第25話 無敵の令嬢、その名はエスカ

 空に虹色の光が、円状に広がっていく。

 最初は一輪だけ。二輪、三輪と増え、都合五つの輪になった。

 一瞬形が歪み、五芒の星を象る。


 広がった虹の星は、黒竜に捕まったエスカへと、静かに収束する。

 星を宿したエスカの体が、光り輝く。

 竜が痛みを覚えたのか、悶え、爪を開いた。


 彼女の身が、高く空中に投げ出される。


 エスカは、不思議な確信を得ていた。

 今この瞬間であれば。

 すべての力を、発揮できる、と。


 エスカはそのまま、


 そして一歩、千里を渡る。


「一歩 ――――」


 踏みしめられた空が鳴る。

 風を巻いて、竜とエスカが交差。

 彼女は先ほどまで自分を掴んでいた爪に、少し触れ。


「―――― 一手」


 廻す。

 かなりの上空にいたが……竜は距離をものともせず、一瞬で地上に叩きつけられた。

 その身が、ひしゃげる。


 エスカはさらに、空を踏んだ。


「二足 ――――」


 エスカの姿が霞み、消える。

 後には雷の如き黒いひび割れと、大きな鳴動が残った。

 音を置き去りにしたエスカは地上に下り、まだ揺れる竜の尾の端に手を添えた。


「―――― 二投!」


 遠く岩山に投げ飛ばされ、黒竜は中腹に頭から突っ込んだ。


 続けて大地を踏みながら、エスカは考える。

 このまま投げても、致命とはなるまい。


 メイルが裂いても、絶命しない竜。

 二つではダメ。

 ならば。


 エスカの口角が、上がる。


 深く息をする。

 両の手で、空を掴む。

 裾の下で、膝が変幻に揺れた。

 

「三速 ――――」


 エスカは、

 その一歩、万を超え。

 10万の里を、刹那に跨ぐ。


 荒野に、虹の光が流れた。


 岩から落ちる竜の下に、踏み込むエスカ。

 巨体の落下を待たず、その手で再び風を掴む。

 両の腕で、一度、二度と素早く廻していく。


 徐々に見えない渦のようなものが沸き起こり、砂を、石を、岩を。

 そして竜を、巻き上げる。

 光が力の渦となり、ことわりを捻じ曲げてゆく。


 蝶が己の幸福を守るために……残忍に羽ばたいた。


「―――― 百手」


 遠く見ている者たちは、そのとき。

 百どころか、二百はあるだろう腕が、竜を掴んだのを見たという。


「汝、百裂きの刑に処す」


 エスカは掴んだ風を、力をこめて引きちぎった。

 しかし、ただ裂いたのではない。

 光を籠めた螺旋が、エスカの意に沿って。


 理屈ごと、竜を裂く。


 黒い獣は、血潮のようなものをまき散らしながら、粉々になった。


「ちゃんと死んでおけ。その方が……楽になる」


 それは動くもの、命あるもの、仮に自分自身であっても。

 百度必ず、絶命させる。


 ……むしろこんな力を出せば、エスカ自身とて砕け散るはずだが。

 不思議な力に包まれた彼女は、何の痛痒も受けていなかった。


 徐々に、エスカの体に仄かに残っていた、虹の光が消えていく。

 ふとエスカが頭の上を見ると、先ほど砕けた数字が戻ってきていた。

 ただ、「x0」だ。今の力は、残機を引き換えにするということだろうか。


 少し、心もとない。

 元居た丘からは離れすぎていて、魔物もいるだろうから……危険な状況だ。


 だが前方遠くから、銀の鎧が飛んでくるのが見えた。

 彼が来てくれるなら、安心だ。

 エスカはほっと一息つき、呑気に手を振って。


 その頭に、何かがどすっ、と刺さった。


 いたい。さすがにこれは、キノコではなさそうだ。

 結構な衝撃と重量のようで、頭が揺れ、彼女は仰向けに倒れる。

 その拍子に頭から抜けたそれは、どうも……牙か爪、のようだ。


(なんて、不運な)


 竜の体の一部が、まっすぐ頭上から降ってきたということか。

 ゆっくりと、エスカの頭頂部から何かが流れ出ていき。

 意識も、遠ざかっていく。


 もう残機は、ない。





――――――――――――――――



 無数の声が、遠くから聞こえる。


<どうする!?>

<まずいぞ、活動を停止してからでは、どうにもできない!>


 だろうなぁと思うものの、そうじゃなきゃどうかできるのかよ、とエスカは声に密かに突っ込む。

 だが、口を開いて言ったつもりだったのに、声には出なかった。

 ここはエスカの中……あるいは、彼ら『ハッピー』の居場所、だろうか。


<我々の命を使えば>

<だが、誰のを?>

<私が!><俺が!><僕が!>


 次々に声が上がる。

 エスカは不安になった。

 自分のためにと思ってくれるのは、嬉しいが。


 いやだ。みんなをうしないたく、ない。


<ダメよ!!>


 強い叫びを受けて声が止み、静かになる。


<エスカは、私たちが欠けることを! 望んでいない!>


 メリーだ。

 彼女が、泣いている。


<しかしメリー……>

<あの子が! 私たち全員を助けて! 救ったエスカが!>


 メリーの魂が、泣いている。


<こんなことで! 失われるはず、ないのよ!!>


 …………何をやっているんだ、私は。

 メリーの。

 あの子の涙を、止めるんだ!



――――――――――――――――





 閉じかけた目が、開く。瞳に、光が戻る。

 頭では、もう何も考えられなくとも。

 エスカは自身を信じる内なる声に、体を突き動かされた。


 倒れたまま手を伸ばし、空から降ってきた何かを掴む。

 それは黒い、肉片。

 エスカは渾身の力をこめ、その肉を口の中に押し込んだ。


 ついている血潮を喉が拒み、吐き出しそうになる。

 無理やりに抑え込み、飲み下す。

 呼吸が止まりそうになりながらも、体の奥へと流し込む。


 かつて死に瀕しながらも、食事を全うしたときのように。

 全霊をもって自らを御し、竜の肉を消化していく。

 永劫と思えるような、時間が過ぎ。


 エスカの頭上で、ゆっくりと数字が0から1に変わり。

 そしてまた、0に戻った。


 頭の傷が塞がるのを、感じながら。

 エスカは目を閉じ、今度こそ意識を手放した。

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