第35話 エスカの味方

 メイルたちと別れ、中庭を辞し、屋敷へ戻って。


 恥ずかしながら、エスカは。

 しばらくメリーの手を、離せなかった。

 これまでの自分を、理解してしまって……怖くなったのだ。


 メイルを目にしたとき、たびたび先走った真似をしていた、自分。

 その根源を、どす黒い何かを知ってしまった。


 強い好意。そして嫉妬心。怪物の……片鱗。


 彼の前にいれば、きっとアレは何度でも顔を出す。

 良い結果など、もたらさない。いずれ自分を、狂わせる。


 大事なハッピーの一員で、男だと認識しているマジックでも、不意にああなった。

 メイルが女性と仲良くしていたら、どうなってしまうか、わかったものではない。


 そう。エスカは理解してしまった。

 これ以上気持ちが傾けば、本当に取り返しがつかないことになる、と。

 やはり自分はメイルを、愛せないのだと。


 そして、怖くなった。

 彼に、嫌われるのが。

 とても、怖い。


「大丈夫よ、エスカ」


 エスカの手を引き、前を行くメリーが、少し振り返る。

 優しく、暖かな微笑みを浮かべて。


「あなたには、たくさんの味方がいるの。

 私たちもそう。メイルくんや、ウィンドの人たちもそう。

 グレッソたちも、文通仲間も頼りになるわ。

 それにね」


 メリーは一つの扉をノックした。


「あなたの大事な家族が、いるでしょう?」


 そして返事も聞かずに、ドアを開けた。


「あら戻ってらし……え、ちょ! メリー!?」


 部屋の中から、抗議の声が上がる。

 ライラだ。

 椅子に腰かけ……どうも、縫物をしているようだ。


「まーまー。私のことも、お姉ちゃんって呼んでいいのよ? ライラ」


 エスカの手を引いて、メリーがずかずかと部屋に入る。

 エスカは少し嘆息し、扉を閉めた。

 ライラも同じように息をつき、浮かせていた腰を戻す。


「私の姉は一人だけよ」

「ふふ。妬けるわねぇ」


 メリーは勝手に椅子を引き、ライラの対面に座った。

 考えがあってのことだろうと、エスカも別の椅子に座る。


「……何しに来たのよ、メリーは」


 ライラは縫いかけのものをサイドテーブルの籠に入れ、隅に控えていた侍従を呼ぶ。

 お茶の準備を申し付け、メリーに向き直った。


「たはー! お姉ちゃんはいつ来てもいいってことね! だからお届け」

「は?」

「ねね、何を縫ってたのよ」


 メリーが自分のペースで話を進める。

 ライラは、エスカの方をちらりと見て。


「私も、自分にできることをしたかったの。

 お姉ちゃんの頭を守るのがカニじゃあ、あんまりだわ」


 エスカは不覚にもじーんと来て、涙がこぼれそうになった。

 お姉ちゃんとまた呼ばれて、素直に嬉しかった。


「あれで必要なんだけどねぇ。デザインは最悪ね」

「デザイン以前の問題でしょうに」


 それについてはとても共感したエスカだったが、少々別のことが気にかかった。

 ライラが置いた、縫物……ストールと思しき布だ。


「ライラ。布に魔法を籠めているのか?」


 エスカが尋ねると妹は、はにかむようにほほ笑んだ。


「ええ。といっても、魔力を注いでいるだけなのだけど」

「魔法は苦手なの? ライラは」


 メリーがエスカに向かって聞く。


「ライラは力が強すぎるんだ。魔法として成立させるのが、大変なんだよ」


 エスカはロイズにいたころ、ライラとまともな接触はほとんど持てなかった。

 だが幼いライラが、よく物を壊していたことなどは聞き知っていた。


 そして検査のため、医者を呼んだこともあり……この手配はエスカがしている。

 当然、結果も知っている。


 ライラは魔力が強大すぎて、それが腕力などに出てしまっている。

 魔法の使用も、かえって困難になっていた。

 普通の魔法は、もっと魔力が少ない人に向けて作られているのだ。


「少しは使えるようになったのよ? でも攻撃魔法とか、性に合わなくて」


 わかる。ライラは心優しい子なのだ。エスカは深く頷いた。

 そしてふと、思い至った。


「ひょっとして、私を鞭で叩かされていたのは?」

「っ。加減を覚えろと、言われて……その」


 ライラの怪力は、魔力由来。その制御を身に着けるために、エスカを鞭で叩かせていたということのようだ。

 物に魔力を流して使い、その効力を確かめ、調整する。確かにそういう、鍛錬方法はある。

 結果、縫物くらいは問題なくできるようになった、ということのようだ。


 エスカは納得した。

 なるほど。自分が何度も死んだ甲斐は、あったようだ。

 ただ辛い目に遭わせたのではなく、妹の助けになれていたと知り、エスカは自然と笑顔になる。


「成果があったようで、何よりだ」


 エスカが優しく応えると、ライラの強張った顔からも緊張が抜けた。


「……ありがとう、お姉ちゃん」


 互いに笑顔になり、少し無言になった。

 そこへ、ちょうどよくお茶が運ばれてくる。


「野暮を承知で話を戻すけど、魔力籠めただけの布じゃあ、ちょっと不足よ? ライラ」


 本当に野暮だとエスカはメリーに突っ込みもうとしたが、ライラの沈痛な面持ちを見て、やめた。

 魔力を籠めて作った品と、魔法で作った品では、雲泥の差があるのも確かだ。


 もちろん、どちらでも多少の効果はある。

 そして魔法が効かないエスカであっても、魔力や魔法で作った品の恩恵は受けられる。

 ライラはそれを知っていて、まさに自分のできることをしていたのだろう。


「私じゃ、針と糸みたいな細やかな魔法は使えないの。

 向いてるのなんて、縫物くらいなのだけど」


 魔法は、地味で精密なものほど制御・成立が困難になっていく。

 派手で豪快な攻撃魔法の方が、簡単に使用でき、制御もまったく要らない。

 生活で使えるような細々としたものの方が制御困難で、用途が地味で単純なものほど使用そのもののハードルが高い。


 「他のものごとで代用可能なものほど、魔法としては不向き」らしい。


 針と糸を魔法で作って布を縫うとなると、相当なものだ。

 ここまでの難易度となる場合、その人間が縫物をするのに向いていて、かつ専用の魔法構築が必要になるだろう。

 その上、ライラは大きな魔力で魔法成立が困難。


 エスカは静かにお茶を飲んでから……また嘆息した。

 メリーはちゃんと考えあって、エスカをここに連れてきたようだ。


 彼女はつい先ほどまで、自身に立ちはだかった困難に思い悩んでいたが。

 大事な妹の献身を前にして、そんなものは吹き飛んでしまっていた。


 この子の、ライラの力になりたい。


「ライラ」

「なぁに?」

「見せてもらっても?」

「……うん」


 ライラは籠から布を取り出し。


「ああ、その針と糸もだ。外さないでくれ」

「わかった」


 エスカの言うことを素直に聞いて。

 少し悩んで、籠ごと渡してきた。

 受け取ったものを、エスカは手に取って一つ一つ確かめる。


 布、針、糸。すべてに温かみがある。

 相当な魔力を注ぎ込んでいるのが、わかる。

 ここまでやると普通、魔力が欠乏して昏倒するだろう。


 だがそれだけ……やはり魔力だけだ。魔法の残滓はない。

 これでは、強度が得られない。

 エスカは糸を抜いた針を手にとり、少し思案する。


 そして、一つの光明を見出した。


「針と糸じゃないと、布は縫えないのか?」


 エスカの言葉に、ライラは驚き、目を丸くした。


 魔法成立の困難性を下げたいなら……魔法自体を、複雑なものにすればいい。

 ただの針と糸より、複雑な織機でも作った方が、魔法としては成り立ちやすいのだ。

 その代わり、制御が非常に難しくなる。


 だがきっと、この子なら。


「君の……機織りの魔法を作ろうか、ライラ。

 私はそういうのが、得意なんだ」

「お姉ちゃん……」


 しばし、静かに見つめ合う。


 ほほ笑みながらお茶を飲むメリーの、啜る音だけが響く。

 かなり豪快に響く。


 ……大減点だ。

 いかなメリーと言えど、その無作法は許されぬ。

 エスカは針頭をメリーに向け、回転を加えて投げた。


「おぅっふ」


 メリーの額に針が当たり、すこーんといい音がした。

 いやよく響くな? そうは鳴らんやろ?


 エスカは跳ね返ってきた針を受け、布と一緒に返そうとしたが。

 ライラは背を向け、肩を震わせていた。

 メリーの方を見ると、なにかびくびくと悶えていた。


 エスカは布と針を籠に納め、優雅にカップを持ってそっと茶を口に含む。

 二人とも、まだまだ淑女みが足りないようだ。

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