第15話 エスカの去ったロイズ家 【ダイナ目線】

 仕事部屋の執務机で、ダイナは広げた書類に目を落とし、少しのため息をついた。

 先に受けた報告で一息つけそうとはいえ、最近どうも仕事がやりにくい。

 椅子に深く腰掛け、このところの出来事を思い返す。


 やはり一番大きいのは、エスカ――――あの化け物がいなくなったことだ。


 「愚鈍な化け物がいなくなって、せいせいした」。ロイズ家の者は皆、そう感じているようだった。

 エスド子爵が乗り込んできて一時どうなることかと沸き立ったが、結局子爵は化け物を娶るらしく、縁きりは速やかに成立しそうだ。

 ロイズには平和な、弛緩した空気が流れていた。


 ダイナとしてはお気に入りの玩具、でもあったが。

 気持ち悪い化け物であるのも、間違いない。

 汚い小屋もよく燃えて、彼もまたすがすがしい気分で過ごしていた。


 しかし。

 エスカがいなくなってから、変化はじわじわと表れた。


 まず、手紙が届かなくなった。

 これまではすぐさま戻ってきた返事が、まったく来ないのだ。

 催促を出すと、ちらほらと戻ってくる。だが遅い。


 次に、仕事が滞るようになった。

 今まで書類で行われていた指示が、いつの間に口頭になっていた。

 行き違いや物忘れ、認識違いが横行し、単純なことでもまったく進まない。


 母はドレスが届かないと憤っていた。

 父も仕事がはかどらないようだ。

 ダイナもまた、王都に行くための金を作るのに、苦労していた。


 先に受けた報告は、いくつかの村からの「徴発には応じる」というものだった。

 これが届くのも、やはり時間がかかった。

 領外とのやり取りではうまく金が集まらないので、領内から臨時徴税を行ったのだ。


 ダイナは今年末頃、男爵を継承する。彼はその権限を使って、金を集めていた。

 エストックは、ロイズ男爵ではない。婿養子なので、継承権はなかった。

 ダイナが生まれるまではリンカが男爵の継承者で、ダイナが成人した以上はロイズ男爵とは彼のことだ。


 正直、早々に徴発を使うことになったのは、痛手だ。

 年末にはまた王都に行って、国王陛下からの爵位継承承認を受けなくてはならない。

 この時のためにとっておきたかったが……どうにも、うまくいかなかった。


 しょうがない。今回王都にいって、新たな顔つなぎをして次の宛てを作ろう。

 ダイナは頭を切り替え、手元の資料に再び目を落とす。

 領の収穫状況などを、かなり正確に記しているものだ。これのおかげで、徴発を行う目星をつけやすかった。


 ロイズは良い事務屋を抱えていると、ダイナはほくそ笑む。

 貴族学園では様々なことを学んだ。領地経営、事務、行政などについてもだ。

 その経験から、ここまでの事務処理能力を持つ者などそうは育たないと、彼は理解していた。


 王家など、十分な行政能力を確保できないから、衰退の一途を辿っているとすら言われている。

 それを思えば、ロイズは当分は安泰だろう。金などきっと、すぐ集まる。

 ダイナはそう考えていた。


 今日、この日までは。


「おい。この資料は年度が古い。改めさせろ」


 ダイナは紙束の一枚を何気なく見て、気になったことをそばに控えていた執事に告げる。

 だが、執事の反応は今一つ鈍かった。


「ダイナ様、そのぅ」

「なんだ。当家には書類仕事の専門家がいるだろう。やらせろ」

「いえ、それは……現在はおりません」

「…………なに?」


 ダイナとて、家の人間はだいたい把握している。

 最近いなくなったものなど、いないはずだ。


 すべてを知っているわけではないので、どの人間が事務をやっていたかまではわからない。

 執事が使っている者の幾人かだろう、と思っていたのだが。


「辞めたとは聞いていないが」

「いえ、結婚されました」

「………………なんだと」


 ダイナもさすがに察しがついてきた。

 だが信じられず、席を立ち、執事に詰め寄る。


「おい。エスカがこれを作っていたというのか? あいつは代筆屋だろう?」

「いえその。書類仕事は旦那様が商会におられた頃から、すべて引き受けていたと聞いております」


 ダイナの顔色が変わった。

 彼は舌打ちし、紙束を執事に押し付け、扉に向かう。


「ダイナ様!?」

「父に話をする」


 それだけ言うとダイナは扉を出て、近くのエストックの書斎を目指す。

 この時間なら執務中のはずだ。

 ほどなくたどり着き、扉の前に控えていたメイドに声をかける。


 エストックは在室で、すぐ部屋に入ることを許された。


「どうした、金の無心か? ダイナ」


 執務机で本に目を通している父親が、ダイナを見ずに言う。


「そっちは片付いた。

 うちの書類、全部エスカが作っていたと聞いたんだけど。本当? 父さん」


 エストックは手元を注視していて、やはり息子を見ずにぞんざいに答えた。


「ああ。それがどうかしたか」


 ことの重大さを理解していない――――ダイナは一瞬で、父親に見切りをつけた。

 とんだ無能だったようだ。

 彼は密かに一息つき、気持ちを整理して、今考えるべきことに目を向ける。


 エスカの奪還は無理だ。乗り気でアレを娶った子爵からは、取り返せないだろう。

 場合によっては、仕事を依頼するのも手だが……簡単には引き受けまい。

 となるとあとは、代わりの手配だ。


 なんとかしないと、ロイズ領が潰れる可能性すらある。

 

「アレのやってた作業は、うちじゃ無理だ。

 使用人じゃ追いつかないよ。どうするのさ、父さん」


 畳み掛けるダイナに、さすがのエストックも顎に手を当てて一思案し、目を向けた。


「どうしてもというなら、グレートエストック商会を訪ねろ」

「父さんの作った商会だっけ?」

「今は縁が切れている。まぁ、お前なら問題なく取引に応じるだろう。

 あそこは事務屋を大量に雇っている」


 なおダイナはもちろん、エストックも知らないことだが。

 現商会主グレッソが事務員を大量雇用した理由は、エストックと仲違いしてエスカを頼れなくなったからである。

 商会はエストックに大金を払ってまでエスカにノウハウを請い、教育を施した事務員を100人用意した。そして現在も、増やし続けている。


 エストックが把握しているのは、その結果だけ。

 なぜグレッゾがそんなことをしたかは、理解していなかった。

 難しい話ではないのだが、想像がついていないのだ。


 エスカ一人分の能力の補填に、100人の事務員が必要だった、とは。


「わかった。あたっておくよ。ありがとう」


 用が終わったダイナは、すぐ書斎を後にする。


「やってくれたな、エスカ」


 彼が呟いたのは完全な逆恨みだったが、実は当たっていた。

 エスカは書類こそ残したが、仕事のノウハウはロイズ家に一つも残していなかった。

 自分以外に、男爵家の事務が務まらないようにしていたのだ。


 エスカ自身の居場所を守るためであり、また自分の死後にささやかな仕返しを成立させるためでもあった。

 だが、現在の彼女が行っているロイズへの嫌がらせは、こんなものではなかった。





 後日ダイナは、領の街でグレートエストック商会の本店事務所を訪ねたが。

 もぬけの殻だった。

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