第7話 輝ける月

 突然真っ白で美しい紙が届いた。たまにみる市井の紙とはまるで違う染み一つない艷やかな紙。

 それは長安城からの呼び出し。何が起こったのかわからぬまま長安に赴き、広利兄さんとともに恐怖に震えながらかつて見上げたそびえ立つ城に入り、最初に案内された広い屋敷で兄と再会した。


 久しぶりに会った兄は少しふくよかになり、かつての透き通るような硬質さは鳴りを潜め、そして少し澱んでいた。けれども私を見つめる瞳はかつてと同じく優しかった。

 兄はもうかつてのように天を舞うように踊ることはできないのだろう。その美しさは変わらないけれど、かつて野の鳥のように力強くもがき羽ばたいていた時とは違い、美しく装うその衣の下の脚はこの地に縛り付けられ、風切り羽根は切り落とされていた。兄は私たち弟妹のためにここにその身を売ったのだと、その時深く理解した。

 私は兄が何をして私たちを養っていたかよく知っている。そして次は私であったはずであることも。かつて兄と別れた時のことを思い浮かべた。


「いいか。必ず俺に強姦されたと言うんだぞ」

「強姦?」

「そうだ。いいな。それから広利。届け出たらすぐに長安を出るんだ。わかったな」

「兄ちゃん、無理だよ」

 すがりつく広利兄さんを抱きとめ、延年兄さんは優しく告げた。それは兄さんの中ではすでに決まっていたのだ。

「大丈夫だ。5年は暮らせる金はある。金子は小さな石に変えておいた。服の裏に縫い付けたから困ったら1つずつ解いて売るんだ。俺はお前たちが暮らせるよう金を稼ぐ。だが万一俺からの連絡が途絶えたら広利、お前が家長だ。家業を継げ。だから稽古は怠るな」

「嫌だよ兄ちゃん」

「大丈夫だ。大丈夫だから。俺がなんとかする」

 兄は私たちを強く抱きしめた。兄に紹介された人を見上げる。武官のようだ。真面目そうにみえる。信用できると言っていた。どうやら兄が月ごとに給金を送る約束になっているらしい。

 私たちは被害を届け出て、すぐに長安を去った。武官の男は長安から比較的近い町で家を借り、そこでひっそりと暮らすようになった。私たちはその武官の子ということになり、家で歌舞の稽古をしながら兄からの頼りを待った。

 密かに武官から聞いたことだが、漢の法律では強姦罪は宮刑となり、後宮で死ぬまでの労役が待っているとのことだ。私たちを送り出した後、兄が無実の罪でどのような目にあったか、それを思うと肩が震えた。何故わざわそのようなことを。兄が何を考えているのかわからなかった。けれども武官には毎月給金が送られているようで、兄が無事であることだけはわかった。


 それから2年たち、後宮で兄と会った時、涙がこぼれた。兄は以前と同じように私たちのために体を売り、そのお金で私たちが暮らしていたことを知ったから。けれどもそれでも兄の思惑は果たされたのであろう。兄は2年前に別れたときと同じように私たちを強く抱きしめた。

 その夜、私と広利兄さんは兄のもとに呼ばれた。そして、何故私が呼ばれたのか知った。

 私たちの未来を切り開くために、次は私が成し遂げる番だ。


 それから厳しい稽古の日々が始まった。

 兄は長安城の楽府というところで仕事をしているそうだ。長安は国都であり、100万に近い人が住む。絹の道の終点で様々な事物が帰来していた。そこで生まれる新しい楽の潮流。最新の歌舞。私はそれを徹底して教え込まれ、兄のかわりにその技を修めた。舞いだけではなく物言い、歩き方、それから帝の好みの全てを。

 指先の震え1つ、不要な傾き1つ許されなかった。稽古で磨き抜かれ、化粧を施し、洗練された衣装をまとい、見たこともないような宝玉を散りばめて兄とともに宮殿に向かう。

 空に昇る満月に向かって呟くように兄は言った。

「妹よ。帝の後宮には何千という美姫がいる。多くは美貌に優れる者、そして少ないが美しい舞を舞う者や美しい歌を奏でる者がいる。けれどもその全てを兼ね備えるのはお前だけだ。何としても帝の寵愛を得るんだ」

「わかりました、兄上」

 なんとしても帝を射止める。

 兄はたった1人で、なんの頼りもなく、最も冥き底からそれを成し遂げた。次は私の番だ。兄の助けを借りて帝を射落とす。そして子を成して、一座の、一族の未来を永遠に変える。私の、兄と同じ血を持つ子が永劫に不幸から遠ざかるように。兄が全てを捨てて求めた未来を手中に収めるために。


 兄の歌と琴で私が舞う。

 広間の明かりは全て私に集まり反射してきらきらと光を撒き散らす。兄の成長を止めた高く美しく震える声に乗って身をゆらゆらと震わせる。薄く化粧を施した兄は美しかった。けれども私は今、その兄より美しい。そうでなければならない。兄がその身で敷いた道を私が歩むのだ。体を張り詰め、毛筋の先ほどの動きにも注意を払う。激しい動きに鼓動が揺らめく。息が、苦しい。けれどもその顔は美しい笑みを。武帝が好む笑みを。

 夜が更け、明星が昇るころには私は柔らかな褥にいた。兄が温め、私を導いたこの場所に。

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