第8話 落月
武帝は権謀術数渦巻く高貴な女性のふるまいに飽きている。
だから妓女を愛するのだろう。衛皇后も元々は妓女だ。多くの貴妃が盆に郷里に帰る時、当時は未だ後宮で低い身分だった衞皇后は武帝に寂しいと泣きついて寵を得たと聞く。高貴な女性はそんな子供じみた姿を武帝に見せることはない。おそらく平陽公主の指示だろう。
だから妹には貴妃のように取り繕う必要はないと教えた。
それがよかったのか妹は武帝の寵愛を受け、翌年には男児
そのころ広利は武官として士官していた。妹は後宮から自由に出ることはできないから、俺が宮廷の端で広利に会い、共に喜んだ。
劉髆は少し細くはあるようだが、柔らかな髪を揺らし紅い頬を膨らませてよく泣いた。李家の期待。この深い沼から抜け出すための輝かしい子ども。劉髆は武帝にとって末子であり、よく愛された。第5位の公子。武帝と妹とが語らい、その隣で劉髆を俺があやす。この子は、そしてこの子の子孫はきっと豊かな暮らしができるだろう。その笑顔を半分見えない目で思い浮かべた。
妹は子をなしたことから夫人の地位と室を賜り、李夫人と呼ばれた。皇后に次ぐ位である。給金も格段に増えた。俺は帝の外戚となった。それを笠にきる者も多いと聞くが、俺は変わらず敵を作らぬよう下手に出た。
平陽公主は俺と妹を呼び出した。
「おめでとう、李、それから延年。あなたたちはより繁栄するでしょうね」
「今の夫人位ですら望外のものでございます。今後とも
平陽公主は暗に衛皇后と同じ立場になりたいかと尋ねたが、俺と妹は夫人以上の地位は求めていない。あくまで俺と妹は平陽公主と衛皇后の下である。その返答に平陽公主は満足げに頷いた。
漢の太子は衛皇后の生んだ
それに俺も妹も劉髆が帝になるなど望んでいない。
次は妹と劉髆を守らねばならない。今、妹と劉髆は武帝に愛されている。けれどもこれは後宮の中だけだ。それは十分に承知していた。後宮の内側では何かがあっても記憶には残らず闇に葬られるのが常だ。
武帝の最初の子を生んだ衛皇后も前皇后の
今は足場を固める時期だ。少なくとも劉髆が幼児の期間を過ぎて、健康に不安がなくなるまでは。
結局の所、俺と妹を守るのは平陽公主しかいない。その庇護を失うわけにはいかず、平陽公主に敵視されるわけにはいかない。跪けと言われれば跪こう。沓を舐めろというなら舐めよう。今は平陽公主にとっても俺と妹には価値がある。
武帝は足繁く妹の室に通った。なるべくこのまま、地位を固めたい。
俺はさりげなく妹を思わせるような詩を献上し、妹を思わせるような仕草で妹が来訪を喜んでいると告げ、妹の室を武帝の好みで彩った。武帝は神仙に傾倒している。楽府には道教にかかわる歌の情報も入るから、そのような話を郷里で知ったという体に仕立てて妹に仕込んだ。
俺も妹も用心はしていた。
俺は基本的に武帝の側か楽府にいて、常に人目があるから下手な真似はできない。とはいえ頻繁に毒を盛られ仕込まれる。けれども俺は何かあってもすぐに人目が届くし致命的なものは回避できている。
一方貴妃は基本的に自室で生活し、そこで客を迎える。妹には5人の下働きがついたが全てが平陽公主の手配だ。見張りも兼ねているようだが何ら問題はない。平陽公主に隠すことなど何もないのだから。それに後宮のどろどろした内情に詳しい者がついているならかえって安全だ。だから妹は常に室に閉じこもって暮らしている。籠の鳥のような暮らしだが、劉髆が小さい間は致し方がない。
けれども、足りなかった。
ああ、足りなかった。
奥歯が砕ける音がする。爪が手のひらに食い込む。涙が出ているのに気がついて目元を拭うと布が赤く染まった。あと一歩、あと一歩だったのに。
おのれ。
おのれ。
おのれ。
運命よ。
呪われた運命よ。
何故そこまで李に仇をなす。
俺たちが何をしたというのだ。
俺たちは不幸であり続けねばならないのか。
ソウイウモノだとでもいうのか。巫山戯るな。
畜生、畜生、畜生め。
いや、まだだ。
俺はそれを覆す。
何があっても、何をしても。
必ずそれを成し遂げる。
必ずだ。
見ていろ、必ずだ。
俺の楔はまだここに刺さっている。
この国の最も尊きこの場所に。
見ていろ。運命よ。
俺は必ずこの地位を守り抜く。
劉髆を守り抜く。
妹のためにも。
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