第14話 エスカは花の騎士に愛されたい
翌朝。
いくつかの野菜を煮潰したスープと、麦の粥。おいしいものをたらふく腹に納めて、エスカはご満悦だった。
そしてエスカは、何となく頭上の数字を眺めた。
『x1』
よく食べたおかげか、先ほど一つ増えた。幸先がいい。これで
そう。
「麦粥たまんないわね! おかわりお願いします!!」
一つ目の残機はばっちり外に出て、エスカよりかなり食べていた。
作法としてはいろいろ台無しだが、シフティを始めとする使用人たちも特に咎めず、むしろ微笑ましくメリーを見ている。
二人は、ウィンド家に受け入れられた。あれだけの無礼を働いたにも関わらず。
意外ではあったが……エスカはちらりと窓の外の花満開の庭を見て、改めて納得する。
主人が手ずから整えている美しい庭。それを大切にしている、能ある使用人たち。
そして一晩考え理解した、これまでのメイルの行い。
ここは貴族の理屈や、ロイズに満ちていた悪意が支配しているのではなく、人の善性が当たり前に期待できる家なのだ。
エスカが知っている、手紙の向こうにだけあった人の良き心は、ここにあるのだ。
警戒などせずとも、温かく迎え入れられるほうが自然だった。エスカはようやく、それを理解した。
そして少し前向きになった。未来の夫となる人とも、良く話せばいいだけだ。懸念を伝え、共に取り組んでいけばいい。自分一人で解決する必要はない。
エスカが見積もったメイルの人間性を踏まえれば、対話を重ねることは別に難しいことではない。
彼はただ、不器用なだけ。その高い目線と速度に合わせれば、意思の疎通は図れるだろう。
「シフティ。メイル様は」
だがその肝心の旦那様、昨日倒れてから姿を見ていない。
屋敷にはいるだろうに、朝食の席にも現れなかった。
あの勢いなら、また突撃してきそうだとエスカは思ったのだが。
そばに控えるメイドが、僅かに眉をピクリとさせた。
「率直に申し上げまして。主人は女性の扱いを、大変苦手としているのです。
今しばらく……ひと月ほどお時間いただければと」
シフティは頭まで下げた。謝られるとは思わなかったので、エスカは僅かにたじろぐ。
どうもウィンドの者たちは、あの求婚事件はメイルに非があると見ているようだ。
しかも長い。シフティの言い様からすると、何か矯正でもする気なのだろうか。
あるいは、引き離している間にエスカにもウィンドに慣れてもらい、時間をかけて二人の溝を埋めるつもりなのかもしれない。
会えないのは不思議と寂しいように思うエスカだったが、やることが山積みな現状を鑑み、気持ちを切り替えた。
「花婿修行ということね。なら、わたくしのやることも決まったわ」
エスカは胸を張る。おかわりの麦粥を食べきったメリーが、顔をあげてエスカを見た。
「なにエスカ。拡張でもするの?」
どこかで皿の割れる音がした。謝る声と、少しの騒がしさがあって。
エスカはまず最初にしなければならないのは、メリーの淑女教育だと思い知った。
メリーのお姉さん力の中には、品がまったく含まれていないようだ。
「それは今すべきことでないし、ここで話すのもやめてくれ」
「ん。手伝いが必要なら言ってね」
手伝いとはなんだ。メイルにやってもらわねばいかんような気もするが、メリーの方がましか?
不意に想像してしまい、エスカは頬が熱くなるのを感じる。
やめよう。羞恥のあまり、スプーンで頸動脈を掻っ捌いて死にたくなる。こんなことで、増えた残機を早々無駄にしたくはない。
「エスカ様は、なさりたいことがあるのですか?」
できたメイドだ。シフティは今のやりとりを完全に流していた。
改めて彼女に顔を向け、エスカは口を開く。
「三つあるのよ。一つは、メイル様に手紙を書きたいわ。叶うかしら」
引き合わせないとなっても、文通で交流を図るなら悪くないだろう。
エスカはそう考えたのだが。
「はい。もちろんでございます」
果たして、シフティが華やぐような笑顔になった。
胸の内が暖かくなるのを感じながら、エスカは続けた。
「では二つ目。暇になるし、仕事をしたいと思うの」
「……実は折り入って、エスカ様にお願いしたいことがございます」
シフティの少し深刻な様子に、エスカはピンと来た。
「なるほど。本当にメイル様は花婿修行をなされるのね。代理は問題ないはずよ」
メイドが息を呑んでいる。
領主の業務が滞るほどの缶詰具合は想像がつかないが、代理が必要なのは間違いないようだ。
本来ならば親族が行うことを認められる、領主の代理や代行。手続き十分ならば婚約者を親族とみなして、これを行うことは可能だ。
今回は当主本人に委任をもらい、代理をすることになるだろう。
「ただ、婚約期間が一年以内となるようにしてちょうだい」
「ぉ、恐れ入ります。一年という期限は」
「前例がある。あまり長いと乗っ取りを疑われて、王権が介入してくるから」
婚約者の身分で領主の代わりをし続け、納税の際にこれが発覚し、問題になったことが過去にある。
エスカは、男爵家に養子入りする父エストックがその二の舞となることを避けるために、調べて書類を用意したことがあった。
代筆とは言うが、彼女は書類に関するものなら商会・男爵家のすべての業務を手掛けていた。
領主代理はしていいようだから、領の資料を見せてもらいながらやることを考えるとしよう。
だがまずは、すぐ取り掛かるべき大事な三つ目に手を付けようと、エスカは頭を切り替える。
「最後の一つなのだけどシフティ。ハサミをちょうだい。脂っ気があっても切れるものがいい」
「はい。何に、お使いに?」
エスカは椅子から降り、紐でくくっている髪に手を添える。
「切るのよ」
「切っちゃうの!?」「切ってしまわれるのですか!?」
なぜ二人そろって驚くのか。
「この長さでは、手入れが難しいもの。不衛生だし、見栄えもよろしくない。切って整えます。
せめて身なりを整えなくては、メイル様に相応しくないでしょう」
エスカがそう言うと、シフティはなぜか、また息を呑んだ。
「エスカ、様は。主人との婚姻に、前向きなので?」
そう言われて……エスカは少し、己を恥じた。
メイルはきちんと自分の気持ちを口にしてくれたのに、エスカはまだだと思い至ったからだ。
そして、彼がああしてくれたことが、エスカが前向きでいられる何よりの理由だった。
「メイル様は、わたくしの実家での窮状を慮ってくださり、しかもおそらくは談判のつもりでロイズを訪問したのでしょう?」
昨日の求婚まで、すべてが一貫した行動原理に基づくのだとすれば。
メイルがどういう心情で動いていたのかは、紐解きやすい。
単純だ。彼はとても、心優しいのだ。
「そして戻るや否や、結婚の意思を強く表明した。
メイル様は、わたくしの心を何より気遣ってくださったのです」
彼はエスカの身の上に共感し、行動し、不安を取り除こうと懸命だったということだ。
自分は愚かにも、その目線の高さ、行動の速度がすぐに理解できていなかった。一晩もかかってしまった。
ならば改めよう。その隣に少しでもいたいと思うのならば、同じ目線、同じ速度を得なくてはならない。
人のやさしさが、ぬくもりが、閉じこもっていたエスカの心を、羽化させた。
悪鬼羅刹と呼ばれて恐れられる、優しい花の騎士。
不死身の化け物は生まれ変わり、彼の隣に並び立てる、伴侶となるのだ。
長年、狭いさなぎの中にいた彼女の魂は、今。
殻を破り、蝶となる。
エスカは強く決意し、シフティに、軽く礼をとる。
もう、体が震えることは、なかった。
「わたくし、夫となる人の配慮に気づかぬほど、愚かな女ではなくてよ?」
エスカの声に、かすれはない。堂々とし、高く響いた。
メイドがエスカの礼に応えるように、勢いよく片膝をついて、深く頭を垂れた。
顔は隠されて見えないが、泣いている……エスカはそのように感じた。
「御見それいたしました。使用人一同、あなた様を是非にお迎えしたい所存です」
そこまで畏まられても困るのだが。
けれど見ればメリーは何やら笑顔だし、エスカも気分がよかった。
「なら手伝って、シフティ。わたくしは」
かつて小さな世界で幸福に囲まれ、未来を諦めていた愚かな女は。
優しい人たちに、たくさんの安らぎをもらって。
美しく、微笑んだ。
「あの不器用な旦那様に、愛されたいのよ」
――――――――――――――――
【
彼女は、狭い世界を飛び出した。
ひとの暖かさをいくつも知った。
自由という大きな羽を得て、愚者は空を見上げる。
花の騎士の、万の寵愛を受けるため。
彼と自分と、優しい人たちの未来を切り拓くため。
無限の命を背に乗せて、幸福の蝶が今、大空へと羽ばたいた。
その
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