第45話 そしてエスカは愛される

 王都上空に突如出現した、銀地に赤模様の巨人。

 その身の丈は、数十mにも及ぶ。


 巨人の頭部は、巨大なカニ。

 首辺りに、キノコ接種時と同じくらいの大きさのエスカがいて。

 その下はの中身はすべて布だ。エスカからつながった無数の糸が、筋繊維や神経のように全身に伸びている。


 どういう原理か、その体は宙に浮き。

 エスカが力を込めると、手足は自在に動いた。

 


 ……絵面がアレなことを除けば、全く問題はなさそうだ。


<ブラザー、来るぜ>


 この声の感じ、ハッピー固有の通信?なのだろうか。

 テリーの言葉が、エスカの頭に直接響いてくる。


 果たしてテリーの言うように、王城の尖塔から蛾が飛び立って、こちらに向かっている。

 金切声のような奇妙な音が、よく響いた。

 不思議なことに、音も光景も、テリー目線くらいの状況ですべて分かるようだ。


「よし、やってやろう」


 足を踏みしめれば。

 まるで大地にいるかのようだった。

 スカートがないのは心もとないが……エスカは膝を揺らし、かかとを踏んだ。


 王都の夜に、雷鳴が如き轟音が響き渡る。

 そしてゆったりと飛ぶ漆黒の蛾に、光の巨人が迫った。


 遠慮はしない。投げず、そのままぶつかる。

 光速の超重量体が激突し、衝撃が蛾にそのまま伝わった。

 一瞬でその霧のような体が、爆発するように砕け散る。


 巨人にも反動があったが、布はきれいにその衝撃を吸収した。


<やるなブラザー!>

「油断するな、まだ絶対にくる!」


 エスカが珍しく、気を引き締めにかかる。

 彼女としても、前にひどい目にあったドラゴン戦のことはよく覚えているのだ。

 すべてが片付いても、半日くらいはきっと油断しないだろう。


 吹き飛んだ黒は、闇に紛れつつ巨人から少し離れていく。

 意思をもったかのように、漂ったそれは。


 エスカたちの背後で、また蛾となって現れた。

 エスカは素早く振り向き、巨体を押さえにかかる。

 蛾は巨人の肩に頭を載せるようにのしかかり、そのまま羽ばたいた。


 鱗粉が無数に飛び散って、間を何かが煌めき、駆け抜ける。

 その光が巨人に当たると、爆発が起きた。

 爆発はいくつも連続し、何度も衝撃が伝わる。


「ぐっ……!」


 ダメージはないが、体勢を崩されそうになる。

 羽ばたいてかかる、蛾そのものの質量感も後押ししてくる。

 よくない状況だ。このまま押し込まれて転倒したら、当然に地上に落ちるだろう。


 下にはまだきっと、多くの人がいる。

 エスカはわざわざそこを考慮して、得意の投げを行わなかったのだ。

 百裂きの技を使っても同じ。あれは結構な衝撃が広がる。地上は無事では済まない。


 エスカは、蛾を必死に押し戻そうとするが。

 蛾の体から、何か黒い脚のようなものが大量に生え、巨人に向かって来た。


<まかせろ!>


 なぜか巨人からも大量の……カニだかカマキリだかの脚が生え、蛾の脚を捉えていく。

 かち合い、時に打ち落とし、あるいは落とされる。

 また衝撃が伝わり、押し込まれた。


<大丈夫かブラザー!>

「いまいち力が入らん!」

<シット!!>


 足場は思ったより安定している。

 膝も問題がない。

 膂力だって、普段より何十倍もある。


 ――――なのに、押されている。


 ドラゴンを投げた時のような、魂の奥から湧き上がる力が、感じられない。

 ガーデンの、マジックの、メリーの想いが、詰まっているのに!


「く、おぉぉ」


 さらに押し込まれる。


 左足がずるり、と何かを踏み外した。

 力が足りなくて、空を踏み切れなくなっている……エスカはそう、直感した。

 もう片方の足が崩されるのも、時間の問題だ。


 そのタイミングで、また蛾が大きく羽ばたく。


<ダメだ、こいつはふせげねぇ!>


 鱗粉が先ほどより大量に散って、爆発が連鎖した。

 衝撃が、体の各所に伝わる。


<「ぐあああ!」>

 

 皆の想いと、力がある。だが。

 エスカは……死ねない戦いが、初めてだった。

 いつも、死中に活を見出してきた。


 今この場では。

 自分の積み重ねも、得意も、奥義も。

 何もかもが、通用しない。


 心に影が差し、もう片方の脚も力が抜け、膝が崩れかける。


 視線が蛾から下がり――――ふと、遠く地上を見た。

 偶然にも映る、メイルの姿。

 じっとエスカを見守る、彼の信頼の視線。


 心が持ち直し。

 彼の隣にいる、小さな影が目に入った。

 メイルの体躯で光が入らず、闇に紛れる、彼女。


 その赤い瞳と。

 目が、合った。



<エスカ――――!!!!>



 声がした。

 ハッピーを通じた、ライラの声が、なぜか。

 姉を呼ぶ妹ではなく、エスカを強く思う少女の声が。


 遠く彼方から。

 布を通して、全身から。

 エスカを強く強く、想う声が。



 愛が、聴こえる。



 天が、鳴った。

 巨人の片足が、また空を踏んだ。

 だが蛾に押し込まれ、もう片足はまだ安定しない。


 巨人から、赤の模様が消える。

 エスカから、虹の輝きが消えて。

 彼女の頭上に、再び残機の数字が表れた。


<ブラザー!?>


 だがそれは。

 0から10へ。10から20へ。

 あっという間に、上がっていく。


「……感じるんだ」


 このを、知っている。

 全身から伝わる、尊い想いを知っている。

 魂の底の底へと結びつく、強い心に覚えがある。


「愛される! 喜びを!!」


 遠い遠い世界で目にした、輝き。

 消えることなく胸に宿った、憧れ。

 そしてこの世界に渡ってきて初めて知った、深い愛情。


 エスカの胸のうちで。

 かつて夢想の恋話に、希望を抱き。

 多くの幸福と愛を、彼らハッピーにもらった女の。



 転生者・幸野こうの 幸夜香さやかの魂が、蘇る。



 99に到達した、残機が。

 再び0に戻り――――否、100に至り、爆発した。


 巨人が、蛾を押し返す。再び両の足で空を踏みしめる。

 その身に、より鮮やかな……真紅の模様を宿して。

 彼女ライラの瞳の光を、戦士の魂を織り込んで。


 紅の巨人が、天に立ち上がった。


 押しのけられた蛾は、空をよろけ、回るように飛ぶ。

 そしてエスカから離れながら、また黒く長い脚を伸ばしてきた。


「テリー」

<俺にもわかるぜ>


 カニが両のハサミを開き。

 閉じた。


 触れてもいないのに黒い脚がズタズタに、バラバラになり、すべて霧散する。


<これが愛の力ってやつだな!>


 蛾が大きく羽ばたく。

 態勢を立て直すのと同時、鱗粉をばらまいた。

 煌めきの合間を、雷光のような輝きが伝わってくる。


<ブラザー>

「ああ」


 エスカはすっと撫でるように、迫る光に手を添えると。

 膝を、変幻に揺らした。

 空が鳴り――――蛾の全身で、幾重にも爆発が起こる。


 


 金切声を上げ、よろめく蛾を見ながら、エスカは確信する。

 今ならば。

 すべての力を、使えると。


 だが……エスカは地上を見た。街が広がっている。

 やはり、投げてはダメだ。

 奴はこのまま、空で倒さなくてはならない。


 エスカは魔法など、使えない。

 ならば。


「テリー!」

<応とも!>


 この奇妙な相棒と、力を合わせるのみ。


 カニが大量の泡を吹く。

 その頭に生えた謎の花が、臭気とガスをまき散らす。

 それらは風に巻かれ、怯えるように間をとる蛾に向かっていく。


<混ぜるな危険ってな>


 エスカは腰を落とし、力を溜める。

 赤い闘志が、テリーに集まっていく。


<最後はこいつで――――ボンッ、だ>


 カニのつぶらな瞳から……光線が、飛び出した。


<姉御ビーーーーーーーム!!><変な名前つけるなカニぃ!?>


 二人が人の中?で遊んでいる間に、光は蛾に突き刺さる。

 それは収束した泡やガスと反応し。

 危険な爆発を引き起こした。


 王都の空が、昼のように明るく、弾ける。

 衝撃が圧力を持って広がり。

 遅れて轟音を伝えた。


<やったか!?><オチつけるな割られたいんか!!>


 人の頭に響く漫才は、おやめいただきたい。

 エスカは気が抜けそうになりながらも、まき散らされた粉塵の向こうを注意深く見る。

 奴は夜闇に紛れる色合いだ、油断はならないが……。


 はたして。

 光が収まり、煙と粉塵が晴れ、静かな星空が戻っても。

 黒い霧が再び現れることは、なかった。


<ほら大丈夫じゃねぇか><結果論でしょうがお約束踏むんじゃないわよ!>


 この世界にそんな概念おやくそくなんてあったろうか?

 エスカもまた少し気が抜け、そんなことをぼんやり考えていたとき。


 ぽんっ、という小さな破滅の音を聞いた。


<<あ>>


 時間切れだ。

 すべての力を失い。

 エスカの小さな体が、高空に投げ出された。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る