第3話 秘密を守るなんて、簡単です。

「あら、玲ちゃんじゃないの。おはよう」


「おはよう。先生」


 仲良しの先生と話す。朝のうちに学校に来たのは久しぶりだ。おはようなんて、家族以外と話したのはいつぶりだったか。


「今日は早いのね……あ、その顔、もしかして何かいいことあった?」


先生はニヤリといたずらっぽい顔をうかべながら訊いてくる。

 いいこと……


「べつに。なんかゴキゲンさんなだけ」


「そっか、機嫌いいのね」


 先生はなにか納得したようだった。

 でも、もし私が先生の立場だったら、なんにも納得なんてできないだろう。だってまだゴキゲンな理由も、今まで何をしていたのかも言っていない。本当はサボってたことを怒られなきゃいけないのに。


 やっぱりあたしにはわからないことが多い。


「玲ちゃん、この後はどうするの?教室行く?」


 先生は私に訊いてくる。不登校の児童を気遣ってだろう。やさしく問いかけてくる。

 まあ、あたしはべつに、教室や同級生が怖いわけじゃあないので、学校に来たならば、普通に教室に行く。


「うん」


そこで会話は途切れた。






 久しぶりの教室に入ると授業中だったようで、先生もクラスメイトも、驚いた顔であたしに視線を向ける。


「あら、玲ちゃん!おはよう。先週席替えをしたから、玲ちゃんの席、あそこに変わってるわよ。今算数してるから、準備できたらノートに黒板写してね」


 担任の先生はそう笑いかけながら言った。


「わかった、先生」


 あたしの席は、いちばん窓に近い列のいちばん後ろに追いやられていた。


 え、ここ、先生から見えにくいからみんな座りたいところなんじゃ…


 とりあえず席に着く。算数の教科書とノートを取り出して、広げてみる。


「5/4たす13/8は、まず何をするんでしたっけ?わかる人ー!」


「はーーい!」


「はい、じゃあ、れんとくん」


「はい!通分です!」


「そうですね、通分して、じゃあ、次は、通分できる人ー!!」


 このあたりまで授業を聞いていて、あたしは思い出した。


 あたし、学校嫌いだった。




 キゲンが良くなって、浮かれてた。朝から学校に来たら、夕方まで学校にいなきゃいけない。ばかなことをした。


 不快。めんどくさい。嫌い。やだ。帰りたい。離して。あたしは……


 気持ちがぐるぐるする。授業が進めば進むほど、ぐるぐるする気持ちは増えて、おなかのあたりがいっぱいになる。


算数の後の、国語が終わったところで、あたしは図書室に逃げた。





図書室は好きだ。誰もさわがない。誰も触ってこない。誰も踏みこんでこない。知ったような口をきくやつもいない。本はこちらが開かなければ、その世界をおしつけたりしてこない。


「れーいちゃん」


 せっかく、ひとりで物思いにふけっていたのに。朝会った仲良しの先生が本棚の奥から顔を出した。


「れいちゃん、そろそろやになってくるかと思って」


 あたしはそう言われて、わざと嫌そうな顔をした。


 仲良しの先生だなんて、うそだ。


 あたしと先生が仲良しだと思っているのは、先生だけだ。あたしはこの人がきらいだ。

 知ったような口をきいてくるやつは、きらいだ。あたしはあたしだ。他人にかんたんに理解できてたまるか。


「ごめんごめんって、そんな嫌そうな顔しないでよさ」


 あたしが嫌そうな顔をしたから、先生はあたしに、赤子をあやすように言う。



 あたしにはそれが、見下されているようにしか感じられない。



 あたしはため息をついた。ここで怒り狂ったって仕方ない。意味がない。


「ね、玲ちゃん。玲ちゃん、何か悩み事?」


 先生はあたしの気も知らないで訊いてくる。


「べつに」


「ほんとに?誰にも言えなくて苦しい秘密とか、ない?」


「何さ。やぶからぼうに」


「すごい、玲ちゃん、藪から棒なんて言葉知ってるのね。……なんとなくよ。なんとなく、怜ちゃんが秘めごとを抱えてそうだなあって思ったの」


「ふぅん」


 秘密ならある。太郎のことは他の人には秘密だ。まじょがりにあったら大変だから。

 でも、何より、太郎のことを他の人に知られたくない。あたしと太郎は友達だけど、友達なんてかんたんにコロコロ変わってしまうから。


「ないよ、秘密なんて」


「嘘。ぜっっっったいあるでしょ」


「ないよ。ないったらない」


 その日の先生はやけにしつこかった。今思えば、怖いくらい。それは、それはもうしつこかった。

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