第36話 エスカのための一枚【ライラ目線】

 日が傾き、その光が赤くなり始めた頃。

 エスカとライラは、機織りの魔法に挑戦していた。


 ライラは魔力を練り上げ、エスカの作った魔法を展開。構造式を現す。

 それは糸車。そこから文字通り、魔法が紡がれて。

 淡く発光する、四角い手織り機になった。


 ライラはそっと息を吐く。

 ここまでで、十分高度な魔法だ。

 成立自体は、確かにかなり容易になったが。


「ここからだな」


 その声を聴いて視線を上げると、傍に立って様子を伺っていた姉と目が合った。

 彼女の黒い瞳が、優しく自分を見つめている。

 ライラは頷き、次の魔法を構築しにかかった。


 この魔法は、機織り。織機そのものを用意するだけではない。

 魔法の成立そのものを平易にするため、工程を分け、一つ一つを複雑化した。

 まだ、先がある。


 糸車から二つ目の魔法が、紡がれた。

 伸びた薄い光が、経糸たていととなって織機に張り巡らされていく。


 うっすらと、ライラの額に汗が浮かぶ。

 歯を食いしばり、気合いを入れ直した。


「もう一つ……!」


 三つ目は緯糸よこいとを通すための、の用意だ。

 糸車から魔力が溢れ、魔法の杼が形成される。


 これで一応は、形になった。

 だが、まだ終わりではない。

 ここからさらに、糸の魔法を生成しながら布を織っていく。


 一つ一つの魔法は確かに、比較的簡単に成立した。

 だが、制御がとても重い。油断するとすぐにどれかが、ぶれそうになる。


 魔法の完遂……布を織り終わるまでは、集中を切らせない。

 ダメになったら、途中まで織った布は消える。

 最初から、やり直しだ。


 ライラは瞳に、力を込める。

 ゆっくりと、手織り機がひとりでに動き出す。

 杼が通り抜け、糸が交差し、詰められていく。


「ライラ」


 エスカが、そっと妹の髪を撫でた。

 ライラは体がびくりと震えそうになるのを、懸命に堪えた。

 瞠目し、潤もうとする瞳を隠す。


「……なに? お姉ちゃん」

「今日で完成させなくていい。魔法自体も、改良の余地がある」

「……………………うん」


 意地になろうとしたものの、ライラは言葉を飲み込んだ。

 ライラが目を開けると、エスカは少しほほ笑み、自分の席に戻る。


 エスカはペンをとり、新しい紙を取り出し、また式を綴りだした。

 走るペン先、姉の穏やかな表情に……ライラの視線が、吸い寄せられる。

 かつて何度も、あの小屋の窓の外から見た美しい光景が、彼女の目の前にあった。


 エスカを初めて見かけたのは、10年は前のことだ。


 物心がついたばかり、まだだいぶお転婆だったライラ。

 屋敷の庭をこっそり一人で走り回っていた、夏の日。

 たまたま見つけた、ぼろい離れ。


 近づいてはならないと、禁じられていたはずのところだったが……好奇心が勝った。

 ライラが恐る恐る近づくと、開いた窓からかすかな音が聞こえた。

 それはペンが走り、紙に文字を書く音だった。たまに、独り言も聞こえた。


 音の先に……黒い蝶のような女がいた。


 その頃のエスカは、髪もほどほどの長さで整えていて。

 食事も少ないながらとっており、肌艶もよかった。

 恰好こそみすぼらしかったが……ライラは素直に「きれいなひと」だと思った。


 幸福溢れるエスカの顔は、本当に美しかった。


 気づけば……今のような赤い陽射しが差す頃まで、ずっと彼女の様子を見つめていた。

 見惚れていた。目が離せなかった。

 幼い自分は、その時のことを正しく理解できてはいなかったが。


 あれは。


(私の、初恋)


 そっと現在のエスカから、目線を外す。

 廻り続ける糸車に、意識を戻す。

 しかし惑いつつも……ライラの視線はまたエスカに戻った。


 姉のために、なんとしても魔法を完成させたくはある。

 だが同時にライラは、エスカが文字を書く光景を、いつまでもいつまでも見ていたかった。


 自分のためにエスカが手ずから魔法を作ってくれることに、胸は高鳴り。

 本当にあっという間に魔法ができていき、姉のすごさが我がことのように誇らしく思え。

 幸せな空間にいられて、ライラは頭が蕩けてしまいそうな思いすらしていた。


 ずっと。ずっとこうしていられたら、いいのに。


(けれど)


 だがそういう願いは、得てして叶わないものなのだ。

 幼き日の自分にも、二つのものが立ちはだかった。


 まず一つは……父。

 小屋に通ううち、使用人にそれを見咎められたようで……告げ口されていた。

 行ってはいけないと言われていた離れに近づいた罰を、受けることになった。


 魔力制御の訓練も兼ね、エスカを鞭で打つという罰だった。

 忌まわしい記憶を思い出し、無意識に手が強く握り込まれる。

 ライラは少し頭を振って、もう一つのことに意識を向けた。


 さんざん悩んだことだ。未だに答えは出ていない。

 それは、性について。


 女同士は結ばれない。法でも、信仰においても、そう規定されている。

 そのことを知ったのは、エスカに出会ってから随分後のことだった。

 誰にも話せず、一人思い悩んだ。自分は男なのかもしれないと、考えたこともある。


 だが心身ともに、自明なほどライラは女性だった。

 女らしくあれという教育も教養も、自然と身に着いた。

 一方、戦闘や魔法に関しては、貴族の倣いだと言われてもなかなか上達しなかった。


 自分は確かに女で。だが好きな人は、女性で。

 悩んでいるうち、気づけばそろそろ、嫁へ行かされる年になっていた。

 父や兄がアレなこともあり、男性と結ばれるのは、正直ぞっとしない。


 迷いながらも日々は過ぎ、学園に通うこととなった。

 家族の元から離れたライラは、早速行動を起こした。

 自分の気持ちには整理がつかなかったものの、それよりも大事なことがある。


 ロイズから、あの地獄からエスカを救い出す。

 家族と名乗る烏滸がましい連中は、一人残らず滅ぼす。

 その結果、自分がどうなっても構わない。


 だがその前にエスカは、嫁に出され。

 奇妙な縁を辿って、自分は今、彼女のそばにいる。


 そう。エスカは嫁に出された。

 彼女は、エスド子爵の妻に、なる。

 そのことを思うと。


 胸が、とても、痛む。


(私は、どうしたら……)


 どれほど悩もうとも、その想いが身を結ぶことなど、ない。

 口に出すことすら、危うい。

 せめてエスカの役に立てればとは思ったが、それすらもままなってはいない。


 せっかく姉が作ってくれた魔法にも、集中できていない。

 気持ちばかり、乱れて。

 ……私は、何をやっているのだろうか。


「あら。魔法、終わったわね」


 メリーの言葉に、ライラは我に返った。

 顔を上げて見れば、確かに糸車が消えて。

 一枚の布が、残っていた。スカーフくらいのサイズだ。


 どういうことだろう。集中などとうに乱れ、魔法はすぐ切れると思っていたのに。

 だが布は確かに残っており、手に取ると……不思議な温かみを感じた。

 ライラはその熱が、自分の想いそのものなのだと、静かに理解した。


 秘められた、決して口にできない、想い。


「さすがだ、ライラ」


 エスカの声は弾んでいて……ライラの布は、温かさを増した。

 ある意味、初めて現実に出された、ライラの気持ち。

 得意と想いが、魔法で織りあげられた、布。

 

 ライラは己の気持ちを目の当たりにし、少しためらい、惑った。

 だが彼女はその布の温かみから、自分の想いから、目を逸らすことができなかった。


(この布は……私、そのもの)


 布を少し、握り締める。

 その白銀の布を映す、赤い瞳が。

 静かに、燃え上がった。

 

 ならば――――こんなものでは、不足だ。

 

 ライラは覚悟を決めると、息を吐いて。

 布から糸を、引き出した。

 あっという間に、ただの糸束に戻っていく。


「……まだまだよ。何度でも練り直すわ」


 そうしてまた、糸車を出現させる。


 ――――そう。私の想いは、こんなものではない。


 迷いが晴れたわけではない。

 胸の痛みは消えていない。

 だがライラは、見てみたくなったのだ。


 自分の想いの猛りを。その、果てを。


 心のすべてを練り上げて、一枚の布にしてみせよう。

 エスカを守るのは、あのカニでも。

 メイルでもない。


 この私だ。


 ライラは、静かに自身と向き合い始めた。

 彼女は何度も何度も、布を編み直し続ける。

 布は少しずつ、少しずつ、大きく温かくなっていった。

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