第46話 エスカは新たな旅に出る

 小さく、少し間の抜けた音が響く。


 キノコ、花、星の効力切れだ。

 それらと結びついていた布の魔法もまた、白紙に戻された。

 エスカに残されたのは小さな体と、頭の上のカニだけ。


 空を踏むには、かなりの力が要る。

 今のエスカでは、難しい所業だった。


「ブラザー、手は?」

「二本ついてる」


 真面目に聞いてきたテリーに、エスカはバンザイしてみせた。


「おーけーそうじゃねえよ絶好調だな」


 そして自由落下が始まった。

 二人、よくわからない悲鳴を上げながら、地上に真っ逆さまに落ちていく。


 エスカは意識だけは手放さないよう、自身の心の手綱を握る。

 その脳裏に、自分よりも深く暗い髪と瞳をした、師の姿が朧気に浮かんだ。

 かつては言っていた。


 返しとは、運動エネルギーの変転だと。


 自分が地面に落ちる。

 これは裏を返せば、地面が自分に向かってきているのだ。

 


 落ちる先は、石畳だ。

 王都のいずれかの通りの上だったらしい。

 返した結果、周りがどうなってしまうかはわからないが……やるしかない。


 エスカは腹を括って。

 自由の効かない中、構えた。

 間を置かず――――ぶつかる。


 ……だが、あまりに予想外の感触に、エスカはつい投げ損なった。

 柔らかく包まれるようで、痛みもない。

 衝撃も来ず、ふわりとおさまった。


 石畳だと思っていたところが、花畑になっていた。

 それなりに背が高く、大きな花がみっしりと咲いており。

 エスカの体を、柔らかく支えている。


 そして花は役割を終えたようで……消えた。

 まだ地上までは1mほどあり。

 再び浮き上がったエスカは、即座に抱き留められた。


「……間に合ったようだ」


 柔らかな声。

 逞しく大きな腕。

 ――――メイルだ。


 つい先ほど、学園にいたように見えたのだが。

 どう魔法を駆使したのか、町中までほんのわずかな時間で辿り着き。

 そして花の魔法と自らで、エスカの窮地を助けたようだ。


「こいつは驚いた。今回はいろんな魔法を見たが、今のが一番びっくりしたよ」


 比較的いつもより近くにある顔を見ながら、エスカは自然と笑顔を浮かべていた。

 不思議な心地だ。このような状況なら、これまではもっと気持ちが浮ついていたのに。

 踏み込んだことをやらかすような気配が、まったくない。


 とても穏やかな想いに、満たされている。


 彼の大きな手が、そっとエスカの頭を撫でた。

 気を利かせたのか、いつの間にかカニは引っ込んだようだ。

 優しい手つきに、エスカは目を細める。


 正直、短い間でいろいろありすぎて、心が落ち着かないところだ。

 うまく統合できてはいないようだが、どうにも記憶は戻りつつある。

 何か妹からとても濃い想いを伝えられた気がするが、これも向き合っていかねばなるまい。


 だが今は。

 あまりに心地の良い、婚約者の腕の中で。

 少し、ゆっくりしたく思う。


 彼を愛せないと、思っていたが。

 それはきっと……もう、大丈夫だ。


 あとはさっさと、レフティに頼んで祝福してもらおう。

 貴族としては、式も挙げたほうが良いところだが。

 国の大事だ、そうも言ってられまい。


 だがエスカの仕事は、終わりだ。

 これでやっと、結ばれる――――。

 そう思っていたら、メイルの手が止まった。


 そして彼はエスカを支えつつ、地面に降ろし、立たせた。


「レフティ枢機卿」


 メイルが声をかけた先に、法衣の女がいた。

 彼女の隣には、クロム聖教の意匠が施された全身鎧の騎士……聖騎士が立っている。


「いかがなさいました」


 メイルが言葉を重ねたものの、レフティは答えない。

 何か、言うのを躊躇っているようだ。

 何の話だろうか。


 彼女は息を吐き、姿勢を正し、エスカを見据えて言った。


「まずいことになりました、お二人とも」


 ……とても気になる切り出し方をされた。

 そしてエスカは、思い至った。


「他の貴族が、動き出しましたか」

「っ。そう、です」


 だがエスカの前に、メイルが言及した。

 彼も同じことを考えたようだ。

 他、とは。子どもを人質にとられた貴族たちのことだ。


 だがこのタイミングでの動き出し、そして「まずいこと」。

 つまりこれは。

 「子どもを取り戻し、賊を討つという名目で、勝手に王都に攻め上がってきた奴らが到着した」ということだろう。


 辺境13貴族のおかわりがきたようなもの、だ。

 それに加えて。


「この状況で、枢機卿がここにいると知られれば。

 さすがに聖教も介入を決める、ということですか」


 エスカが続けた。

 レフティがそっと息をつき、答える。


「はい。辺境貴族の暴走、では済みません。内乱だと捉えられるでしょう」


 事態が大きくなりすぎるということだ。収集がつかない。

 辺境貴族が無体を働かないよう、レフティを呼んだのだが……これ以上いてもらうと、それが裏目に出る。

 となると。


「あなたを、安全圏までお送りする必要がある。

 この場合、各異種族圏かその向こうの国境、帝国あたりが適切でしょうか」

「はい、エスカ嬢。それから、わたくしが言うことではありませんが」

「王都が、また攻め落とされるのも困る。

 王家に統治能力がないとみなされ、介入を招く。ですね?」

「その通りです」


 王都の防衛、それとは別にレフティの護送。両方が必要ということだ。

 そして聖騎士を伴って、これを伝えに来たということは。


「そちらの騎士の方は、元々王都教会所属、ということでしょうか。

 護送をお願いするのは、難しいと」

「はい。貴族たちはすでに、郊外に迫っているとのことです。

 騎士たちはこの街の信徒を、守らなければなりません」


 レフティの後ろの騎士が、力強く頷く。

 王都など知らぬとだんまりを決め込まれたら、さすがに困ったところだが。

 力を貸してくれるようだ。


 聖騎士は、王国の騎士を凌駕する使い手たちだ。

 守りに協力してくれるなら、それはありがたい。


 エスカはメイルを見上げる。

 彼もまた、エスカを見ていた。

 メイルが口を開く。


「方策は?」

「伯爵に働いてもらおう」

「同感だ」


 エスド子爵でどうにかなる話ではない。

 譜代だるセンブラ伯の出番だ。

 あるいはあちらも、このための準備くらいはしているかもしれない。


「レフティ様の護衛は?」

「そうだね……立場がなく、武力があり、枢機卿の知己で」


 エスカは少し顔を上げて、瞠目し、少し先のことを考える。


 これもまた、想定のうち。

 忙しくて目が回りそうだが。

 式の手配くらいは、報酬でお願いしても罰は当たらないだろう。


 あれは結構、金がかかる。

 払いを誰かに押し付けられるなら、それはまたとないチャンスだ。


 ……これをやると、メイルとしばらく離れ離れなのが難点だが。

 しょうがあるまい。


 エスカは気持ちを決めて、また前を見た。


「あなたをお呼びした元凶が、無事にお送りするのが筋でしょう」

「ごめんなさい、エスカ。力及ばず」

「不敬を承知で言いますが、私に謝らなければならないのは王家です。

 当国のいざこざに巻き込んでしまい、こちらこそ申し訳ない」


 言ってエスカが表情を緩めると、レフティもまた微笑んだ。


「メイルはここを頼むよ。今、君がここから消えてしまうと、問題だ」

「分かっているとも。できれば、マジックとガーデンは借りたい」

「……今日は宴だな。目いっぱい食べておこう」


 残機を十分溜めておき、彼らはおいていく。

 ハッピーで連れて行くのは、メリーだけになるだろう。

 あとは。


「私も一緒に行かせてもらうわ」


 赤い髪をなびかせて、エスカの妹が現れた。

 メイルには遅れたが、ライラも学園からここまでやってきたようだ。

 息も切らせず、エスカを鋭く……そして優しく見ている。


 エスカは胸と、少し頬が熱くなった。


「エスド子爵様。私、ライラを従士としてお雇いくださいませ」

「いいね。働きは十分に見せてもらった。――――エスカを頼む」


 短く言葉をやりとりし、二人が笑顔を向け合っている。

 いつの間に仲良くなったのだろうか。


「では、あとは侍従が必要ですね」


 レフティと同じ顔のメイドもまた、やってきた。

 鎧の構造式をまとっていないところを見るに、仕事は終わったということだろうか。


「それに……此度の件。『盾』が絡んでいるはずです。私がいたほうがいいでしょう」


 伝説の存在だから勘案していなかったが、シフティの指摘はもっともだ。

 盾の魔法使い……緑の近衛兵は、南方の魔から国土を守るという。

 だがこの事態に際し、何も動いた様子がない。不穏だ。


「承知いたしました。よろしくお願いいたしますね」


 レフティが丁寧に礼をする。


 女5人での旅ということになろうか。

 明らかに人員が少ないが、やむを得ない。

 レフティの存在を隠しながら、迅速に送り届けなければならないのだ。


 エスカはそっと、空を見上げる。

 空には雲一つなく、ほんのりと明るさが差しつつある。

 この空をかっとんでいくと、いずれかの異種族の自治圏に入った途端に撃ち落される。


 空の防備がないところなど、王国くらいのものなのだ。

 地道に、馬で行くしかあるまい。

 そうして地上に……集まった者たちに目を向けると。


 エスカに笑顔を向けるレフティ。

 そんなレフティを、何とも言えない表情で見るシフティ。

 そしてエスカのことを、そっと熱っぽい瞳で見ているライラ。


 同行者たちを見渡したエスカは。

 どうにも波乱に満ちた旅路になる気がして、すでに頭が痛かった。


 隣を見上げると、苦笑い気味のメイルと目が合った。

 どうも考えることは、同じなようだ。

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