第18話 そしてエスカの心は救われる

 エスカはメイルの持ってきたものを見て……何も、言葉が浮かんでこなかった。

 彼はエスカのそばまで来て、手の中にあるものをテーブルに丁寧に置いていく。


 一つはペン。

 一つは小さな壺。

 最後は木箱で……開くと、中に針、糸、ハサミ。裁縫箱だ。


 エスカはメイルに促され、ペンを手に取る。手に馴染む、金属製のペン。

 執拗に力をかけて折り曲げられていたそれは、その傷痕すらない。

 どこも歪みが感じられず、魔法でも使って修復したかのようだ。


 インク壺も触って、確かめる。ガラスではない、陶器製の品。

 特に装飾などはされず、自然な焼き上がりのものだ。

 割れて欠片が足りなかったはずだが、見事な滑らかさを取り戻している。


 両方とも、エストックにつられて行商をしていたころ、露店で買ったものだ。

 そして、長年使ったハサミと……ライラにもらった針も、ちゃんとある。

 エスカの大事な、宝物。


 ペンとインク壺は、エスカに「書く幸福」を教えてくれたもの。

 エスカの人生は、この二つによって組み立てられたと言っていい。


 そして裁縫道具。辛い中で、エスカに与えられた光。

 自分を化け物ではなく、人間として見てくれていた、幼い妹の眼差しそのもの。


 あれだけ念入りに壊されていた、エスカの心の支えたちが。

 二度と会えないと思っていた、大事な宝物たちが。

 テーブルの上で、往年の輝きを見せている。


 ふと、思い至り。エスカはメイルを見た。

 やはり、確かに少し、やつれている。

 この修復のために、何日も心血を注いでいてくれたのか。


 エスカも、魔法自体には理解がある。だからこそ、こんな細やかなことができるわけないと知っていた。

 インク壺など、ない欠片は生成して復元したということになる。

 もはや人知を超えた、達人技だ。


 なんという花婿修行だろうか。

 花嫁の心のために、ひたすらに力を尽くしてくれたのだ。

 エスカは彼の深い慈しみが、身に染み入るように感じた。


 そして理解した。


 ――――これが、愛されるということなのだ。


「手紙と布からインクを抜くのに、手間取っていてね。そちらはもう少しかかる」


 手紙の文字をそのままに、インク汚れだけを抜くことなどできるのだろうか?

 そんなことが頭をかすめるも、エスカはやはり、言葉を紡ぐことができなかった。

 ただ見上げて、歪んだ視界で……彼の目を見て。ほほ笑むように涙した。


 万の言葉を綴ってきたが。

 エスカは深く魂を救われたこの想いを、言葉にすることができなかった。


 ただ、彼の笑顔が。

 エスカの気持ちが伝わったことを、教えてくれていた。



 ◇ ◇ ◇



 涙を流しながら、彼に見つめられながら、宝物を愛でることしばし。

 正直ずっとそうしていたかったが、エスカはグレッソのことを思い出した。

 対応が遅れ、領が魔物の群れにひき潰されては元も子もない。


 侍女を呼んで身を整えてもらい、メイルに伴われて応接に戻った。


 部屋に入ると、グレッソ、その秘書、アルト、シフティが立って出迎えた。


「メイルだ。遠いところようこそ。我が領は商会を歓迎しよう」


 出鼻をくじくような強烈な一撃だ。

 エスカは、商会がロイズから引き払って来たことまで話していない。

 だがメイルは、ウィンドが商会を受け入れると表明した。グレッソがただ魔物迎撃の相談に来たのではないと、よくわかっているようだ。


「ありがたきお言葉。グレッソと申します。こちらは秘書のブロウ」


 壮年の男性と、妙齢の女性が共に深く頭を下げる。


 ともに平民がまとう質素な服。だがおろしたてだ。

 ウィンドは華美を好まないと、知っての用意だろう。

 実際、メイルもエスカも、貴族の服としては最低限の平服だ。


 二人は促されて直り、エスカとメイルがソファーに座ってから腰かけた。

 アルトはそばに控えて立ち、シフティはお茶の準備を始める。


「……おや?」


 エスカが女性を見て、思わずつぶやいた。

 正確には、彼女が取り出してきた資料の……字を見て。


 注目が集まったのを感じ、エスカは少し狼狽して、メイルを見た。

 彼が頷いたので、続ける。


「そう。あなた、あの『ブロウ』だったのね。久しぶり、かしら」

「っ! 覚えていて、くださったんですね。エスカ様」

「わたくし、記憶力はいい方ではないわ。でも、字は忘れない」


 彼女は、エスカが指導した事務員の一人だ。

 指導と言っても、当時エスカはロイズにいたので、手紙越し。

 課題として出したものを死ぬほど添削し、それでも食らいついてきたのをよく覚えている。


「いつかお会いしたとき、お礼申し上げたいと思っておりました」

「もういただいたようなものよ。美しい資料を書くようになったわね、ブロウ」

「……はいっ!」


 少し涙ぐまれている。そこまでのことをしたとは、思っていないのだが。

 エスカとしても、悪い気はしなかった。


「世間的には、嫁入りを勧めなくてはならないところですが、手放せませんで」


 グレッソが……言葉とは裏腹に、目を細めながら嬉しそうに言う。

 確かに女性は、明らかに20台も半ばを過ぎたといったところ。

 エスカが指導した当時は、10台前半だったはずだ。


「グレッソ。組織として、あまり個人に依存するのはよくないでしょう。

 そこまでなの?」

「エスカ、ブロウはあなたの半分くらいだ」


 エスカは思わず変な顔になった。


 箱入りで様々な常識に疎いエスカだが、それでも自身の能力は正確に把握している。

 事務員100人分のエスカの半分だから、ブロウもまた50人分の働きをするということ。

 十分に超人である。手放せるわけがない。しかも。


「そんな、過分なご評価です……」

「グレッソは下限を評価に出すわよ。知っているでしょうに。

 普段の働きは、わたくしに匹敵すると見て良いのね?」

「その通りです。あなたの上限はわかりませんが」

「そんな仕事、用意できないでしょう。考えるだけ無駄だわ」


 エスカとグレッソが、少し悪い顔で笑い合う。

 ブロウは目が輝やかせていて、きりっとした顔のメイルも密かに頬が緩んでいた。


 そして控えているアルトとシフティは、冷や汗をかいていた。


 エスカ、グレッソと並んで、彼らはエスカの「上限」の想像がついていた。

 彼女が手を出すと、シフティもアルトも自分の仕事がほとんどなくなってしまう。

 領一つの業務くらいなら、片手間に済んでしまうのだ。それこそ、一人で国の行政機構になり得るのではないだろうか。


「私なんてお姉さま方に比べれば、まだまだ」

「そう。商会が大きくなるわけね」


 執事は思わず声が出そうになり、メイドはお茶を零しそうになった。

 ブロウに匹敵する者が何人もいると言われ、とても平静ではいられなかった。


「さて、旧交を温めるのはこれくらいにして」


 エスカが肩にかかった髪を払い。

 口調を改めた。


「本題に入ろうか、グレッソ」

「またあなたと仕事ができて嬉しいよ、エスカ。

 では話を進めさせていただきます、エスド子爵様」

「メイルでいい。頼んだ」


 メイルが鷹揚に頷く。

 外行きの顔の領主を傍目に、かつてのようにエスカとグレッソが話を詰めていく。


 エスド領を目指し、現在大量の魔物が集まりつつある。

 商会傘下の冒険者ギルドから上がった情報を、グレッソは持ち込んでいた。

 見せてもらった資料から、エスカは考えていた原因の一つを切りだす。


「魔物集結の原因は、忌避剤か?」


 一定期間、魔物を寄せ付けない王国の発明品「忌避剤」。

 難点があるとすればそれは、強力すぎること。魔物が逃げてしまうのだ。

 忌避剤のない方向へ。


 だが逃げる方角は決まっている。

 もっと南は、強力な魔物の領域となっており、弱い魔物は近づけない。

 なので、忌避剤の撒かれていない王国のどこかにやってくる、わけだが。


 エスド領に集結している、ということは。


「ああ。ここ以外の国境沿い13の領で、同時に撒かれた」


 やはり。最悪の事態だ。


 エスカは思わずメイルを見た。

 相当恨まれていないと、こんなことはされない。

 だがメイルは特に気にした様子もない。おそらく……まったく身に覚えがないのだ。


「別口か。厄介な。そこの見立ては? 何か理由があるでしょう」


 エスカはため息をつきながら、グレッソに水を向けるが。


「何もつかめていない。エスド領の後見は、センブラ伯だ。

 領も接していて、その後ろは王都だぞ。

 そもそも恨みを買ったり、策謀の標的になるようなところじゃない」


 彼の答えは、芳しいものではなかった。


 ――――しかしそこに、エスカは潜んだ謀略を見つけた。


「……答えがあったじゃないか」


 エスカの呟きに、グレッソとメイルの顔色が変わった。

 ついでブロウ、シフティ、アルトも息を呑む。


 王国は統率力が弱い。

 ついに、貴族に見切りをつけられたのだ。

 エスカは額をおさえながら、続ける。


「狙いは、王都だ」

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