第1話 サイド 祝田咲 前編
<サイド
祝田
自分で言うなという話だけど、私は、
中学生になると、近隣の中学校からわざわざ見に来る生徒がいるほどで、中1の1学期だけで10人を超える人から告白をされた。なお、無論、すべて断った。
そんな幸運(無論、告白されるのは幸運ではなく、むしろ不運だった。)に恵まれた私だが、バランスをとるためなのだろうか、両親運にはあまり恵まれなかった。
悪い両親ではなかった。幼少期にはいっぱい愛してもらえた記憶もある。
だけど、母は良くも悪くもお嬢様だったのだと思う。わがままで自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなる。私は優秀だから自慢されるし、可愛がってもらえたが、妹の
私が小5、妹が小1の時に、祖父が亡くなった。私たちの一族の主軸で、博多の魚市場の戦後復興から発展までを支えた中心的な人物だったと聞く。引退後は、郷里の佐賀県で余生を過ごしながらも、博多にたまに出てきて私達にも旨いものを食べさせてくれていた。
予約先の店の電話にはナンバーディスプレイなんてないところばかりなのだが、予約の電話で名乗りもしない。
「おぅ、俺だけどな。今からそっち寄るからな。席を6つ用意しといてくれ。」
と、一方的に言うだけで予約完了。
それでも店側は、電話してきたのが祖父だと把握し、しっかり個室を確保して、一番ベテランの仲居さんを付けて機嫌がいいままに祖父を帰したいと気遣ってもらえるくらいには博多の
そんな祖父が甘やかして育てたのが母と伯母、そして対照的に厳しくしつけられたのが、今一緒に住んでいる
祖父が亡くなった後に待っていたのは、遺産相続のごたごただった。
伯母が常識外れの
私は反対し、私たちの方が常識外れだと両親に伝えたが、母は伯母への遠慮もあって、伯父との対決に乗っかってしまった。この一件以来、私は、
引き取られたのは伯母の家だったが、そこは最低最悪の場所だった。
伯母は、わがままが過ぎたのか離婚し、私より一つ上の中2のひとり息子のY男(仮名)との二人暮らしだったが、福岡市内の広い家に住んで、働かずに祖父の生前贈与の財産で生活していた。裁判沙汰で民事調停手続をしてまで手に入れた財産を加えて、Y男(仮名)の養育費も支払わせており、当面の生活の心配はないという状況だったらしい。
私は、伯母とY男(仮名)の二人のわがままを聞いて働く家政婦をさせられ、両親の遺産も管理すると取り上げられた。Y男(仮名)がテストで補習決定の点数を取ってきて、私がテストをいつものように満点をとってきた時には、女のくせに生意気だと伯母からもY男(仮名)からも暴行されることもあった。
逆に機嫌が悪くないときにはY男(仮名)から、
「
と全く望まないことを一方的に言われ、それを聞いた伯母から
「あら良かったわね。Y男(仮名)ちゃんに可愛がってもらえるなんてあなたたちは幸せ者よ。」
と平気で言われるような日常的な環境だった。
普通に
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