第33話 EFC(エスカ・ファン・クラブ)【ブロウ目線】

 会議に使用している一室で、一人の女性が資料を机に並べている。

 薄く金の入った長い髪を巻いて高い位置で止め、服は簡素な平民向けのもの。

 その緑がかった青い瞳は、紙に書かれた一字一句をかなりの速度で確認していた。


 彼女の名はブロウ。孤児ゆえ、姓はない。

 グレートエストック商会の誇る、108の精鋭エリート事務員ブラックコートの一人。

 初期からいる末席ではあるが、ここ数年は商会主グレッソ自身から、周りの仕事を任されている。


 というか、最近は実質二人だけの本部だった。

 支部はそれぞれの精鋭が運営しており、商会の郵便網で連絡が保たれている。

 本部の役割は情報の集約・解析と、方針の決定だけ。


 ブロウは能力全般で言えば半エスカといったところだが、処理能力だけで鑑みればエスカに迫るものを持っていた。

 その力をもって、商会の中枢を回していたわけだが。

 ここしばらくの業務は、エスド子爵家との直接折衝及び、その行動の補佐になっていた。


 商会がエスド家から依頼されている仕事は、二つ。

 一つは、領境へ侵入を繰り返す魔物に対する、防衛戦の協力。

 一つは、現在占拠されている王都、特に貴族学園の情報収集補佐。


 後者については侍従の一人、シフティと連携し、商会事務員複数が当たっている。

 前者はブロウとグレッソ本人がエスド家従士と折衝・連携し、冒険者や兵を向かわせていた。


 魔物は第二波を撃退したものの、第三波が確認された。

 忌避剤はおよそ二か月で切れる。まだ一月以上は、効果が持続する見込みで。

 その間は、エスド子爵領に集中して魔物がやってくる。


 それに加え、そろそろエスド家の数名が貴族学園奪還に動きだす。

 商会はそちらとも、行動を合わせる必要が出てきていた。

 エスド家は領を空にするわけにも、いかないからだ。連携している商会にも、影響はある。


 ブロウとしては、学園奪還へ向かうエスカ様にぜひとも同行したいところではあるが。

 あちらは子爵当人を始め、幾人かでの隠密行動となるらしい。

 ブロウやグレッソは、従士や執事と留守を預かることとなった。


 なお当主が潜入任務の最前線など、普通は以ての外であるが。

 王国貴族はだいたいが魔法を用いる。エスド子爵もかなりの使い手だそうだ。

 騎士でもあり、武勇で爵位を得た武人。それでも常ならば遠慮するところだが、今回は少々事情が特殊だ。


 政治的な判断が、現場で問われる可能性も出てくる。

 現地でそれを行える人間が、どうしても必要なのだ。


 ……ただ正直ブロウは、単にメイル様がエスカ様についていきたかっただけだな、と考えている。

 幾度か邸内で一緒にいるところを見かけたが、仲睦まじく、初々しいお二人だ。

 貴族ゆえの政略結婚とは聞いているが、それ以上の親密さを得ていると見える。


 喧嘩もたまにするらしいが、それも含めてほほえましい。


 憧れの人はとても淑女で、しかし乙女であった。

 ブロウはそれを思い出し、満足げに口元を緩ませる。

 かつて指導を受け、長く目標にしてきた方は、小さな黄金のようだった。


 資料に再び目を落とす。今手にしているのは、王都潜入側の計画。

 制作したのは、エスカ様その人。


 字が、文が美しい。読む人に合わせ、あえて癖をつけて書いているのが分かる。非常に読みやすい。

 内容には多角的な分析も入っていて、隙がない。

 その上で、計画の遊びとなる部分を重点的に書いている。不測の事態は起こるものという想定だろう。


 商会主が長年のファンだというのも頷ける、珠玉の一枚。

 この方から手紙を定期的に受け取れるとなれば、ブロウも全霊をもって筆をとるだろうし、何くれと協力は惜しまないだろう。


「読んでて飽きないよな」


 いつの間にか、その当の商会主、グレッソが近くにいた。

 視線が、ブロウの手元に注がれていて……目が細まっている。


「はい。あら、従士様方……も?」


 ファンクとジョンという、二人の従士。

 当主から委任され、本件に当たっている者たち。


 そのうち、比較的背の低い……ファンクの方が、何やら部屋の隅に行き。

 謎の十字架を持ち出してきた。

 そして、それに自分を紐で括りつけ始めた。


 ジョンも縛り付けるのを手伝っている。

 ……なんだろう。怪しい儀式のようでもある。


 十字に磔となったファンクは、部屋の隅に立てられてそのままとなった。

 がっくりと項垂れている。


「……………………えっと」

「すまない。家の事情だ」

「はぁ」


 ブロウは、さっぱりわけがわからなかった。


「ライラ嬢とご当主の邂逅でひと悶着あったそうですから、何か気に病まれてのことですかな?」

「……そんなところだ。さて、第三波への対策を詰めておきたい」


 ジョンは、ブロウが机に置いておいた資料を手に取る。


「はい。学園潜入の情報も来ましたので、そちらも合わせて進めたいと思います」

「……早いな」


 ジョンがうめく。

 数日後、行動開始となっていた。


「いっそ、そのまま玉座につかれても……とは思いますがね」


 グレッソが物騒なことを言ったので、ブロウはさすがにぎょっとした。

 ジョンが視線鋭く、グレッソを見る。

 商会主はおどけて、あるいは得意げに口を開いた。


「エスド家は、元は辺境伯。令嬢が先々代に見初められ、王妃様になられています。

 その後に家は没しましたが、メイル様はエスドの血を引くと同時に、王家に連なるお方でもある」

「……よく調べているな」


 商会として調べた情報ではあるが、ここでその札を切るとは。

 しかも従士相手に。どういう駆け引きだろうか。

 ブロウは事の推移を、静かに見守る。


「今回そのような方が、王家不在時に、王都に入るわけですが」

「……そのような意図はない」

「公然の秘密というやつですし、もちろん知っているのは私だけではない。

 周りがどう思うか、というお話です。

 少なくとも、センブラ伯やメイル様はある程度承知の上でしょう」


 不穏な話になってきたが。

 ブロウがはらはらする中、ジョンが少し息を吐いた。


「で。こちらに影響は?」

「はい。事後に関係します。ブロウ」

「あ、はい」


 そこで繋がるのか、とブロウは追加の資料をジョンに渡した。


「……これは」

「防衛線の引き直し、ということです。

 南方の魔物対策を、もう少し包括的に行う案、ですな」


 辺境13貴族の領の北側には丘陵があり、過去にここが防衛線だったこともある。

 丘を抜けづらいようにし、エスド領からのみ侵入できるようにして、そこで撃退。

 魔物の圧は強くなるが、戦力の集中運用によってこれをカバーする狙いだ。


 ただ一つ、問題があった。


「これでは……変えるのは防衛線ではなく、国境線になるだろう?」


 ジョンの指摘に、商会主がにやりと笑った。


「国土を預かる重要な任につくものを、整理しなくてはならない。

 はそのように考えたのです」

「商会、ではないな? その我々とは、なんだ?」

「彼女のファンですよ」


 ジョンが息を呑んだ。

 ブロウは、とんでもないことになっているな、と目を逸らしたくなった。


 クロス王国は人口国家。国境の在り様ですら、他国の都合で決められている。

 

 多国間での合意形成が、成ろうとしているということに他ならない。


 エスカという個人を巡って。

 さらに大きな話が、蠢き出そうとしていた。

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