婚約破棄はいいですが、あなた学院に届け出てる仕事と違いませんか?

来住野つかさ

婚約破棄はいいですが、あなた学院に届け出てる仕事と違いませんか?

 侯爵令嬢オリヴィア・マルティネスの現在の状況を端的に表すならば、絶体絶命と言える。

 何故なら今は王立学院卒業式の記念パーティの真っ最中。華々しいこの催しの中で、婚約者のシェルドン第三王子殿下に婚約破棄と断罪を言い渡されているからだ。


 側近候補の高位貴族令息に囲まれたシェルドン殿下の横には可憐な風貌の美少女。彼女はこのところ目覚ましくファッションセンスが研ぎ澄まされされたともっぱらの評判だ。


 何故か?


 彼女はパン屋で働く苦学生の平民で、学院入学時には至って素朴な少女だったのだ。

 三つ編みおさげに化粧っ気なし、前髪も日によっては跳ねていて、健康的に日に焼けた肌で屈託なく笑うような少女。

 溌剌としていていつも明るく、見る者が自然と肩の力が抜けるような、好ましい少女。

 要するに。

 男性にとっては、貴族令嬢として見なければ可愛い娘。

 女性にとっては、敵にはなり得ないが故に安心して愛でる娘。

 どちらにとっても、飼い慣らされた小動物的な意味合いで可愛らしい、とそう思われていたはずだった。


 そんな彼女が、何故?


 ところが、当人の計算なのか何なのか、気がついたら第三王子のみならず、王子の側近候補でもある高位貴族令息達が立て続けに彼女に落とされていったのだ。


 その中で彼女は徐々に洗練された流行の品を身にまとい出し、脱皮した蝶のように美しく輝いていく――。




     ◇     ◇     ◇




「オリヴィア様、わたくしもう我慢なりませんわ!」

「本当です! あの『鳥』がどこにでも飛び回っていてピーチクパーチクとうるさくってかないませんの」

「ああ、『鳥』の飼い主に対策を取るように言えればよいのですが、決まった番がいるわけでもなし。多情さに呆れますわ」

「最近ではあの御方の側にも飛んで行っているようですわ! オリヴィア様よろしいのですか?」

「······そうねえ。フン害であの御方が汚れでもしたら困りますわね」


 オリヴィアは、学院内のカフェで令嬢達の不満を聞きながら、心の中で溜息をついた。


『鳥』と呼ばれた少女はミナ。

 今こうしてオリヴィアに陳情というか愚痴を言いに来ている彼女達は、シェルドン殿下の側近候補を婚約者に持つ令嬢だ。

 

 高位貴族令息ともなれば、大体は学院入学前後で婚約者を定めている家が多い。当然、我が国の第三王子であるシェルドン殿下の周りに居る彼らもそうだ。見た目、教育、政治的思想、家同士の家格など、親や所属派閥が吟味した相手と結んでいるので、そうそうのことで取り消されるものではない。

 ましてや王家ともなれば、高位貴族令息達が婚約者を決める前に取り結ぶことが通例だ。

 将来の王族となりうる令嬢を先に選んでしまうことがないよう、どの家も配慮するからなのだが。

 そうして王家が婚約者を選定した後、彼らはすぐさま動く。王子の婚約者――未来の王子妃にあたる令嬢の友人は優良物件として扱われるため、各家は選定前から情報を探り、側近としてより利が高い令嬢を相手に選んで取りまとめる。


 彼女達が怒るのも無理はない。そこまでして決めた婚約、盤石と思われた各家の政略的婚約は、一人の少女の出現によってあっけなく崩れたのだから。


 彼女達だってここで文句を言っているだけではない。家にもその都度報告をしたし、婚約者自身にもそれとなく注意を促した。なんなら学院の風紀担当の教師も目を眇めて、当人達とミナにそれぞれ声がけまでしているのだ。

 それでも駄目なのだ。潤んだ瞳のミナの肩を抱いて、「彼女は同い年だが大変苦労している。接していると市井の勉強になる。誤解されたことは残念だが、同じ学院生として節度を保って交友することは問題ないでしょう?」などと王子に言われてしまえば、教師でさえも何も言えなくなる。


『学院にも認められた』とミナが勘違いしたのも仕方ないのかもしれない。

 それ以降、表立って誰もミナと彼らに忠告することは出来なくなったのだから。


 そのままミナと彼らは学院内で親しく付き合った。

 肩を叩き合ったり、ミナが重たそうにしている本を持ってやったり、一緒にランチを食べたり、図書室で勉強したり。

 目に見えてしていること・・・・・・は何も問題ない範囲だ。


 ただ、触れ合い方がまるで庶民の家族のようで、貴族の異性の友人同士の付き合いとしては眉をひそめざるを得ないもので。

 特に王子妃教育を受けているオリヴィアにしたら、あってはならない過度の触れ合いに見える。


 何故、騎士科の剣術試験前に、中庭でミナと彼らが手を繋いで円陣を組んで互いを鼓舞し合っているのだろうか。

 何故、ミナの働くパン屋で自身が初めて仕込みを任されたというレーズンパンを、ミナがシェルドン殿下や側近候補達一人ずつに千切って口に入れていく様を昼食中のカフェで見なければいけないのか。

 何故、廊下に貼り出されたテストの結果に喜ぶミナと彼らがハイタッチするところを、遠慮しながら通り抜けないといけないのか。


 どれもこれも全く分からない。もはや理解することを頭が拒否してしまうのかもしれない。


 またミナの声は甲高くてとても響くのだ。

 表立って名を出せないため『鳥』などと言っているが、実際の彼女は鳥の囀りではなく人間の言葉を話しているために内容がどうしても耳に入ってきてしまう。

 それでストレスを感じる人が増えているのだ。


 何故あの子はあんなことが許されるの? 


 ミナの持ち物がどんどん素敵なものに変わって行く。

 初めは筆記用具、それから髪留め······。ひとつふたつしか持っていなかったはずのそれらが、毎日新しいものに変わり、気づけば制服の足元を飾る靴にまで宝石がついている。


 彼らを見た者の声なき声は無限に広がっていく。


 何故? 

 富める者の義務? 

 平民の生徒は他にもいるのに、何故ミナにだけ贈るの?

 なぜ? 何故? なぜ? ······



「オリヴィア様、どうなさいます? わたくし達も協力は惜しみませんわ」

「ありがとう。皆様の方も色々と大変かと思いますのに、お気持ち嬉しいわ」

「方針が決まれば、我が家も動きますわよ」

「ええ、家もそのつもりです」



 それでオリヴィアも動かないわけには行かなくなった。

 ひとまず現状を親に報告し、教師にも報告し、王妃様にも報告をし行ったがあくまで事実を淡々と伝えただけ。様子見と相談実績というやつだ。

 彼らは一様に、「まだ学院内に収まっている話だし、庶民の彼女が物珍しいのだろう。ただ引き締めるところは引き締めるようにしないと、今後のあなたが苦労する」と、これが王子妃適性試験のように言う。

 王子が市井のパン屋や宝石店に行く時に、隠れてでも護衛が必ず付くのだから、王家も父も気付いていないわけがない。

 なのに放置しているのは、これを本当の王子妃適性試験にするつもりなのかもしれない。

 無能者と烙印を押される瀬戸際だ。



「皆様ありがとう。そんなに時間はかけないつもりですので、少しお時間をいただける? 『鳥』のことは方針を決めてお知らせしますわ」


 それならやはりオリヴィアは動かないといけないのだ。




     ◇     ◇     ◇



 

「オリヴィア、貴女とは婚約破棄が相当のようだ。残念だがそう言われたことを恥じて学び、今後に役立ててほしい」


 案の定と言うべきか、パーティ会場への入場時にシェルドン殿下の姿が見えなかった。そのためオリヴィアは一人で中に入り、お世話になった令嬢方と教師方に挨拶をしているところだった。

 遅れてやって来たらしいシェルドン殿下とミナ、それといつもの側近候補の高位貴族令息達がその間に割って入り、無理やり話を中断させられてしまったと思ったらこれだ。


 本日のパーティでミナが身につけているのは、華やかで美しく最先端のドレスに装飾品。ギリギリのところで王子と揃いの装いではなかったが、ドレスは王子の髪の色であるゴールド、ネックレスなどのジュエリーにはゴールドと見紛うほどの希少で大ぶりなイエローダイヤモンドを基調に、側近候補達を思わせる色石が取り混ぜてある。


 口には出さずとも『これのどこが素朴な市井の少女なの?』と誰もが思ったに違いない。


 しかも髪や肌、指先まで手入れが行き届いている。日頃から時間とお金をかけないと出せない艶だというのは、同じく美意識の高い令嬢達ならすぐ分かる。相当高位の令嬢クラスの磨き方だと。


 そんなミナがただのパン屋? 笑わせるわね。




「そうですか、何故このような祝いの席でおっしゃるのか理解に苦しみますが」


 少し考えるようにオリヴィアは小首を傾げ、言葉を続ける。


「もうわたくしとお会いになるのも嫌だから、ここで縁切りなさりたいと、そういうお心積もりですの?」

「そんな事は思っていない! 一臣下となった貴女とすれ違うことを避けたりはしない。ただこの事はこれから社会に旅立つ貴女にも同窓生にも正しく伝えるべきだと思ったためだ」

「わたくしとの婚約破棄をですか? 当人同士、あるいは両家顔を合わせた場ではいけませんでしたの?」

「破棄するだけでなく、破棄の理由も明確に理解されたいと思ったのだ」

「まあ、ずいぶん露悪的ですこと!」


 オリヴィアは扇子で口元を隠しながら少しだけ笑みを零すと、シェルドン殿下も側近候補達も俄然色めき立つ。


「なっ!」

「不敬な!」

「マルティネス侯爵令嬢、殿下に対して言葉が過ぎるのではないか?」 


 平民と触れ合いすぎて、感情コントロールを忘れたようですわね。この程度の煽りにも耐性無しとは、これから成人として社交界に立つ人間としては失格ね。


 先程まで話をしていた令嬢方と教師が一礼して後ろに下がる。申し訳ないわ。


「オリヴィア様、シェルドン様に失礼ですよ! し、つ、れ、い!」


 ミナは口元に指をあてながら可愛らしく怒っているが、どうにも狙った仕草のように見える。

 そのミナを優しく見やりながら、シェルドン殿下が一歩前へ踏み出した。地獄への一歩にならないといいですわね。


「とにかく! あっさり済ませようと思ったが、やはり皆の前で伝えておかなければならないな。オリヴィア!」

「はい」

「貴女が王子妃教育を立派にこなしていたのは知っている。大変素晴らしい成果を上げていることも。

 だが、婚約者の私のみならず、ここに居る彼らの交友関係にまで口出しをするのはいかがなものか。貴女に管理されて友を制限されるなど真っ平だし、ましてや制限せよと言う相手はミナだ。彼女が平民ながらに頑張っていることは誰でも知っているし、私も力になれることがあればと気を配ったまで。

 その気持ちすら管理しようとするなど傲慢に過ぎる。王族の私を好きに動かそうとする者とは恐ろしくて婚姻などとても無理だ!」


 辛そうな表情を浮かべ、出来の悪いオリヴィアを諭すように、シェルドン殿下は思いを吐露した。


「殿下のおっしゃるとおりだ! 貴女は殿下を意のままに操ろうとしたいのではないか?」

「そうだそうだ! すでに貴女の胸には権力簒奪の芽が生まれているのでは?」


 高位貴族である側近候補達がかさねて声を上げる。


 権力簒奪? ミナと親しくなり過ぎるなということが? 

 傲慢? 周りをよく見て自身の行動を改めて欲しいとお願いしただけなのに?

 殿下を意のままに操っているのはミナだと思いますけどね。


「私は何も喧嘩別れをしようとしているのではない。ただ貴女のような傲慢な心持ちの人間を王家に迎えるわけには行かないのだ」

「それなら解消でも良かったのではなくて?」

「何を言うマルティネス侯爵令嬢! 貴女自身の考え方が危険なのだ! それを世に周知し貴女有責での破棄とすることで、この度のことは殿下の瑕疵ではなかったと明確になしておくことが肝要なのだ!」


 いきり立つ側近候補達。彼らを宥め、シェルドン殿下が寛容なところを見せる。


「まあそうだな、貴女も突然で納得が行かないかもしれないので、もっと理由をあげようか」

「ええ、その程度では到底納得いきませんわね」

「オリヴィア様、抵抗するとどんどん傷付いちゃいますよ! 殿下のことあきらめたら楽になりますから」


 シェルドン殿下の横でミナがこちらを指差しながら諭すように言ってくる。

 ······人を指差してはいけません!


「まあ、私のことを気遣って下さるのね、ミナさん」

「そうですよ!」

「でもその前に、貴女には名を呼ぶ許しを与えておりませんので、お控え下さいね」

「えっ······」

「オリヴィア! 平民のミナにまで貴族のルールを押し付けるな!」

「貴女は殿下の婚約者であることを傘に着ているのか! 日頃からずいぶんと高圧的な態度をミナに取っている!」

「断罪だ! 断罪! 殿下、お早く調べた罪を告発して下さい!」


 ミナに正当な指摘をしただけで、途端にシェルドン殿下と側近候補達が赤い顔で語気を荒げ、オリヴィアを睨んできた。


 え、これしきで怒りのスイッチ入ったのですか?

 それならば。


「すみません、よく分からないのですが、殿下方もミナさんも、『王立学院生活のしおり』を入学前に読んでおられないのですか?」


 周りが途端にざわざわし出した。


『王立学院生活のしおり』というのは、入学が認められた家に入学書類とともに送られてくる冊子のことだ。貴族用と平民用があり、その中には、貴族と平民の生活の違い、価値観の違い、よくあるトラブルの例などが書かれているので、特に平民出身の生徒は事前に読み込んでおくことを推奨している。

 前もってお互いを理解してから共に仲良く学びましょうというわけだ。


 平民が貴族にあわせる、逆に貴族が平民にあわせるという極端なことではなく、あくまで学院独自のルールで互いの価値観に触れ、『気付きの学習』をさせる。

 本格的に社会へ旅立つ前に練習をさせる目的なのだろう。


 それなので、入学当時ならいざしらず、卒業を迎えた生徒がルールを逸脱するのなら、それこそ意図的な不敬であるだろう。


「全生徒はあのしおりを読んでから入学するわけですので、わたくしは今、貴族のルールというより『学院のルール』をお伝えしたに過ぎないのですが」

 

 何を言っているのでしょう? ミナ以外の学院の平民出身の生徒達は皆、『学院のルール』を守っている。また将来どの職業に就いても困ることのないように、学院生活を通して貴族への接し方も学んでいるというのに。


 パーティ出席者からもひそひそと話し声が聞こえてくる。


「あー、読んでいないのかあ。殿下方はまだしも平民はマストで読むこと推奨されているのに」

「そうよね、『学院のルール』を知っておかないと困るのは平民の皆さんの方ですし」

「ルールって言ったってあれだろ? 『初対面の人には自分から名乗って許しを得てから名前を呼び合う』だとか、『貴族子女はみだりに触れ合わないものなので、気安く肩などを叩かない』とか」

「『食事中は大きな音や声を立てない』なんて普通のマナーも書いてあったけど」

「わたくしは『よくあるトラブル集』を読んで、平民の方のご苦労を知りましたわ」


 教師陣も一様に複雑そうな顔をしておられるが、さすがに何かを言うことは控えているようだ。 


「えっ、なあにそれ? そんなしおりもらってないです! 綺麗なやつだったら私も欲しいです!!」

「ミ、ミナ、本に挟む栞ではなくて······」


 王立学院内において平民出身の生徒の割合は全体数のほぼ一割。成績優秀者、もしくは一芸に秀でた者に限るので、すべからく特待生とし、学院に係るほとんどの経費は基本無料となる。学費、寮費、制服、教科書、カフェでの食事は無料。だが筆記具などその他のものは自分で用意することになっている。

 ミナも当然特待生だが、何かに秀でているように見えない。ということは······。


「特待生のミナさんが、ご存知ないのですか?」

「平民なので特待生なのかもしれないですけど、知らないです!」


 自分が特待生かどうかも知らないの?

 苦学生の設定なのに?

 

 ミナがなにか言う度に周りがますますざわめいている。


「それより! オリヴィア様は自分が今振られているってこと分かってますか?」

「ミナ、少し落ち着いて······」


 慌てて側近候補の一人、ブリンケン子爵子息がミナを黙らせようとするが、発した言葉は消すことが出来ない。


「オリヴィア様は本当に悪役令嬢ですね! 王子の婚約者で私のような平民に冷たくて、それじゃあやっぱり婚約破棄されちゃいますよ!」


 今度は会場が一気に静まり返った。

 平民のミナが侯爵令嬢を馬鹿にした?

 それより、親しくない相手に冷たいからって『悪役令嬢』?

 

「ミナさん、悪役令嬢とはなんですの?」

「オリヴィア様でも知らないんですね! んーそうですね、オリヴィア様みたいな王子の婚約者が高慢に振る舞って平民をいじめて、大体王子にパーティで悪事をバラされて婚約破棄されてずたぼろになるやつですよ! 流行りのストーリーなのに読んだことないんですね」

「ミナ!」


 ついに青くなったシェルドン殿下がミナを止めるが、もう遅いですわね。


「シェルドン殿下、先程はお話を中断してしまいましたが、わたくしの罪を告発するのでしたか? 断罪? どうぞ今からおやり下さい」

「え、あの、それはだな······」

 

 勢いの良かったシェルドン殿下達は口が重い。あんなにこれから断罪だと息巻いていた側近候補達も目を伏せて沈黙したままだ。


「正しく断罪されるのでしたら、わたくしの不明を恥じてお詫びしようと思っておりましたが、よろしいのですか? ではこちらからもいくつかお伺いしたいことがございますので、先によろしいですか?」

「あ、ああ······かまわない」 

「ありがとうございます、では」


 オリヴィアはシェルドン殿下に一礼してから、ミナに向き直った。


「ミナさん、貴女はたしかに苦労をされていて、学院に通いつつも放課後に仕事までされていると聞いています。ですが、学院に提出している『就業許可申請書』に書いた勤務内容に偽りがありますわよね?」

「え、私?」


 はい、そうですよ。

 オリヴィアが微笑んだので、ミナは釣られて笑っているが、王子達は口を引き結んで警戒の表情が浮かぶようになった。


「貴女は、家のためにパン屋で売り子をしている。それは提出した時点では正しいのかもしれませんが、今は違うのではないですか?」

「えー。辞めてないですよー」

「そうですか。ですがこの二年間当該のパン屋で働いていないことは確認が取れています。籍はあっても勤務実態がないのであれば、それは偽りですわよね。

 殿方とつかの間の恋人ごっこをする仕事。婚約、婚姻を伴わない相手とのつかの間の交接にて対価を得る。貴女のしていることは愛人もしくは娼婦の方と同じ仕事ですわよね?」

「なっ! 何を······」


 慌ててシェルドン殿下が遮ろうとするが、すでにオリヴィアの言葉は周りに届いている。


「そもそもあの子って本当に特待生なの? 成績上位百名に掲載されているのも見たことがないけど、特待生なら規定の成績を落としたら退学じゃないの?」

「それに特待生って毎年面談と、自身の成長度についてレポート提出するんじゃなかったか? それなのに特待生かどうか分からないってどういうことだ?」


 会場の空気が一気に疑念に変わった。訝しげにしている人びとの中で、一部の教師は目を伏せている。筆頭は学院長だ。クロですわね。


「さて、ミナさん。今はパン屋で働いておらず、複数の殿方とのお付き合いで金品を得ているのであれば、業務内容変更に伴う『就業許可申請書』を学院に再提出することが求められます」

「えっ?」


 ミナが小首を傾げると素敵なドレスとジュエリーが煌めく。

 実情と違う場合は要報告。『王立学院生活のすすめ』にも載っていますし、当然『就業許可申請書』を提出する際に説明は受けているはずなのですけれども。


「これは学院生達を不当労働から守るためにも、必ず勤務先や労働条件が変わるごとに学院に報告することが義務付けられています。なのに貴女はそれを怠っている。何故ですか?

 またパン屋で働いていないことをご両親にも伝えておられないのに、時々パン屋に赴いてパンを買い求めご自宅に持って行ってるとか。以前から余ったパンをもらっていたので、まだパン屋で勤めている風を装っているのでしょう。

 ですが、ミナさんのご両親は不審がっておりましたよ? パン屋の賃金では到底買えない品ばかり部屋に置いていたら恐ろしくなりますよね。盗んだにせよもらったにせよ、娘は異常だと思っておられたとか。それから近所でも噂になっていてお辛かったようですわよ。『あそこの娘はお妾さんになった』と」

「なによ、それ! オリヴィア様ひどいわ!」


 それを聞いてミナの顔が一気に赤くなった。

 周囲のひそひそ声はますます大きくなる。


「マルティネス侯爵令嬢、なんと下劣な物の考え方だ! 貴女に王族は無理だ!」

「言うに事欠いて、ミナの親御さんまで槍玉にあげるとは!」


 たまらず側近候補達が喚き出したので、シェルドン殿下がこちらに足を向けた。


「オリヴィア、よさないか。こんなところで」

「こんなところで、はこちらの台詞でしてよ? それにわたくしは殿下に許可を得てから質問をしただけですのに」


 扇をパンと閉じて、オリヴィアは彼らを眺めた。


「そんな、私のことなんて何も知らないくせに! 勝手に決めつけて話さないで!」

「何故知っているか、とお聞きになりたいのですか? それは卒業後にミナさん、貴女をシェルドン殿下が愛妾にする可能性が高いことを鑑みて、陛下の命により我々は受け入れの事前準備を進めていたからです。突然要望を出されても調査対応が遅れますからね。

 そのうちに貴女の『仕事』のことや、交友関係のことなど分かってまいりましたので、ミナさんのご両親には、シェルドン殿下の愛妾は断念してほしいと話しています」


『愛妾』という言葉が出て、側近候補の内の一人が崩れ落ちた。その人物を確認して、令嬢が一人立ち去った。彼――コスナー伯爵子息の婚約者の方なので、当主に報告に向かうのだろう。彼は著しく怪しい、と。


「······お父さん、お母さんと話したって?」

「ええ。もちろん調査のためにご両親にも事前にお話を伺いに行っていますよ? 

 王族に侍るに足るか、ご両親の為人や家庭環境、また他者への普段からの態度等、嘘のないように念を押してから面談をしております。その過程でパン屋にも赴きました。ドレス店や宝石店にもです。

 その後、王家も裏取り調査をいたしまして、貴女は愛妾としてでも絶対に王家に嫁ぐことは許されない身であることが判明いたしました」

「え、私、お姫様になれないの? 皆がしてくれるって言ってたのに······」


 俯いて涙を流し始めるミナ。それを何とかして慰めようと男性達が囲んでいるが、その状態こそが異様である事に気づかないのだろうか。


「王家には王家のルールがございます。表立っているものは、国法に明記がございますわ。国法第11章王族の婚姻について、第一節婚姻の成立、第233条に、『王族の伴侶となる女性は婚姻歴なしの乙女であることを厳守とす』とありますわ。それで言いますと、そのような『仕事』に従事していた方は、たとえ愛妾であっても王族と婚姻することはかないませんのよ」


 王族との婚姻に関してだけは、仕事に貴賤は存在する。王位継承権に不穏な火種を投げ込まれては敵わない。国が荒れる。


「仕事って何よ! 私はパン屋で······」

「今現在、何で金銭を得ていますか? 貴女の主たる収入は何と引き換えに支払われていますか? 

 複数の殿方との交際及び交接という労力への対価として食事やドレスが与えられる。貴女はそれを理解し、それを受け入れて多くの殿方と付き合ってきた。貴女の経済はそのように回っているのでしょう? 

 それはもはや『仕事』と言って差し支えないのでは?」

「オリヴィア!」


 蒼白の顔色のミナを庇うようにして、シェルドン殿下が怒気を孕んだ声色でオリヴィアの名を口にした。


「シェルドン第三王子殿下に於かれましても誠に遺憾ではございますが、彼女を愛妾とするという貴意に添いかねることとなりました。何卒ご寛容下さいますよう宜しくお願い致します」


 ワッと声を上げて泣き出すミナ。「嘘よ! 嘘よ!」と繰り返し叫ぶ姿は、舶来の鳥に言葉を覚えさせた時によく似ている。


「ただ、この調査結果をもちまして、シェルドン殿下の第一希望でありました『わたくしとの婚約破棄』につきましては、シェルドン殿下の有責にて了承されております。おめでとうございます」


 オリヴィアの言葉に周りから拍手が起こる。

 と、そこに、いつの間にか王城の文官の姿も見えることにシェルドン殿下達は気がついた。文官がオリヴィアの元に向かい、何事かを告げる。オリヴィアが返事をして文官がそのまま近くに控える。

 

「ミナさん」

「グスッ、なによ!」

「貴族がそんな言葉遣いはしてはなりませんわ」

「え、えと······」

「マルティネス侯爵令嬢······それは」


 側近候補の一人、ウィリス侯爵子息が慌てて止めようとするが、文官の強い視線を受けて口を噤む。

 

「平民、平民とおっしゃっていますけれど、貴女すでに某男爵家との養子縁組が整っていらしたのでしょう? そこから段階を経てもう少し上の家格の家に受け入れていただいて、シェルドン殿下の愛妾――いえ、側妃もしくは正妃を狙ってらした。周りもその方向で動いていたと」


 そうですわよね、と笑みを浮べると、すでに観念したのかシェルドン殿下は何も答えなくなった。


「それならばまずミナさんは、学院に『戸籍変更届』を速やかに提出して、特待生優遇制度を返上するようにしなければいけませんでしたわね。貴族となった日から日割りで遡って返還するようにして下さいませ。それから学費等は養子先の男爵家の負担となります。ここも未払いですので、こちらも日割りで納金ですわ」

「そんな細かいこと!」

「お金のことをいい加減にするのはよろしくありませんわ。貴族は領民の納税で生活することが主なのですから、それを思ったら疎かに出来るものではありません」


 ミナの囀りが止まったところで、さらに追い打ちをかけておく。


「貴女はどなたかに唆されて王族に連なることを目論んだ。でも、それは駄目よ。婚姻前に自身の意志で乙女ではなくなった女性は、いくら王城に囲い込んだとしても、またすぐにどなたかと交接に至るかもしれないでしょう? 今でさえ複数の方とそのような関係になっておられるのだもの。

 貴女のような野生の『鳥』は、篭の中では元気をなくすものですわ。

 もしや愛妾となった際に王家の血を引かない者を産む気でいらっしゃるの? 貴女の望むとおりにシェルドン殿下の御子だけを産めるとでも? それならば貴女の方こそ傲慢で、王家簒奪を狙っていたと思われてしまうわ」

「私はそんな、つもりは······」

「また、本来であれば王命である本婚約を潰した男爵家へも処罰を求めるところであります。が、先の調査の中でも受入先の男爵家に謀叛の意志はなく、本当に養娘が馬鹿なことをするのであれば、その時点で除籍し、今後一切の関わりを断つと誓約していただいていますので、男爵家に関しては今回温情をかけることと致しました。

 もっとも養子の件も上の方からの断れない要望によって了承せざるを得なかった、と聞き及んでおりますし。情状酌量の余地あり、となりました」


 オリヴィアは一度言葉を切り、彼らを見やった。


「わたくしの質問等は以上です。では皆様からの断罪をお伺いいたします。お始め下さいませ」




     ◇     ◇     ◇




 うららかな午後の日差しの下で、オリヴィアはとあるご令嬢のお茶会に参加していた。


「それでその後どうなったのです?」

「皆様が王城に移動されてから、気になって気になって!」

「オリヴィア様、言える範囲でお願いしますわ!」

「そうねえ······」


 とは言っても、ほとんど皆様がご存知のことなのだけれど。直接お知りになりたいのね。




 ――あの後。何も言えなくなったミナとシェルドン殿下方は王城に連れて行かれた。彼らには会場で見届けていた文官と王城騎士が付き添い、わたくしも騎士とともに別立ての馬車で王城に向かった。


 王城ではすでにわたくしの両親やミナの養子先の男爵家、それから側近候補達の御両親、陛下と王妃様、王子殿下方もお集まりになっていた。


 まずは卒業パーティに来ていた文官が記録紙を読みながら事の次第を報告。そして記録紙を陛下に提出した。


「マルティネス侯爵令嬢から『シェルドンに不貞の疑いあり』という報告があがった際には、落ち着いて状況を見定めて欲しい、と答えていたものだったが。マルティネス侯爵令嬢、本当に申し訳ない」

「いえ、あの時点では調査も済んでおりませんでしたから、ごもっともなご判断だったと思っております」

「だがマルティネス侯爵令嬢の読みが正しかったのだ。静観していた我々がシェルドンを信じておったために事態がここまで進んでしまった。まさか入学前から計画しておったとは。情けないことよ」

「オリヴィア、本当にごめんなさい。この馬鹿息子は平民を囲うために、学院長にまで強権をふるっていたなんて。いずれ臣籍降下する身でありながら、何を考えているのかしら」

「とにかく、息子の咎は明白。公衆の面前で恥をかかせることとなり、お詫びのしようもない」

「勿体ないお言葉ですわ」


 オリヴィアが陛下に礼をし、両親の元へ引き下がる。それを見やった後、先程の文官が声を上げる。

 

「さて、これまでの調査に拠りまして、モートン男爵家はコスナー伯爵令息の強要を受けて、止むなくミナさんと養子縁組をすることになったと。当然寄親のコスナー伯爵も一枚噛んでいるのでしょうね」

「あ、ああ。申し訳ない。シェルドン殿下からのたっての要望とのことで断れるすべもなく」

「旨味があると踏んでの判断だったのではないですか?」

「······申し開きのしようもございません」


 コスナー伯爵というのは、パーティの時に膝をついて項垂れていた側近候補を子息に持つ方だ。やはり伯爵家としてあのような事態を引き起こすことに加担したのだ。


 文官は続けてモートン男爵に声をかけた。


「モートン男爵は、義娘ミナの除籍を求めたいとのことだが相違ありませんか?」

「元々こちらの意が通る話ではありませんでした。遡って養子縁組自体をなかった事にしたい程です」

「その辺りは確認してみましょう。ミナさんのご両親はいかがですか?」


 深々と頭を下げてモートン男爵が引き下がり、代わって広間で先程から身を小さくしていたミナの両親が、恐る恐るといった風に声を発した。


「わ、私どもは娘の教育を誤りました。かと言って放逐するのも忍びなく、修道院に入れようかと······」

「なるほど、再教育に自信がないということですね。養子縁組はご家族の意志ではなかったと聞いておりますが?」

「はい。突然『この書類に署名しろ』と貴族様がお命じになりまして······、書きましたら娘が引っ越して行きました。後から娘に縁を切られたと聞き、大変驚きました」

「ありがとうございました。よく分かりました」


 文官がミナのご両親にお礼を言い、安心するように目配せをする。それだけでミナの両親は少し緊張を和らげたようだ。

 

「陛下。こちらの調査と同様に、モートン男爵並びにミナのご両親には謀叛の疑いは見受けられません。モートン男爵令嬢、いえまもなく平民に戻るミナは、謀叛の疑いを改めて取り調べたのち、然るべき処罰を決定すべきかと思います」

「むほんって何よ! 何か悪いことなんでしょ! だったら変なこと言わないで! 私は王子と恋をしたの! 物語のような恋よ! それだけで罰なんて受ける筋合いないわよ!」


 ミナはしばらく騒いでいたが、陛下が頷いたので、モートン男爵とミナの両親は退室が認められた。


「続きまして。シェルドン殿下、他のご子息方につきましては、陛下をはじめそれぞれのご両親からも調査にご協力いただいており、現在の身分が不適当ではないかとのご意見が多く出ております。ですがこちらも謀叛の疑いを調べるのを先決と致しますので、皆様騎士の指示に従って貴族牢へご移動をお願い致します」

「な、何を! 陛下、私の話を聞いて頂きたい! オリヴィアは罪を犯したのです! それで我らは彼女に更生を求めようと······」

「それならば」


 陛下がおもむろに口を開いた。


「シェルドン、何がマルティネス侯爵令嬢の罪なのか今ここで詳らかにせよ。

 平民の娘を徒に引き立て、閨でのこととは言え『君は未来の王妃だ』などと世迷言を語り、この国に在籍する身に於いてマルティネス侯爵令嬢との婚姻という我が王命に背き、平民を勝手に男爵令嬢にし、またその娘を彼らと汚らわしくも共有し、さらに不埓な腹を持つ娘を本当に王妃に祭り上げる計画をしていたのなら、シェルドンこそ儂を軽んじ、近く王太子となるそなたの兄を侮り、王位簒奪を狙っていたのかと危ぶんでおった。その調査が誤りであることも併せて証明してみせよ。

 取り巻きの子息らでも構わん。マルティネス侯爵令嬢の罪を申し述べよ。偽りがあれば即刻重罪に処すのでその覚悟で話すのだ」


 冷然とした陛下の言に、シェルドン殿下も側近候補達も二の句が継げない状態となった。それにより、彼らが頻りに言っていたオリヴィアの罪というのが偽りのものであったという証左なのだろうと判断された。


 咳払い一つを落として文官がまた話し始めた。


「反証がないようですので続けさせていただきます。

 近く第一王子殿下を王太子に、第二王子殿下を補佐にということで進んでいる次代の治世について、陰で異議を申し立てていた皆様。その御心は自身のみのものですか? ご家族は考えを共にしていないと表明されましたが、そのような考えを植え付けた黒幕がおられるのですか? シェルドン殿下、いかがですか?」

「い、いや、黒幕など······」


 シェルドン殿下はもうすっかり反論する気概を削がれてしまったようだ。口篭り、弁明をしたいがままならない様子で取り巻きを見るが、彼らもシェルドン殿下を守ろうという動きが見えない。


「では取り巻きの皆様にお伺いします。仮にも彼女ミナを本当に我が国の王妃とするつもりであるのなら、その腹に自身の子種を仕込むなどという行為は何を想定して行ったものでありましたか? 自身の子を王位にと企んでいたのですか?」


 一様に真っ青の顔をしたコスナー伯爵子息、ウィリス侯爵子息、ブリンケン子爵子息が口々に言い募る。


「そんな滅相もございません。きちんとひに······いえ、対応していましたし······」

「私もです!」

「決してそのような······」

「ふむ。かと言って、子が出来ないように自身に医療的処置を済ませた訳ではないのですよね? それならばあまり信頼が置けるものではないように思われますね」


 さらさらと何事かを書き付け終えると、文官は国王陛下に向き直って発言した。


「陛下、個別に尋問を行いませんと断定は出来かねますが、黒幕はいないと思われます。はじめは平民の娘ミナの母君が隣国出身ということもあり、外患誘致罪も想定しておりましたが、その点は今のところ無さそうです。彼らはあまりに考えなしで、その稚拙さ故に黒幕に知恵を付けられているようにも見受けられないからです。

 もしも武力行使を伴う外患誘致罪でしたら、取り巻きの皆様方は問答無用で死刑、隣国が我が国を攻め入るつもりであるなら、スパイを洗い出し、戦力も整えなくてはと焦りましたが、最悪の事態ではなかったようでその点は安心致しました。私の所見では、これはシェルドン殿下の単なる浮気、かと思われます。閨での睦言が王位簒奪発言なのは非常に危険ではありますが。その程度の話で本当に良かったです」


 文官が安堵の息を漏らすと、陛下は第一王子殿下、第二王子殿下へ声をかけた。


「そうか。これの兄として、王子達はいかがと思う?」

「ええ、トーマス宰相補佐官の言う通り、あまりにもお粗末な不貞の末路を見せられたものかと」

「私も兄上と同じ気持ちです。悍ましく無計画な彼らが、この先何を目指していたのかを想像したくもありません」

「シェルは、勝手にオリヴィア嬢が入るはずだった王子妃宮を改装しようとしていたから、多分そこにあの平民を囲うつもりだったんじゃないか?」

「うわ、気持ち悪い! というか彼女の衣装費はどこから出ているのです? シェルにあんなお金はないはずですよね」

「トーマス、分かるのかい?」

「ええ。大部分は王子妃に充てられた予算から。それとコスナー伯爵、ウィリス侯爵、ブリンケン子爵のご子息が色々持ち出したようです。子息による勝手な持ち出しか、家の利益を見込んでのものかは現状判然としていません」


 文官――スティーブ・トーマス宰相補佐官が調査不足を恥じて申し訳無さそうに答える。だが、彼らの親達が必死に「我が一族はそのような事に加担しておりません!」と言い募っているので、真実がどうであれ息子の独断として決着するのだろう。


「では平民ミナを一般牢へ。シェルドンは沈黙の塔にて謹慎。ウィリス侯爵子息、コスナー伯爵子息、ブリンケン子爵子息はそれぞれ貴族牢にて収監し、本当に黒幕がいないかよく尋問するように。また各家当主は調査が済むまで自宅謹慎を命じる。追って調査員を派遣するので証拠隠滅など行わないように。

 さて、マルティネス侯爵令嬢。そなたの希望はあるか?」

「ええ。わたくしはシェルドン殿下に公の場で婚約破棄を命じられました。この度のことは至らぬ点が多かったためと甘んじてそれを受け入れ、新たな道に進むことを陛下にはご了承いただきたく思います」

「ふむ。新たな道とは?」

「はい。今回のことでわたくしは自身のために苦心して調査をいたしましたが、王家の調査結果を見てまだまだであることを痛感いたしました。それで、視野を広げるためにも王城文官の道に挑戦してみたくなったのです。お兄様、いえトーマス宰相補佐官のような文官になりたいですわ」

「えっ、ヴィア何で······」


 オリヴィアの突然の宣言に今まで冷静だったトーマス宰相補佐官が動揺を見せる。その姿にオリヴィアはにっこりと微笑みながら、陛下へ頭を下げる。


「正規の採用試験は終わってしまいましたが、二次採用試験はこれからですわよね。わたくしはまずそれに向けて試験勉強に励みたいと思います。お父様、お母様も応援して下さいませ」

「えっ、挑戦はいいが、新たな婚約者選定もしなければならないのに······」

「お願いします」


 マルティネス侯爵は、娘のことを思ってすぐに婚約解消の瑕疵を消す作業に尽力したかったのだろう。それなのにオリヴィアの宣言で、それが捗々しく進まなくなる危惧を表情に出してしまった。


 危うく親子喧嘩に発展しそうなところを、陛下が取りまとめた。


「とにかく、マルティネス侯爵令嬢の挑戦は王家としても応援しよう。ただし裏から手を回すようなことはしないので、実力で入職するというのなら、歓迎だ。貴女は元々大変優秀だしな。

 マルティネス侯爵、親の気持ちとしてはすぐに婚約者をという気持ちは分かるし、そうさせた原因の儂が言うことではないかもしれないが、シェルドン達の尋問が終わらないことには、次を見つけるにしても不安要素があるのではないか? ······まだどのような繋がりが出てくるとも限らないし」

「仰るとおりです。私どもは娘を応援することといたします」


 マルティネス侯爵も頭を下げる。


「オリヴィア、頑張ってね。わたくしは貴女を義娘と呼ぶことを楽しみにしていたけれど、どんな形であれ貴女を応援するわ」


 王妃様が温かいお言葉を述べて下さり、それで終わった――。





「わたくしは家の利益、国の繁栄ばかりに目が行き、シェルドン殿下との婚姻もそのように考えておりました。ですが、自身にとって有害なものならば形の上で有益であっても不要だ、とようやく思い切れたのです」

「まあ、素敵ですわ! それで試験を受けられたのですね。合格おめでとうございます」

「わたくしも、あの後コスナー伯爵家とは先方有責で破談と相成りまして、本当によかったですわ」

「今のお相手様との方がお幸せそうに見えますもの。おめでとうございます」


 ご令嬢方とにこやかに歓談していると、「ヴィア」という呼び声がする。

 きゃあ、というご令嬢のざわめきも物ともせず、トーマス宰相補佐官――スティーブが茶会の席にやって来た。


「ご令嬢方の花の語らいにお邪魔して申し訳ない。ヴィアの入職式についての案内を持ってきたよ」

「まあお兄様、わざわざありがとうございます! お忙しいのに来て下さって嬉しいですわ」


 あのパーティの時とは全く違う穏やかで甘やかな顔で、スティーブはオリヴィアを見つめている。


「まあ、わたくし達そろそろお暇願おうと思っておりましたの! トーマス公爵子息様、オリヴィア様ご機嫌よう」


 そう言ってご令嬢方が良い笑顔を向けながら席を立ってしまう。


「あ、えっと······ご機嫌よう。皆様またいらしてね」

「すみません、ご令嬢方。またヴィアと仲良くして下さいね」


 そこに侍女が静かに進み出て、スティーブの席を整えお茶を出して行った。


「ヴィア、もうすぐ入職だね。何か困ったことはない?」

「緊張はしていますけれど、特には······」

「そう? 配属先にもよるけど、文官の仕事であれば把握していることも多いから、何かあれば質問してね」

「はい、ありがとうございます。お兄様」

「ねえ、そろそろ『お兄様』は止めない?」


 この頃急に甘さを含んだスティーブの声色がオリヴィアの耳に吹き込まれる。トーマス宰相補佐官としての時と大違いだ。


「は、はい。スティーブ、さま」

「ふふふ、ヴィアにそう呼んでもらえると嬉しいね。王城で変な虫が付いたら困るから、私のことは常にそう呼ぶんだよ」


 あの事件の後、オリヴィアの王城文官試験の勉強に付き合ったりとスティーブとオリヴィアは数年ぶりに幼馴染として親交をあたため直していた。思えばシェルドン殿下との婚約が整ってから、オリヴィアは意識的に疎遠にしていたところがあった。密かに想うことで満足しよう、そうしなければならないと考えていたのだ。

 だが、卒業間近にシェルドン殿下が怪しい動きをしていたことで、オリヴィアは独自に不貞調査を行って王家に提出した。そして王家側の裏取り調査担当をスティーブが務めたことで、再び距離が縮まりつつある。


「ヴィアが仕事に慣れたら婚約しようね。お互い何の問題もないんだし」

「う、はい」

「真っ赤になるのも可愛いけど、諦めていたことだから早く現実にしたいんだ。ヴィアとの結婚を」


 またスティーブがとろけるような言葉をオリヴィアの耳に注ぎ込んだ。スティーブも幼い頃からオリヴィアに恋していたと打ち明けたのはついこの間なのだが、そこから箍が外れたようにこうして来訪してはオリヴィアに愛を告げてくる。両家ともに政治的思想にも問題はなく、元から親交も深かった。両親がこぞって進めようとしているのも分かる。

 オリヴィアに躊躇いがあるのは、まだ引きずっているのだろうか。


「ヴィア」

「はい」

「入職式の後、お祝いしない? 何かおいしいものを食べに行こう」

「嬉しいですわ」

「幼馴染ではなくて恋人としてお出かけしよう。沢山話して、大人になってからのお互いを今から知っていこう」

「······そうですわね。わたくしも今のお兄様を知りたいですわ」

「いいよ。私も今のヴィアをもっと知りたい。そうして『お兄様』を卒業出来たら、これから先のヴィアを知る権利を得たいね」


 そう言ってスティーブは微笑んだ。


 オリヴィアが王城文官として入職してからシェルドン殿下方の沙汰が決まることになるだろう。そうなれば、一時落ち着いたオリヴィアの周囲も再び騒がしくなるかもしれない。婚約破棄したとはいえ、オリヴィアとのことは皆の印象に残っているだろうから。


 沙汰がおりてからではないとスティーブにまで噂が飛び火して、せっかくの彼の名声を損ねかねない。若くして宰相補佐官にまであっという間に駆け上がった若者は社交界でも注目の的なのだ。


「私は早く恋をしたいよ、今のヴィアと二人でね。しかしこれからはヴィアと職場恋愛になるのか。働くのが楽しみになりそうだ」


 オリヴィアの頬がみるみるうちに薔薇色に染まる。それを見てスティーブがますます笑みを深めた。


「お兄、スティーブ様ったら!」

「ヴィアも楽しみ?」

「······楽しみですわ」

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婚約破棄はいいですが、あなた学院に届け出てる仕事と違いませんか? 来住野つかさ @kishino_tsukasa

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