42 傀儡奏者②
詠唱歌が紡ぐのは、一節歌う毎に相手の体温を奪っていく、氷の魔法。
次々に転調するリズムと、節回しが難解な「うた」だ。世界中でも最終節まで歌い切った魔法使いは、片手で数えるほどしかいなく、多くの魔力と確かな技術が必要となる。
ケイデンスも書物で読んだことはあったが、実際に聴いたのは初めてだった。
迷いのない歌声が、少女の意思を持って朗々と流れていく。
操られた人々の「うた」を飲み込み、一人、一人と気を失って、その場に崩れ落ちた。
「アタシとイルデロンの邪魔しないでぇええっ!!」
濁った声で絶叫したベンナが、ケイデンスの魔法を打ち払おうと、赤子の腕で地面を叩き巨体を揺さぶる。
隙間を縫って伸ばされた無数の触手を、ケイデンスは即座に魔法で叩き落とした。
アルトのおかげで、自身を潰そうとしていた負荷が和らいでいく。
最後の傀儡が膝をついた瞬間、ケイデンスはベンナから与えるよう仕向けた力で、渾身の魔法を行使し、そのグロテスクな顔面を地面に押し付けた。
赤子の悲鳴と耳鳴りが脳を貫き、しかし己を奮い立たせて意識を引き戻す。
(俺の中から、奪っていくな……! ここで大人しく、していてくれ!)
ベンナの体表をぐるりと眼球が駆け、ケイデンスを捉えて涙の如く液体を溢れされた。
狂ったように叫ぶ姿を、別の魔法で遮断しようとした時、背後で軽い身体が崩れ落ちる音がする。
「っ……!? 君! しっかりしろ!」
歌い終えたアルトが、自身の体を両腕で抱え、尋常でないほど震えていた。
肌からは多量の汗が吹き出し、呼吸もおかしい。強い魔法を使いすぎた反動というより、ベンナの異様さに当てられたようだった。
懸命にこの場から逃げようとするが、立ち上がっても足がもつれ、転倒してしまう。
(まずい、この状態じゃ、彼女を安全な場所までは運べない……!)
ベンナを気絶させれば早いが、それが出来るほどケイデンスも余裕がなかった。
どうすれば、と意識を周囲に向けた瞬間、ケイデンスは変化に気がついた。いつの間にか自身の足元に、薬品らしき小さな遮光瓶が転がっている。認識した次の瞬間には激昂したベンナに、発動していた魔法ごと横方向に振り払われた。
薬品棚に直撃する前に、咄嗟に防御して衝撃を殺したものの、すぐさま足に触手が巻き付いて天井まで宙吊りになる。
そのまま地面に叩き付けられる寸前、触手が途中で千切れ、ケイデンスは倉庫の奥へ吹き飛ばされた。
事態の急変に動転し、壁に背中から衝突して、激しく咳き込む。
骨が折れたのではないかという痛みに、地面を這いつくばいながら視線を上げれば、すぐ側にアルトが飛ばされてきた。
(!? な、なんだ、何がどう)
「息を力一杯吸い込んで呼吸を止めろクソガキ共ォ!!」
轟音かと聞き間違うほどの声量が、倉庫中に響き渡る。
ケイデンスは無我夢中でアルトを引き寄せ、壁に背中をつけ、彼女と一緒に大きく息を吸い込んだ。
破裂音と共に、周囲一体に一気に煙が充満する。
目と鼻をやられそうな刺激臭に、アルトが真っ青な顔でケイデンスにしがみついた。
わけが分からず体を丸めると、大股で近寄る足音が聞こえ、首根っこを掴まれ裏口から外に引き摺り出される。
体が一回転し、変な呼吸音が喉を塞いで再び咳き込むと、太く逞しい男の声がした。
「ったく、俺様が来たから良かったものを! あのまま膠着状態じゃ力尽きて死んじまうぞバカタレ共が!! あとそこの女ぁ!! クソガキは第二王女殿下のモンだ、むやみやたらに抱きつくなアホンダラ!!」
脳天に響くような怒声に、ケイデンスと、しがみ付いていたアルトが同時に体を跳ねさせた。
状況に理解が追いつかず慌てて上体を起こせば、裏口を魔法で施錠し、更に倉庫全体に強力な決壊魔法をかける、後ろ姿を視界に捉える。
刈り上げた黒髪に、筋骨隆々の大男だ。関節部を守る部分的な鎧を身に纏い、その背中には見覚えのある家紋が入っている。
彼は何層も重ねた結界を張り終えると、両手を軽く払って、頭に被る甲冑に似た防塵マスクを取り払った。
ケイデンスより年上だろう。三十代ほどの若い男性だ。その体格に相応しい、厳しい顔つきでケイデンスを見下ろすと、呆然とするアルトを掴んで引き剥がす。
「そんでも、よーく言われた通り出来たじゃねぇか、関心関心」
「……やらないと、デルノールと一緒に騎士団に突き出すって、……脅したんでしょう……」
「あぁ? なんか言ったかコソ泥女」
「……聞こえてるでしょう、絶対……早くデルノールを、返して……」
男性に腕を取られたまま、アルトが半目で睨み、次いでケイデンスの事も睨みつける。
大男は息をついて適当な返事をし、体格に見合わない柔らかな歌声を披露すると、誰かが空間を移動し地面に放り投げられた。
先ほど水槽から助けた、坊主頭の『秘境の使徒』だ。アルトは先ほどの殺気ある表情から一転し、泣きそうに歪めると、男性の腕を振り払って、デルノールと呼んだ仲間の元へ飛び込んでいった。
ケイデンスは徐々に状況を整理し、呼吸を整えながら倉庫を一瞥する。
そして大男の前に立ち上がると、片手を胸に当てて辞儀をした。
「アーグダンテ公爵、アルペル・コーダ様……と、お見受けします。お初にお目にかかります。助けて頂き、本当に感謝いたします」
「おう、殊勝な態度で結構! お前がケイデンス・メローだな。なかなか度胸があるクソガキじゃねぇか、気に入った」
軽快に笑って強めに背中を叩いてくる彼、アルペルに、ケイデンスは狼狽えつつ、再び倉庫を見る。
ケイデンスの懸念に気がついたのか、アルペルは心底悪い笑みを浮かべ、肩を組んできた。
「おう、察しがいい男だな。そーとも、なんで俺様がここにいるのか、ちゃーんと分かってるなら、上出来だ」
「…………あえて呼ばなかったんです。危険だと思い、まして」
「だろうな。懸命な判断だったし、アイツはお前を責めないだろーよ。……ま、だけど相手は別問題だ」
その直後、アルペルが発動している結界魔法が、内側から木っ端微塵に吹き飛ばされる。
それはまさに、地獄と形容するに相応しい悲鳴すら、木霊する前に消えていくほどの衝撃だった。
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