第24話 エスカは信じている

 明けて、決戦の日。


 今日は本当によく晴れ、空気も澄んでいる。

 国境を越え、魔物の領域に入ったこの辺りは岩場だらけ。

 その中でもエスカたちのいる丘は小高く、遠く遠くまで眺めることができた。


 とはいえ、どれだけ遠くを見ても、まだドラゴンの姿はない。


 隣で本のような形をした構造式を浮かべる、マジック曰く。

 もうこちらを目指してきている、そうなのだが。


 確かに、その兆候は出ている。

 冒険者たちは総出で、丘の上に魔物が登ってこないよう、防衛戦を行っていた。

 ドラゴンに追い立てられるように、弱い魔物たちがこちらに向かってきているのだ。


 しかしエスカの仕事は、もう終わっている。

 メイルに翼を与えた時点で、やることはない。

 あとはメイルがドラゴンの鼻先で空から忌避剤を撒いて、追い返してやるだけ。


 エスカは真上を見る。

 緩やかに上空を旋回している影が、目に入った。

 銀の鬼は翼を経て、問題なく空を飛んでいた。制御難もなくなったようだ。


 上がってきそうになったあくびを、かみ殺す。

 好き勝手話してくれていた者たちのせいで、顔を隠すようにメイルに寄り添うことになり。

 かえって別の緊張感を味わうことになって、エスカはなかなか寝付けなかった。


 一応、寝てはいる。だが睡眠不足は油断ならない。すぐ死につながる。

 仕事が大量に舞い込んで三日寝ていなかったら、そのまま死んだこともあって、エスカは寝不足を甘くは見ていなかった。

 仕事もなく、油断していていい……こんなときにこそ。


 何か、来るのだから。


「……おかしいな」


 隣から聞こえた呟きに、エスカは思わずため息をついた。

 マジックのことだ、次の言葉はきっと度肝を抜くものだろう。


「接近してくる飛行体が多い。4……5?」


 エスカは予測を上回る事態に、頭が痛くなってきた。

 ドラゴンが飛んでくるだけでもアレなのに、増えるとは何事か。


「全部ドラゴンなの? マジック」


 マジックは構造式から紙を抜き出すように魔法を展開し、首を振った。


「いや、ドラゴンにしては小さい。だが先ほどまでは……」

「それより、気を付けたほうがいいことがある」


 エスカは空に嫌なものを見て、二人の後ろから、頭を押さえた。


「伏せろ!」


 自分ごと三人、地面に倒す。

 すぐ上を、何かが通り抜けた。


「けふ。もう来たの!?」

「みたいだ」


 寸前まではまったく見えなかったのに、あっという間にここまで飛んできたようだ。

 エスカは二人をおさえながら、慎重にあたりを、空を見る。

 三人の周りには、他に誰もいない。これは先ほどから変わらない。


 そして空には、旋回する黒い影が増えていた。


「ばかな、忌避剤が効いていないのか!?」


 起き上がろうとしたマジックの頭をもう一度おさえ、伏せさせる。

 別の方向からまた影が飛んできて、近くの地面をかすめて過ぎ去った。

 メイルはもう、忌避剤を撒いているということだろうが……飛んでいる奴らが逃げる様子は、ない。


 戦略が完全に崩れてしまった。

 理由は不明だが、追い返すのは無理そうだ。


 エスカは気持ちを切り替え、頭を回転させる。

 追い返すのが難しいなら。戦闘し、撃退するしかない。

 竜殺しだ。

 

「マジック、風の魔法だ。上に吹かせろ」


 竜どもが降りてこられないようにし、あとはメイルに任せる。

 必要なら、マジックに援護させる。

 それが最良だと、エスカは瞬時に判断した。


 敵が空なら、エスカとメリーは足手まといだ。


「っ。わかった。だがいいのか?」

「奴らがこちらを狙うと、メイルの集中を妨げる。やってくれ」


 空中戦など、メイルも経験がないだろう。

 だがエスカは、彼を信じた。

 エスカの目を見て……マジックが、頷いた。


「わかった。ご当主に任せるとしようか」


 マジックはにやりと口元を歪ませ、本の中から魔法を一つ取り出し、上に放った。

 三人を広く囲み、強烈なつむじ風が巻き上がる。

 これでこちらには襲い掛かってこない、はずだ。


 そして早速、風の壁の向こう側に、何かが落ちてきた。

 重量物が大地に衝突し、地面を深く抉る。


「さすがメイルくん! やるわね」


 頭部が潰れた様子の、翼のついたトカゲのような何かが痙攣している。

 ドラゴンにしては小さい。それでも、メイルの鎧姿くらいの大きさはある。


「ワイバーン……? いや、反応は確かにドラゴンだったんだが」


 マジックが別の魔法を起動し、まだ息のある様子の小竜に向かって掲げる。

 解析の魔法だ。結果が芳しくないのか、マジックは首を傾げている。


「どっちだっていいじゃない。メイルくんが倒してくれるまで、待ちましょ」


 できることがないのも確かだし、エスカもメリーの提案に賛成だ。

 奴らが上から襲い掛かってこなくなったので、立ち上がり、空を眺める。


 メイルとワイバーンは形が違うから、見分けがつく。交差すると。


「おお。一方的ねぇ」


 また、竜が落ちてきた。メリーが歓声を上げる。

 ちょうど先ほど落ちたやつの上に重なり、二匹ともすぐ動かなくなった。


 さらに三体、四体と折り重なっていく。


「コツを掴んできたみたいだな」

「やるぅ」

「何言ってるんだ二人とも、おかしいだろう!?」


 マジックが悲鳴のような声を上げるものの、エスカとメリーはピンと来ない。

 二人、顔を見合わせて首を傾げる。


「なんでよ?」

「よく見ろ、傷なんてついてない! やつらはんだ!」


 マジックが言う間に、五体目が落ちてきて、また重なった。

 そうは言われても、エスカは傷などわからない。

 だってやつらは、ぐずぐずに崩れて――――


「くそっ! 『幻影ファントムキャッスル』!!」


 マジックが叫び、構造式の本をそのまま前方に投げた。

 風が止み、周囲の光景が変わっていく。

 丘の上から、非常に大きな……城の中のようになった。


 そして遠く向こうで、崩れたワイバーンたちが一つになり。

 巨大な――――竜が現れた。

 咆哮を上げたのち、大きな爬虫類の瞳で、エスカたちを睨みつける。


「ぇ。この城、何の意味があるのよ? マジック」


 竜とこちらの間には、何もない。防御の魔法とかではなさそうに見える。


「幻惑の魔法だ。向こうからは迷路に見えてるんだよ。時間は稼げる。

 ただ、もしも予想外にあいつが賢かったら」

「かったら?」


 聞くなメリー。嫌な予感しかしない。

 エスカはやむを得ず、二人の前に進み出た。


「秒で突破してくるな」


 はたしてドラゴンは、大きく口を開き。

 巨大な炎の弾を、吐き出した。


 ……エスカは覚悟を決める。

 マジックは次の魔法を準備していない。

 エスカが残機1を削って、なんとか防ぐしかないだろう。


 深く息をし、構える。しかし。


「ま、秒もあれば十分だ」


 マジックの声に呼ばれたかのように、炎の前に何かが降り立った。


「ヒュー!」


 メリーがまた、歓声を上げる。

 黒鉄の翼が生えた、銀の鬼神。

 メイルだ。


 彼に当たって、炎はただ霧散した。

 あの鎧は魔法の代物。生半可な攻撃は、寄せ付けない。

 ドラゴンが羽ばたき、低く滑空して彼に突撃しても――――微動だにせず、これを押さえた。


 鬼神はそのまま力づくで、竜を縦真っ二つに引き裂く。


 ……いや。そんな、馬鹿な。

 彼の魔法を知るエスカは、嫌な予感で頭がいっぱいになった。

 メイルの魔法は、耐久力はとてつもないが、膂力まで派手に強化されているわけではない。元々、防御向きの魔法なのだ。


 竜は非常に頑丈だ。いくらメイルでも、引きちぎるなど不可能。


 何かある。

 エスカの頭の中で、警鐘が鳴り響く。


 念のためにと、もう一歩前に出る。すると。

 裂けたドラゴンの中から、何かが飛び出してきて。

 その手にエスカは、掴まれた。


「「エスカ!?」」


 ――――油断した。


 エスカはもがくも、鉤爪のような手が体を一気に締め上げる。

 爪が食い込み、胸を抉る。

 彼女の後ろで、静かにメリーとマジックが消えた。


 残機が一つ減り、残り10。

 メリーだけでなく、マジックが現れるために必要な数を、下回ったのだ。

 幻の城もまた消え、丘の上に戻る。


『エスカ!! おのれ!!!』


 銀の鬼が腕を振るうものの、何かはその手から逃れ、距離をとる。

 顔の潰れた竜のような、黒いそれは……エスカを掴んだまま羽ばたき、飛び立った。


 地上がどんどん遠ざかる。

 メイルが翼を広げるのが見えるが、追いつけるものか不安だ。


 抉られた傷は再生していくものの、エスカは悟った。

 これは助からないな、と。


 締め付けが、強くなる。

 エスカの頭上で、残機の数字が減り。

 また蘇っては、深く抉られ、死を迎える。


(ぐ。だが……)


 彼女の魔法使いは、未だ遠く。

 連続する死に、意識が明滅する。

 揺れる視界に映る残機は、5。


 それでも。


(あきらめる、ものか)


 自分のことなど、どうでもよい。

 エスカはただ、残機を。

 彼らの命の輝きを、惜しんだ。


 意識がもうろうとする中、夢中で頭上の数字に手を伸ばす。

 魂の底から湧き上がる強烈な想いが、エスカの体を突き動かした。


!)


 エスカの手が、残機に触れた……その時。

 エスカの視線の先で、数字が確かに揺らめいた。

 ――――その向こうから、彼らの想いが返ってくる。


<エスカ――――!!>


 遠く高く、すべての世界に響くような、力強い声。

 その声が、数字を激しく揺らす。

 残機が七色に光り、轟音を立て、そして――――砕け散った。


 輝きが、天に広がっていく。


 空高く現れた、その突然の光景に。

 魔物が、人が、そして鬼が、目を奪われた。


 竜のような、翼の生えた黒い獣の周りに。

 エスカを中心として。


 真円の虹が、輝いていた。

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