第34話 エスカは嫉妬する

 中庭でライラが、カニを殴り倒した後。


 いろいろあって。

 エスカはメイル、マジックと三人で中庭にやってきた。

 共に、少しの検討を行うことになったのだ。


 テーマはあのカニ……テリーの改良。


 カニは今、実に戻されてガーデンが持っている。

 彼女とセンブラ伯は、まだ外庭で土いじり中だ。


 ライラはあの直後、顔を赤くして屋敷の中に戻ってしまった。

 あれで優しく、淑やかな子なのだ。

 思わずカニをぶん殴ってしまって、気恥ずかしくなったのだろう。


 我が妹ながら、とても可愛い。

 エスカは思い出してにやにやしそうになって……頬をぐにぐにして顔を引き締めた。

 気を取り直して、机に広げた紙へと向き直る。


 中庭に来たエスカたちが行っているのは、「花の魔法」の構築。

 ドラゴン戦以来、メイルが使えるようになった魔法を、本格的に作り上げようというのだ。


 エスカに効果のある特殊な花にも影響を及ぼせる魔法を構築し、改良を施そうという作戦でもある。

 偶然に任せてガーデンたちに作らせ続けていたら、妙なものを量産しかねない。

 エスカは割と強い危機感を覚えていた。


 テリー自体は「エスカの弱点を補う」というオーダーで作られた代物。

 防御、索敵等を中心に、エスカの動きを阻害しないようサポートする。

 ……はずだが。阻害しないどころかあれでは重くて動けないし、今のままでは使い物にならない。


 エスカは少し、嘆息した。


「……休憩にでもしようか? エスカ」


 メイルの声が柔らかい。

 いつの間にかずいぶん……不丁寧さが抜けてきたように思う。


「いや、煮詰まったわけじゃないんだよ」


 本当は煮詰まっていたが、目を逸らしたくてエスカはうそぶいた。

 あの重量あるカニを、性能を下げずに使いやすさを上げる。

 どうしろというのだろうか。頭に生えなければまだなんとかなるが、他からは生やせないらしい。


 頭からアレを生やしたまま、エスカ諸共ちゃんと動けるようにしなくてはならない、わけだが。

 意味が分からない要求過ぎて、エスカはとても頭が痛い。


 休みにするにはまだ早いが、つい手が茶菓子に伸び、そのまま口に放り込んだ。

 甘さ控えめの焼き菓子だ。

 ついで茶を飲むと……ほろほろと融け、茶と菓子の香りが口の中に広がる。


 うまい。


「じゃあなにさエスカ。ご当主にでも見惚れたか?」


 マジックが、手元から顔を上げずに煽ってきた。

 彼はいくつかの試案を、構造式にするデザインを検討している。

 構造式の形は重要だ。イメージのしやすさ、情報の詰め込みやすさに直結する。


 いつもながらいい仕事だが……エスカは少しむっとした。

 ここのところまだまだ忙しく、メイルとの時間はあまりとれていない。

 せっかく会話が始まりそうだったところ、マジックに横取りされたように感じた。


 エスカは、自分でもよくわからない、もやもやとした気持ちを抱えていた。

 心が落ち着かないままに、少しぶっきらぼうに応える。


「確かにいい顔だが、違うよ。

 ガーデンは頭の痛いものを作ってくれた、と思っただけさ」

「ダメだったってことかい?」

「……そうではないね、マジック。使えるからタチが悪いんだ」


 マジックの懸念に、メイルが口を挟んだ。

 エスカも……しぶしぶ首肯する。


 実は、ライラはかなりの怪力だ。魔力由来だが、力を持て余している。

 小さい頃から制御につとめ、今は日常生活を送るに不便はないようだが。

 彼女の全力でようやく割れたということは、あのカニはかなりの防御力だ。


 それこそ、メイルの鎧に迫る。


「しかし今のままだと、テリー本体は固くても、すぐ抜けるし弱点にしかならないね」


 メイルが続けた。

 そう、そこもまた問題だった。エスカが倒れた拍子に、カニだけ抜けてしまった。

 あんな不安定では、使い物にならない。


「それは確かに。それでメイル、そっちはどうだい?」


 いつの間にか、メイルとマジックの二人は、思ったより仲良くなっているようだった。

 非常に気安く、会話を交わしている。

 再びマジックが出られるようになって以来、どうもエスカのいないところで割とやりとりをしている、らしかった。


 メイルは、いくつかの鉢植えを前にしている。

 花が咲いているもの、つるが伸びに伸びているもの、芽しか出てないもの等様々だ。

 ガーデンが育てていたいくつかの芽を、持ってきて魔法を試してもらっている。


 だが彼は、マジックに対して肩を竦めた。


「促成は問題なく。式通りの出来になる。しかし」

「思ったものではない、か。こればっかりは、使い手の勘便りだからな……」


 マジックはため息をついた。

 エスカも思案しつつ、自分の手元に視線を戻す。

 紙束、ペンとインク壺。分析と検討がエスカの仕事だ。


 それにしても。


「しかしメイル、いい魔法使いになったね。やはりセンスがいい」

「マジックほどではないよ」


 まだ、二人での会話が続く。


「僕は実際のところ、専門だが得意ではない。普通のことしかできないよ」

「あの城は見事だったが」


 実に、楽しそうに。


「あれだけさ。そこに枝葉をつけて、誤魔化しているがね」

「なるほど。城なら王も貴族も、騎士も兵も、役人や使用人いるわけか」


 …………。


「そうだね。おかげでできることの幅は増えた。決め手に少々かけるが」

「それこそ君には仲間たちが…………エスカ?」


 エスカは胸を押さえ、うずくまる。

 何か堪えがたい、どす黒いものが心の内に去来していて。

 それが体を、蝕んでいた。


「エスカ……?」「エスカ!」


 不思議そうなマジックと、切羽詰まったメイルの、声。

 何かが倒れる、音。


 気づいたらエスカはメイルの腕に、支えられていた。抱き起されたようだ。

 少し首を回すと、倒れたインク壺、黒く濡れた紙が見える。

 自分の服にもついたようで……エスカに触れるメイルの顔にも、黒い、インクが。


「大丈夫かエスカ、顔が真っ青だぞ!?」


 不意に聞こえたマジックの声に、エスカは強烈な不快感を覚え。

 どうしてかメイルを。

 その黒で、


 ――――この男を、私だけのものにしたい。


 インクに濡れていない、左手をメイルに伸ばす。

 その手は、影のように黒く……まるであの時のドラゴンのような色で――――


「ダメよ、エスカ」


 小さな手が掴んだとたん、エスカの左手からは黒が抜け去った。

 彼女の胸の内にあった不快感も、消える。


「め、りー?」


 いつの間にか、メリーが出て来ていた。

 彼女と目が合うと、不思議と心が落ち着いていく。


 それと同時に襲い来る、不安。

 私はいったい、メイルになにをしようとした?


「メイルくん、エスカ借りるから」

「……メリー嬢」


 メリーは一度だけ、マジックと視線を交わした。

 マジックが頷く。


「エスカの前では、話せないの。マジックから聞いて。

 やむを得ないから話すけど、あまり広めないで。

 エスカ、その」

「聞かない」


 エスカは左手で、メリーの右手を握る。

 指を、ゆっくりと絡ませて。


「……ありがとう、メリー」

「ごめんね、エスカ」


 謝るメリーにエスカは首を弱く振って、椅子から降りた。

 メリーはなぜだが、ハッピー絡みのことを極力エスカには話さない。

 理由があるのだと、エスカは理解していた。


 エスカが前世を思い出し、「メリー」という名を知って、出られるようになった、彼女。

 おそらく……類似の何かが、あるのだ。

 知ったら出てきてしまう、不吉な存在が。


 エスカの前世、幸夜香さやかの愛読書にあった、それ。

 「嫉妬の怪物」が。

 エスカの中に、きっといる。


 心配そうに見送る二人を残し、エスカはメリーに手を引かれ、屋敷へと向かった。

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