第6話 絶世の月

「公主様におかれましてはご機嫌麗しくお喜び申し上げます」

「あぁ、あなたが最近噂の李延年とやらね。確かに美しいこと」

 公主は上から下まで無遠慮に俺を冷たく眺め回した。美男美女に慣れているのだろう。こんなふうに只々眺められるのは初めてで、珍しく不思議な思いに囚われた。敵視されている。まあそうだろうな。俺はこの人の手駒の邪魔をしているわけだから。

「協律都尉が一体何のご用かしら」

 協律都尉。楽府の役職を利用して面会をねじ込んだ。

 平陽公主は武帝に献上するために多くの美女を集め、礼儀作法や歌舞を教え込んで推挙している。後宮の中でも高貴な女性は人前で踊りなどしないのだ。だから人前で益体もなく踊る妓女が武帝の目に止まりやすい。

 平陽公主が勧めた衛皇后はもともとは平陽公主の召使い奴隷であり、俺と同じ下賤の身から武帝の寵愛を受けて男子を産んだ。そして弟の衛青えいせいは大将軍、甥の霍去病かくきょへいも将軍となった。その外戚は権勢を振るっている。当然ながら衛皇后はただの召使いであった身を引き上げて武帝に推薦した平陽公主に頭があがらない。


 後宮の貴妃は帝の奴隷にすぎない。平陽公主は武帝に女を推薦することで自らの地位を固めていた。合理的な方だ。後宮に占める奴隷に自らの手駒の割合が増えれば増えるほど、そして重要度が増せばますほど平陽公主の地位、影響力や発言力は強くなる。

「平陽公主は歌舞を深くご理解されていると伺っております。お近づきになりたくお伺い致しました。こちらに些少ですが手土産をお持ちしました。お納め下さい」

「ふぅん。それなら励むことね」

 平陽公主は公主だ。帝の姉だ。

 だからそもそも妓女を道具としてしか見ていないだろうと思っていた。けれども妓女だけではなく、自分以外の全ての存在を道具としかみていない、それがその冷たい視線でわかって安堵した。平陽公主は武帝の長姉であり、尊い。自らをそう思っている。だが今の武帝の妓女枠は俺が占めていて、俺が飽きられるまで平陽公主は新たな手駒を使えない。勢力を増やせない。ようするに俺は敵だ。今は俺を帝の寵を争う貴妃と同様に見ている。

 それならば俺がこの人の道具になればよい。この人の地位を固める道具となれば。俺は妹を帝に推挙したい。そしてこのヒトも衛皇后のように自らの元から妹を武帝に送ることができればこの人の株を上げる事ができる。利害は一致する。


 俺は武帝の前に加えて平陽公主の茶会や宮廷での集まりに詩を朗じるようになった。俺の手にはゴロゴロと金子や宝玉が転がり込んできて、その金子や宝玉の半分は形を変えて平陽公主に贈った。そして贈呈した金銀宝玉よりも、楽府の役職上知り得た新しい歌舞をもとに平陽公主の妓女に歌や舞を作ることが喜ばれた。歌舞は俺の武器であり、それを献上したのだから。まさに軍門に降った証とみなされたのだろう。

 男の俺が女の平陽公主に頻繁に連絡をとるようになったが、武帝から疑念を持たれるようなこともなかった。俺は協律都尉の地位を利用して歌舞に親しい平陽公主に会っているのであり、そもそも俺は宦官で用をなさないことを武帝は百も承知であるわけだから。


 機会は思ったよりも早く訪れた。

 目の前には武帝と平陽公主が座し、それから見目がさほど優れぬ妓女が給仕をしている。それを武帝がつまらなそうに見ている。8000人もの美姫を抱える武帝にとってこの程度の妓女は目の保養にもなりはしない。

「延年、歌え」

 つまらなさそうな武帝の求めに応じ、平陽公主と目配せして考え抜いた詩を吟ずる。


 北方有佳人 北方に美しい人がおります

 絶世而独立 その美しさはこの世界で唯一のもの

 一顧傾人城 その美しさは一目見やれば城が傾き、

 再顧傾人国 再度見やれば国が傾くほど。

 寧不知傾城与傾国 その美人は城や国を危険にするけれど、

 佳人難再得 今を逃せばこんな美人はもう2度と手に入りません。


「本当にそんな美人というものはいるものかね」

「あら、延年には北方に妹がおりますのよ」

 武帝のそんなつぶやきに平陽公主はそう答えた。武帝が興味深げに俺を見下ろす。

「ほう。延年の妹であればさぞかし美しいのであろうな」

「ご興味がありましたら呼ばせましょう。中山におりますので少し時間はかかりますが」

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