20 邂逅を知らず③




 上から押さえつけられ、這いつくばった肢体は、ほんの僅かでも動かせない。

 肺が潰されずかろうじて呼吸が出来ているのも、ヒースリングがケイデンスの上半身に覆い被さり、押し潰そうとする力と拮抗しているからなのだろう。

 周囲の床が、嫌な音を立てて更に陥没し、ケイデンスが倒れる場所だけがまだ、床としての体裁を保っている。


 ケイデンスは必死に呼吸を整えながら、なんとかアルコイを見上げて、眉間に皺を寄せた。

 彼らは何かを話しているようだが、気圧変化の影響か口元が動くのが見えるだけで、音が聴覚を震わせない。


「ここは、多くの音が反響するんだよ、イルデロン。小悪党は君の注意を一点に集めている間、小さな声で魔法を行使していたんだ」

「っ……」

「うん、うん、喋らなくていいんだよぉ。……君は喋る必要がないからねぇ」


 体が潰されないよう保っているのが精一杯で、ヒースリングの間伸びした声に答える余裕もなかった。

 友は長い袖でケイデンスの額を撫で、長い髪の内側から『秘境の使徒』を見上げる。

 その表情に堪えきれない笑みが浮かんでいるのが、視界の端で確かに見えた。


 本能的に危機感を察知し、ケイデンスは周囲を取り囲む使徒を一瞥する。

 唇が絶えず動いて見えるのは、おそらく詠唱歌だろう。重力をかける威力が更に上がった。だが、ケイデンスの動きは封じ込められても、ヒースリングに影響はない。


 白く無機質な灯の下で、の影が不自然に揺らめく。

 船の汽笛に似た轟音が耳鳴りとなって体を貫くのに、囁き笑い合う声が忍び寄ってくる。


 ここで躊躇ってはまずいと、ケイデンスの意識が急激に浮遊した。


 (跳ね返せ!!)

 

 ヒースリングが息をのんだ直後、伸し掛かっていた魔法が、甲高い音を立てて弾け飛ぶ。

 ケイデンスを潰そうと取り囲んでいた使徒らが、余波の衝撃を受けて跳ね飛ばされる。

 他に指示を出していたアルコイが、驚いて衝撃波から腕で顔を庇った。


「っなにやってんだ、魔法を重ねろ!!」


 張り上げた怒号の余韻が消える前に、声高らかな歌声が、地鳴りの如く室内に響き渡る。

 身を起こそうとしていたケイデンスは、途端に呼吸困難となり、己の喉元を衣服越しに掻き毟って、体が傾いだ。

 しかし強く床を叩いて再び意識が浮つき、魔法を行使して呼吸を妨げる魔法を阻害する。


 この場にいる全員が、連携して続ける詠唱歌に、ケイデンスは思考回路が焼き切れそうだった。

 蔓延る魔物的存在に絶えず魔力を与え、次々と魔法を扱い打ち破っていく弊害としても、激しい吐き気に襲われる。

 しかし彼は、地面に降り立ったヒースリングに支えられながら、震える足でその場に再び立ち上がった。


 魔法も、魔法によって縦横無尽に動き回る飛び道具も、ケイデンスの意識が追いつく限り、己の魔法で薙ぎ払う。


 そうやって一歩踏み出せば、すぐ傍にいた一人が、得体の知れない恐怖に小さな悲鳴を上げた。

 魔法が途切れた瞬間を見逃さず、ケイデンスは迫り上がる胃の内容物に唾を飲み、横目に見ては狙いを定める。

 脳震盪でも起こしそうな本流に、意識を手繰り寄せれば、使徒の一人が己の口を押さえ、両足が不自然に硬直し、その場にひっくり返った。


 悲鳴が上がる。

 動揺は連鎖的に波紋を広げていく。


 ケイデンスは使徒の口や動作を矢継ぎに封じていき、意識が浮ついて仄暗い双眸で、奥にいるアルコイを見据えた。


「……さぁイルデロン。仕上げをしないと逃げちゃうよ。介抱なら任せていいからねぇ」


 顔色を変えた青年は、動ける他の仲間に呼びかけ、一斉に転移魔法を発動させかける。

 朗々と紡がれる「うた」の背後で、ヒースリングの囁き声が聞こえ、ケイデンスは赤く点滅する瞳を細めた。


 彼ら『秘境の使徒』は最後の一小節を終える前に、ケイデンスに近い場所にいる人間から、崩れ落ちていく。

 反響していた「うた」も消え去り、最後にアルコイが膝をつき、茫然自失気味に宙を見たところで、ケイデンスを苛んでいた魔法の余韻も経ち消えた。


 ケイデンスは思わずその場に蹲り、強烈な目眩で額を床に擦り付ける。

 クラーケンや、あの少女と対峙した時の比では無い。今すぐにでも昏倒しそうだった。


 (まだ、……まだだ、もう少し、……もう少し、魔法を)


 拳を握りしめて、皮膚に爪が食い込む痛みで呼吸を取り戻し、顔を上げて床に膝立ちになる。


 (……誰も、俺と出会ったことなど、知らなかった、ように……)


 今の使徒達は捕らえた少女と同じく、意思疎通機能を低下させただけだ。

 以前は魔物に襲われたので、理由をこじつけられたが、これほどの人数だ。このまま放置しては、あまりに不審点が多くなりすぎる。


 ケイデンスは奥歯を噛み締めると、絶えず揺らめく影を脳裏で捕まえ、重い足を引きずり歩き出す。

 首謀者であるアルコイの前に立てば、青年を操る魔法を少し解除し、鉄の味が滲む口を開いた。


「俺が、ここに来たのは、……交渉じゃない。……分かっていたから、……俺を押さえつけようとしたんだろ」

「っ待て、待ってくれ、騙し討ちしたのは悪かった!! こ、こんな、魔法、知らなかった、アンタ、何をしているんだ? こんな魔法、人間が使っていいもんじゃねぇだろ!!」


 アルコイが動く部位は、頭部だけだ。

 常識を逸脱した、魔法とも呼べぬ力を恐れ、唇は紫に変色し、冷や汗が玉のように肌を流れ落ちている。

 もはや魔法で反撃しようという、反抗心すら浮かばないのだろう。


 ケイデンス自身も、人間が扱える魔法から外れている事を理解している。

 そういう道を歩もうと、決意したことも。


「それなら、『秘境の使徒』も、人間離れしていると思う。……こんな音が反響する空間で、それぞれが別の「うた」を歌って、魔法を重ねがけする、……下手な騎士団より、よほど統制の取れた部隊だ」


 彼らが犯罪まがいに手を染める集団でなければ、良い自治組織になったかも知れない。

 ──否、もし今後、彼らが向かう方向性によっては、あるいは。


 ケイデンスが床に膝をつけば、アルコイは悲鳴を上げた。


「……殺す訳じゃない、安心してくれ。……ただ、俺とは、知り合わなかった。……それだけだよ」


 アルコイの背後に、いつの間にかヒースリングが立っている。

 ケイデンスを見下ろし、視認できる口元を大きく歪ませ、にたり、と笑った。

 

 (俺の存在が彼らの記憶から、消える、魔法を──)


 船の汽笛を思わせる轟音が、耳鳴りとなって脳を貫く。

 微かに聞こえる囁き声や笑い声が、次第に大きくなっていく。


 ケイデンスの意識は浮遊に引きずられ、そのまま世界は暗転した。 


 

 

 




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