 合鍵ないよね? ピッキング技術でもあるの?」

「あるわ」

「あるのかよ! もう驚いてたまるか!」

「でも換気してたのか窓は開いてたわ、残念」

「ピッキングする手間が省けて良かったな!」

「魔法で開ける手間が省けたわ」

「ピッキングじゃなくて魔法なのかよ! 随分夢のない魔法だな! というかそもそも何でうちの住所知ってるの!?」

「私の魔法よ。白地図に場所を映し出したの」

「何でもありかよ! もう魔法で全部納得させる勢いだな!」

「ねぇ、そろそろ本題に移らない?」

「ほんと勝手なお前……」


 僕は彼女の非常識さに呆れ、こめかみに手を当てて溜め息を付いた。

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