第四章

34 密談①




 クロエリィがスープカップに注がれた白湯を渡すと、初老の女性は両手で受け取り、一口飲んで喉を潤した。

 変色していた唇には僅かに血色が戻り、ホッと息を吐いて柔らかい一人用ソファーに身を沈める。

 

 メゾラと名乗った彼女の素顔は、やや気だるげな印象を受け、額には皺の他に無数の細かな傷があった。

 あまり栄養状態が良くないようで、顔色も悪く、改めて日の元に照らす手足は枝のように細い。艶のない髪も白髪が混じり、昔語りの絵本に登場する魔女のようだった。


 ケイデンスは状況を把握するべく、周囲の目を避けながら移動し、メゾラをリリアリアの元に連れてきていた。

 先ほど乗り継ぎ場であった事態を説明すると、第二王女はすぐライデンリィに声をかけて人払し、クロエリィに頼んで白湯と軽食を用意させる。メゾラは初めから警戒する様子もなく、悠々とソファーに座ってパンに齧り付いていた。


「美味いねぇ、これ。うちの奴らにも食べさせたいよ。ちょいと包んでくれやせんかねぇ」

「……あなたが我々に協力的なら、土産の用意はしましょう」

「はっは! 奇特なお姫さんだ。安心しな。王族に面と向かって歯向かうほど、アタシゃ生き急いでないからね」


 メゾラの視線が一瞬だけケイデンスを映し、すぐにテーブルを挟んだ向こう側にいるリリアリアに戻る。

 ケイデンスはリリアリアの背後に立ち、剣の柄に片手で触れつつ眉間に皺を寄せた。


 小さく嘆息したリリアリアはクロエリィに退出を命じ、サロンにいる気配が三人になったところで、メゾラが口を開いた。


「……まったく。そこのクソガキには参ったね。アタシも思い出すまで、どうしてアルトが城に捕まってんのか、まったく検討もつかなかったんだ」

「おそらく、ケイデンスが魔法をかけたことで、記憶が辻褄を合わせきれなかったのでしょう。あなたの仲間が捕縛された理由を、構築できなかったのだと思いますわ」


 静かな双眸でメゾラを見つめるリリアリアに、老婆然とした彼女は口を引き結んで目を眇める。

 彼女たち『秘境の使徒』は、ケイデンスが魔法をかけた少女、──アルトの身柄が移される機会を待っていた。プラトヴァーニは、公爵家が最も重要視する港で暗躍する少女を、随分と目の敵にしていたらしい。騎士団内や救護班で正式な処遇が決まる前に、絶対に移送すると手筈を取ると踏んでいたのだ。

 そして襲撃したふりをしてあえて捕縛され、ハルキナ公爵領の中枢まで向かう算段は、見事に達成する。

 ケイデンスの存在が想定外だったものの、経過は順調に進んでいるという。


「さっきも言っていたな。公爵領に囲われている物を、手に入れる為だって」


 ケイデンスが回答を促せば、メゾラは白湯で唇を濡らしつつ、視線をその中身まで落とす。


「ああそうさ。ま、アンタらには関係のない話じゃないかい?」

「二人は非検体だと、プラトヴァーニ様は言っていた。その方が先生も喜ぶって」

「先生?」


 怪訝な顔で見上げるリリアリアに、ケイデンスも実態までは分からず、小さく首を振った。

 しかしメゾラは何事か思い当たる節があるようで、苦虫を噛み潰したような顔で、憚りもなく舌打つ。


「……嫌な言い方だよ、クソが」

「あそこには何があるんだ。その先生というのが、お前たちが欲しい物と関係しているのか?」

「そうさね。悪いけど、アタシが言えるのはこれくらいだよ。ああ、一つ付け加えるなら、どっちかってぇと今回の活動は、慈善活動ってやつさ。お偉いさん方にケチつけられる謂れはないね」


 最後の一欠片を食べ終え、パン屑を舐めとると、メゾラはスープカップをテーブルに置いた。

 そして不遜に足を組み再びソファーに背中を沈め、両手の指先を何度も組み替えながら、口を閉ざす。

 リリアリアはメゾラの様子を見つめた後、静かな双眸を緩く細めた。


「……メゾラ。ケイデンスがハルキナ公爵子息から伺った内容を考えれば、あなたの仲間には、危険が迫っている可能性があります。心配ではないのですか」

「ハッ、心配だったら、送り出し役なんて勤めないよ。それになんだい? アンタ、随分とアタシらの肩を持ってくれるねぇ。自分とこの貴族を信用してないのかい」

「残念ながら、わたくしが最も信頼しているのは、己とわたくしの護衛であるクロエとライデン。そしてケイデンスだけですわ。ケイデンスが異変を感じたのなら、わたくしはそれを精査する責務があります」


 迷いなく言い切ったリリアリアに、メゾラはやや面食らった様子で目を瞬かせる。

 そして筋張った片手で己の唇をなぞり、縮れた髪に触れて深く眉間に皺を刻んだ。

 ソファーに頬杖をつき押し黙る姿は、困惑を隠すようにも、こちらを見定めるようにも見え、ケイデンスは顎を引いて奥歯を噛み締める。


 無言で睨むメゾラに、リリアリアはソファーから少し身を乗り出すと、女性の顔を下方から覗き込んだ。


「我々は確かに、『秘境の使徒』の活動に目を瞑る事はできませんわ。立場上、敵対する者同士です。それに上手い話には裏があると言いますもの。なのでメゾラ。まずは我々がカードを切りましょう」

「……なんだい、そりゃ」

「実はわたくし、以前より、ハルキナ公爵子息が、お義姉さまの婚約者候補から降りてくれないかと、そう思っているのです」

「……、……んん?」


 突拍子もない話題に、メゾラは神妙な顔をしたものの、器用に片眉をあげて言葉を詰まらせた。

 







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