第43話 エスカの敵【ダイナ目線】

「くそ!」


 水からなんとか上がったダイナは、悪態をついた。

 魔法の補助で堀を登りあがる。ちょうどよくそこは、城門の目の前だった。

 息を整えながら、ここ小一時間のことを振り返る。


 深夜、酒盛りに付き合わされていた彼は、突然の眠気を感じた。

 魔法だと直感し、抵抗。騎士団あたりの強襲と考え、まずは貴族たちを逃がした。

 当然、ある種の囮にするためだ。酒に酔っていた彼らは、特に疑いもなく正門の方へ駆けて行った。


 ダイナ自身は、開かずの塔へすぐさま向かい。

 昏睡している騎士たちを尻目に、レフティ枢機卿を連れ出した。

 最も価値のある人質だ。助け出したという体で確保し、温情をうけるのが狙いだった。


 襲撃ゆえ、いったんは逃げようとレフティを言いくるめ、学園の外を目指したまでは良かった。

 そこから、ケチが付き始めた。

 まず門の外に、化け物がいた。


 気色悪い魔物だと思ったが、その下にエスカがくっついていて。

 ダイナは、ほくそ笑んだ。

 奴が貴族たちをなぎ倒した後で制圧すれば、事態の主導権を握れる、と。


 果たして化け物は、父の研究していた魔法で簡単に抑えられた。


 何年も前に書斎で見つけた紙片に書かれていた、奇妙な魔法。

 それで生成できる僅かな鱗粉を押し付けると、エスカは面白いほどに怯えた。

 ダイナはいつしか、のもたらす昏い悦びに取りつかれていた。


 今回もそれでうまくいった、わけだが。

 エスカを倒した後、なぜかレフティ枢機卿にかみつかれた。


 だがダイナは慌てない。

 貴族の親族は、貴族ではない。エスカに大した立場はない。

 そいつが、幾人もの貴族に手を出した。ダイナは不届きものを制しただけ。


 部外者レフティを黙らせることは簡単だった。

 あとはエスカを捕え、面倒を押し付ければ終わりだ。

 ……そう、思っていたのに。


 そこまで思い出して、こみ上げる感情を抑えられなくなった。

 ダイナの拳が、自然と握り締められる。


「ライラ、めぇ……!!」


 魔法の防護で確かに防いだ、はずなのに。

 あの二発の拳で、ダイナは全身が軋むように痛んでいた。

 魔力もなぜか、ごっそり持っていかれた。水から上がるので使い切り、立つこともままならない。


 妹が、兄に。女が、男に立てつくなど。あってはならない。

 しかも自分は、貴族だ。貴族でなくば、人にあらず。

 人でないものが、人に逆らうなど――――あってはならない。


 ダイナに染みついたその価値観は、彼に視界が真っ赤になるほどの怒りをもたらした。

 そして……無力感をも、もたらした。

 四つん這いになって、何度も冷たい石畳を手で叩く。悔しさが、血のように駆け巡る。


「ロイズ男爵!? どうなされた」


 後ろからした声に、ダイナは緩慢に顔を上げ、振り向いた。

 貴族の男が、三人。見覚えのある、辺境貴族たち。


「賊に、遭いまして。皆さまは、ご無事でしたか」


 心にもないことを言いながら、なんとか体を起こす。

 頭も冷えてきた。足に力を込め、立ち上がる。

 まずはこいつらを使って――――逃げよう。


「そうだ! 我々も狼藉者に遭ったのだ。あのカニめぇ!!」

「だが、ここまでくれば大丈夫でしょう。我らの主がおられれば」

「しかり! あの方さえいれば問題ない」


 ダイナは彼らの妙な言いようが気になった。主、とは。

 彼らに会って一月。これまでのやりとりでは、聞き覚えのない単語だ。

 裏で糸を引いていた人物がいる、ということだろうか。それも、王城に?


「お迎えしなければ。あの尖塔に囚われてるはずだ」

「遣いの者がやるとのお話でしたが、時間がかかっておる様子」

「しかり。我々で手伝って――――」


 その時。

 盛り上がる彼らの顔が、一瞬で青くなった。

 ダイナもまた、奇妙な感覚を覚え……彼らの視線を追った。


 城門の中、つまり王城の方から。

 女が二人、歩いてくる。


 一人は……母だ。


「皆さま、お控えを。ダイナも、よく頑張りましたね」


 あのヒステリックな母が、とても穏やかな笑みを浮かべている。


 その隣の女もまた、透明な笑みを顔に張り付けている。

 金の髪、蒼い瞳。赤紫の、ドレス。

 髪は長く、量が多く、縦に巻いて左右から下がっていた。


 貴族たち三人が、片膝をつき、頭を垂れる。

 しかし顔を上げ。


「主よ、これは……!」


 女は片手を上げ、手のひらを彼らに向け、続きを制した。

 言い訳をしようとしていただろう貴族は、押し黙る。


「良いのです。御苦労でした。とても……楽しめました」


 三人が、その顔に喜色を浮かべる。


「どうでしょう、お三方。最後まで、私を楽しませてほしいのですが」

「「「是非に!!」」」


 どう考えても、終わりを思わせるような口振りに。

 しかし貴族たちは、瞳を潤ませさえしながら、声を合わせて答えた。


「良い子たち。ではあなたたちに」


 黒いもやのようなものが、女から立ち上り。

 貴族たちをくるんでいった。

 もやは糸のようでもあり――――彼らは黒い繭に成り果てた。


「幸運を。楽しんでね? これからは、ずっと一緒よ」


 繭がばきり、ばきりと音を立てて割れる。

 中から、より濃厚な、煙のような黒いもやが溢れ出し。

 天高く昇って行った。後には……何も残されていない。


「では、行きましょうか。


 差し伸べられた女の細い手を見て、ダイナは二つのことを直感した。

 一つ。この女は、ダイナが使ったあの魔法の蛾と、同じもの。

 二つ。アレを使ってしまったから……自分はもう、戻れない。


 逆らえない、などという生易しいものではない。

 身を満たす幸運に、歓喜を覚えるのだ。


「はい、


 ダイナは、その手をとった。

 あるべき場所に帰れたかのような、満足感に包まれる。


 女はにこやかな表情をしていたが。

 不意にダイナから視線を外し、別の方角を見た。

 ダイナが飛ばされてきた方……貴族学園。


「ふふ。幸福がいるわ。我が愛しき公平と共に」


 女が他の何かを愛しいと述べることに、ダイナは胸がざわつく。

 だが彼女は、ダイナの表情が変わることなど意に介さず、続けた。


「なら名前がいるわね。紛らわしいもの。お母さま?」

「あなたの名前は、種の名『七つセブン陽気メリー祈りプライヤーズ』から研究者どもが雑につけたもの。

 本当の名は――――ラピス」


 蒼い石を思わせる瞳が、母をじっと見て。

 細められた。


「すてき」


 その声に呼応するかのように。

 空高くから、金属を爪でひっかいたような……奇妙な鳴き声が響いた。

 見上げると王城の中央尖塔に、黒い三つ頭の、巨大な蛾が取りついていた。


 数十mはあるだろう巨体が、しかし城を壊さぬよう、優しく羽ばたく。


「さぁ、楽しい世界にしましょう」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る