第12話 エスカの大切なもの

 翌日。


 また死にそうになりながら朝食を平らげた後、エスカはしばらく手紙を書いた。

 最初は、文通相手に居住の変更を知らせるつもりだったが。

 雑談中にシフティが白状した裏事情により、お礼状を書くことになった。


 どうもエスカの文仲間が、今回の結婚騒ぎに噛んでいるようなのだ。

 高位貴族らからの勧めが、メイルにあったわけで。ならば初めから、破談などあり得なかったというわけだ。

 いろいろ考えているうちに少々疲れを感じ、エスカは手紙を書き上げ、部屋で休むことにした。


 自室に戻り、ベッドに腰かけ、エスカは一人、思い悩む。


 そういう事情なら、結婚自体は決まったようなものだ。何も案じることはない。

 とはいえ……昨夜メリーがああは言っていたものの、エスカはやはり、メイルに愛されるとは思えなかった。

 その上で体格差。関係は形だけとなるだろう。


 だがこれでいい。彼を愛さなければ、嫉妬に狂ってどっかの小説のような結末にもならない。

 エスカの安寧は約束される。

 そう思うのだが……エスカは、ひどく胸が痛んだ。


 彼女の前世、幸夜香さやかにとって、その小説は心の支えだった。

 メイルの強い愛と不屈の心、メリーのやさしさと深い情。それが彼女の、励みになっていた。

 二人の悲劇を回避し、強く結ばれる結末が描けるのであれば、幸夜香さやかは喜んだに違いない。


(ごめん)


 彼女の無念は、晴らしてやりたい。だがそれは叶わぬことだ。

 醜く小さな自分が見初められ、愛されることなどないし。

 ましてや、まともでない人生をすでに20年以上送った身としては。


 人を愛せるとは、とても思えなかった。


 胸が、いたむ。


「どうしちゃったのよ、エスカ」


 突然声がした。

 エスカの体から、にゅるんと黒いもさもさが出てくる。

 エスカは口を押え、悲鳴を飲み込むのにかなりの労力を要した。


 そして出て来たものが、メリーだと認識したエスカは。


「……どう、とは」


 尋ねながらベッドから降り、歩み寄って、メリーをひしと抱きしめた。

 もうしばらく、会えないものと思っていたが……どうやら朝食で、残機が戻ったようだ。


 暖かな陽だまりの匂いに、エスカは深く安らいでいく。

 ずっと見守ってくれていた、残機の声の主。エスカの味方。

 彼女を抱きしめつつ、エスカは改めて、これまで雑に死んでいたことを恥じた。


 もうメリーを失いたくない。残りの98人も、きっと素敵な人たちに違いない。

 よく食べて、よく生きよう。強くなろう。そう、心に誓う。


「とても悲しそうよ。何があったの?」


 メリーは少し困った顔をしながら、エスカを抱き返す。

 メリーの登場で完全に気持ちが切り替わったエスカだったが、言われて直前に悩んでいた内容を思い出した。


 愛されないとは思っている。愛さない方がいいとも思っている。

 だがそれに納得できていない。

 エスカはメリーに素直に胸の内を語り、相談することにした。


 メリーのお姉さん力とやらを、拝見するとしよう。


「結婚は叶い、私は実家には戻されないみたい」

「そうね。私も同意見だわ。それで?」

「白い結婚って知ってる?」


 体の関係がない結婚、という意味だが……はたして伝わったようで、メリーはすごい勢いで黙った。

 そしてエスカから身を離し、引き下がる。

 眉間にしわが寄り、なんなら額に少し汗が浮いている。


「…………残機をためて、挑みましょう」


 エスカの中で、いろいろと情報は共有されているらしい。

 どうもエスカの意図するところ……体格差を始めとした懸念は、伝わったようだ。

 しかし。


 エスカ自身も、残機頼みでことに及ぶことは考えたが。

 メリーに言われると、嫌な気持ちにしかならなかった。

 昨夜、メリーが消えたときの……耐えがたい絶望を思い出す。


 確かに、メイルとの夫婦関係は良好にしたいと考えた。

 だがそこまでして致すくらいなら、エスカはメリーを優先する。

 そう、エスカの中には、明確な優先順位ができていた。


 メリーをはじめ、『ハッピー』たちが最上位。続いてウィンド家の人々。

 メイルは……その次に入るか、くらいだ。

 エスカ自身は、その下になる。


「いやだ。君や……みんなに死んでほしくない」


 エスカは少し身を離し、メリーの目を見て決然と告げた。

 メリーは驚愕の表情を浮かべ、エスカの目の前で力を失い、膝から崩れ落ちて絨毯に四つん這いになった。


「エスカが……尊いッ!!」


 エスカには、叫ぶメリーの情緒がよくわからなかった。

 思わず変な顔になる。


 その時。

 廊下が俄かに騒がしくなり……大きな足音がしてきた。

 音は明らかに、エスカのいる部屋に向かっている。


『お待ちを旦那様! エスカ様はお休みです!』

『すまぬが待てぬ!!』


 何か昨日聞いたようなやり取りが、また聞こえる。

 しかもあっという間に足音が近づいてきて。


「エスカ嬢!!」


 扉がばーんと開いた。

 そりゃあもう、四つん這いのメリーをどこかに隠す間もないくらいに。

 部屋に踏み込んだメイルが、エスカとメリーを交互に見ている。


「…………エスカ嬢?」


 彼は立っているエスカの方を見て、声をかけた。

 エスカは言い訳の難しい状況に、少々投げやりな気持ちになった。


「この子は……私の、残機です」


 エスカの雑な説明に、メイルが固まった。その後ろで、シフティと執事のアルトも固まっている。

 廊下にはさらに幾人かの使用人たちがいるようだ。

 静寂が訪れる。


「ざん、き?」


 ようやく言葉が脳に届いたのか、メイルが呻くように言う。

 エスカは静かに嘆息し、続ける。


「分身のようなもの。わたくしはこの子たちのおかげで……死なずの化け物なのです、メイル様」


 一度事情のすべてをぶちまけた上で、判断を迫る。

 返答が納得いかないものなら……もういっそ、逃げてしまおう。

 エスカはそう決意した。


 彼女はある種の箱入りなせいか、土壇場の判断が大胆で、かつ余人の斜め上を行くものだった。


「エスカ!!」


 メリーが立ち上がって、詰め寄ってきた。

 悲壮な、表情。対するエスカは、むしろ穏やかな心地だった。

 ただ化け物と呼ばれる日々は、終わったのだ。エスカには今、大事にせねばならない、味方がいる。


「そう、か」


 巨木のような青年が、ふらりとエスカに近寄ってくる。

 メリーは慌てて、その前に立ちふさがり。

 しかし押しのけられて倒れた。


 彼はひざまずき、エスカにまっすぐ目線を合わせて。

 息を整えてから、ゆっくりと言った。


「エスカ嬢――――僕と、結婚してほしい」


 その言葉の意味と。情緒と。

 そして今このタイミングで言った理由が、さっぱり理解できず。

 何より。


「お呼びでないわ。ごめんあそばせ、でくの坊」


 エスカは大事なメリーを雑に押し倒され、ぶち切れた。

 メイルは相当な衝撃だったのか、ふらりとよろめき、倒れた。


 別に反目しているわけでもないのに、二人は絶望的にかみ合わなかった。

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