第32話 エスカの義妹とは【ファンク目線】

 その日。

 朝からは、庭で畑仕事だと聞いていたが。

 屋敷の一室に戻ったと報せを受けたので、従士のファンクはジョンを伴って訪ねることにした。


 彼らはここのところ、領の境とを往復していて忙しい。

 接触が持てるときに、話を聞いておきたかったのだ。

 彼女――――ライラ・ロイズに。


 ロイズとの、関係を。


 扉を叩き、しばし待つ。

 戸は内側から開いた。そこには同僚の侍従が居て。

 用向きを告げると彼女はいったん中に戻り、その後に従士二人は招かれた。


 赤く長い髪、黒いドレスの少女が、椅子から立ってこちらを出迎えた。

 真紅の瞳が、ファンクとジョンを交互に見ている。

 挨拶は済ませてあるが、こうして差し向かうのは初めてだった。


「突然の訪問、申し訳ありません。ライラ嬢」

「いえ、良いのです。どうぞ、おかけになってください」


 勧められ、引き出された椅子に二人、腰を掛ける。

 ファンクは、サイドテーブルにある籠が目に留まり、気になった。

 布が入っており、針が見える。縫いかけのもののようだ。


「拙いものをお見せしまして、お恥ずかしい」


 ファンクの視線に気づいたライラが、控えめにほほ笑み、謙遜する。

 

「針仕事なら自分もしますが、見事なものです」


 ファンクはにこやかに応えた。

 彼は女性には積極的に世辞を言う方だが、これに関しては掛け値の無い賞賛だ。

 縫いかけの布は、女性用の肩掛けとみられる。刺繍が細やかで、美しい。


「お誉め頂き、光栄です。それで、本日は」


 早速本題に入られた。その様子からファンクは、彼女が縫物の続きがしたいのだと察した。

 確かに調べた情報からも、手縫いが得意という話はあったが……意図がわからない。

 まずは話を聞いた上で、できれば尋ねてみようと胸にしまう。


「はい。ご実家とは、連絡をとられておいでですか?」


 ファンクの伺いに、ライラはさっと目を伏せた。


「……メイル様のご様子から、わかっていたことではありますが。

 ウィンド家の方々は、ロイズをよく思っておられないようですね」

「失礼ながら。エスカ様のことを伺っておりますので」


 ライラが俯き……膝で、手を握りしめている。

 ファンクはその様子を見て、聡く、油断のならない少女だと認識を改めた。

 こちらの意図を把握するのが、早い。エスカ嬢やメイルを見ているかのようだ。


 エスカの事情は、エスカ本人ではなく、メリーやマジックから聴取されている。

 ロイズでのエスカの様子は、ほぼ正確にウィンドに伝わっていた。

 それによればこの令嬢は、エスカを死ぬほど鞭で打っていた、はずだ。


 ただ。ライラのことを話したときのメリー嬢は、少し歯切れが悪かった。

 気になったファンクは、伝手を辿って王都の学園に通うライラの評判を調べた。


 それによれば、非常に知的で淑やかな少女だとのことだった。

 人望もあり、入学早々ながら友が多く、教師陣の覚えもいい。

 『ハッピー』たちの話した事実と人物像が、いまいち合っていない。


 だからこうして会って確かめたかったわけだが、ファンクは少しの危機感を覚えていた。

 本人が本性を隠した上でこうして近づいてきているのなら……問題だ。

 そしてこの令嬢は、そのくらいのことはできる知性の持ち主だろう。


 ファンクとしては、エスカは歓迎だし、メリーたちは信用できるが、ロイズは不可だ。

 ライラがロイズ寄りなのかどうかは、彼女とメイルが微妙に不仲なことも相俟って、先回りして確認しておきたいところだった。


 主人はあの有様だし、シフティは何やら忙しそうだ。

 そしてもとより、ウィンドにおいてこういったは、ファンクの仕事だ。

 場合によっては話を聞いた上で、穏便にロイズにお帰りいただかなくてはならない。


 ファンクは、エスド子爵に仕える従士。

 この家の敵になる者ならば、例え主人の小姑になる相手でも、容赦はできない。


 ファンクが様子を伺っていると、不意にごきり、と音がした。

 一度、二度と。ライラの握り締めた……拳が鳴ったのだ。

 目を上げて彼女を見るも、ライラはじっとその拳を見据えたまま。


 ジョンの方を向くと、長年の友は首を横に振った。


「私は、私が許せない」


 先ほどの涼やかなものとはうって変わった、低い声。

 そしてまた拳が、大きく音を立てる。

 骨が砕けるのではないかと、心配になるような音だ。


「女らしくあれと言われ、疑いなく育ちました。

 親と男の言うことは聞くものだと言われ、おとなしく従いました。

 私がロイズをどう思っているか、それを聞きたいのですね?」


 ライラが顔を上げる。

 赤い瞳が、ファンクを見る。

 燃え盛るように、真っ直ぐ見る。


 ファンクはまだ若いが、歴戦の兵士だ。

 人も、魔物も、どれほど葬ったかわからない。

 死線も幾度も潜った。そうして培われた……勘が告げている。


 ――――この女には、絶対に敵わない。


 嫌な汗が、背を伝うのを感じる。

 なんとか、首を縦に振った。

 それを見て……令嬢は、笑った。



 頬と口元を歪ませて、凄絶に。


「あの家の者は一人残らず、何としても滅ぼす。

 そうして、私のたった一人の姉を助け出す。

 まぁ……のんびりしているうちに、貴家に掻っ攫われてしまいましたが」

「……親兄弟に対して、ずいぶんな物言いだな」


 ジョンが横から口を挟んだ。

 彼らは親がいない。だが血のつながりは大事にすべき、とも思っている。

 もちろん、血によらない絆があるのも、知っているが。


 父も、母も、兄も、使用人もすべて」


 ライラが、淡く赤い光を放つ。

 魔力だ……それも膨大な。


 通常、魔法も使わないのに魔力が体から漏れ出ることなど、あり得ないのだが。

 だがそれ以上にファンクは目の前の女の、肉親だからこそ憎いという強い怒りが、理解できなかった。

 そして同時に、理解はできないものの……それこそが彼女の本性だと、確信する。


 淑やかな令嬢でもあるのだろう。

 知性ある女でもあるのだろう。

 そしてそれ以上に。


 この真紅の怒りこそが、ライラだ。


「私自身が、路頭に迷おうとも。

 ロイズは必ず、この地上から消し去る。

 ですので」


 ライラは椅子を引き、静かに立った。

 そうして二人から見えるように構え。

 足を引き、膝を折り、両の手で裾をつまんで。


 優雅に、礼をとった。


「そのあかつきにはどうか、エスカを。

 私の姉を、よろしくお願いいたします」


 ファンクは、はっきりと悟った。

 、と。

 ロイズ寄りなどと、とんでもない。


 ライラは、ハッピーたちと同じだ。

 エスカの絶対の味方。

 対応を誤れば、エスカのためにウィンドの敵にすら回る。


 そしてここに来て。

 初対面で当主がやらかしたことが、本当にまずかったのだと思い知った。

 あの時、主人を止められなかった己を、ファンクは胸の内で責めた。


 隣を見ると、ジョンもまた少し青い顔をしている。

 ファンクの胃が、きりきりと痛み出した。

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