14 初陣④




 その発言に、ケイデンスは言葉を失った。

 どこから禁書の話が、と嫌な汗が背中をつたい、視線を迷わせる。


 ヒースリングが外部に漏らすことはないだろう。確証はないが信頼があった。リリアリアや護衛姉妹は、ケイデンスが禁書を学んでいる事を知らないので、ここも違う。

 確かに訓練場で、魔物的存在を感知する訓練は行なっていたが、魔法を使う事はしていなかった。


 沈黙するケイデンスの前で、魔物のふりをしていた少女は、静かに一歩踏み出した。


「……あの、部屋は、……管理対象、だった。……それを、開けた、でしょう」

「……」

「どうやって入り込んだのか、知らない、けど……、ラベリングしていた書物を、持ち出した、形跡があったの」


 少女曰く、今現在広まっている魔石の使い方は、あの禁書にしか記載されていないのだという。当然と言えば当然だが、普通に魔法が使える魔法使いは、魔物的存在を詳細に感知する必要がないからだ。

 彼女が所属するなんらかの機関には、禁書になる前に読み解かれた情報が、一部分だけ残っていて、ケイデンスを調べていたというのである。

 

 彼女の話し振りから、あの部屋には家主の他に、別の人間が施した特殊な魔法があったのだろう。

 図書館の隠し通路と、部屋が繋がっているとばかり思っていた。

 落ち着いて考えてみれば、扉が繋がっているだけで、そもそも別の場所に実在する部屋である。自由に出入りできる人間がいれば、本の配置が違う事に気がつくのは、至極普通のことであった。

 迂闊だった。ケイデンスは眉を寄せて奥歯を噛み締める。


 ケイデンスの前で立ち止まった少女は、小さく「うた」を口ずさむ。

 すると己に施していた攻撃強化魔法が解け、鱗に覆われた四肢や、魔物然とした相貌が緩やかに元へ戻って行った。


 視線を上げたケイデンスに、彼女は眉を下げて膝をつく。


「ごめんね、……あなたが、禁術を取得していると分かった以上、……処分しないと。それが命令だから」

「……殺すってことか?」

「そう。だって、……禁術使いは、魔物の存在を、肯定することと、……同じだから」

「さっきいたクラーケンは? あれはお前が操っていたんじゃないのか?」


 先ほどの巨体を思い出し食い下がれば、少女は首を振って、黒々とした虚な目を細める。


「ううん。あれは、海洋で捕まえただけ。あなたを、一人にするために、貸し出してもらった、……もう処分されてる」

「あんな物をこんな場所に転移させて、他に怪我人が出たら、どうするつもりだったんだ!? もしリリアリア殿下に何かあったら……!!」


 何も悪びれない様子に血が上り、ケイデンスは思わず少女に掴み掛かった。

 リリアリアだけではない。ライデンリィやクロエリィ。何も知らされていない施設長や、おそらくこの少女に意識を奪われていた、他の聖歌隊員。一歩間違えれば、死人が出ていても不思議ではない状態だった。

 ケイデンスを誘き出すだけなら、こんな大掛かりでなくても良かったはずだ。

 

 彼女は目を丸くしてケイデンスを見つめ、掠れた声で歌唱を紡ぐ。そうすればケイデンスの体に衝撃が走り、そのまま弾かれて数メートル吹き飛んだ。

 整然と並んでいた姿が想像できないほど、無惨に壊れた椅子や机にぶつかり、大きな音を立てて床に転がる。


 魔石も木っ端微塵になり、目の前にいるのはただの人間。ケイデンスは今、魔法を使うための手段が全く見えてこなかった。


「わたしが受けた命令は、あなたを、、すること。……どうして、そんな、怒るの? 誰も死んでない、わ」


 抑揚の乏しい声が空気を震わせ、悪寒が背筋を這い上がる。

 クラーケン種とセイレーンを一人で相手取り、無事に生還できる魔法使いなど、それこそ伝説級だ。ケイデンスは魔力があっても魔法が使えないので、殉職にはもってこいの状況なのだろう。


 (くそっ、冗談じゃない! 殿下の役に立つって決めて、ようやく魔法に慣れてきたのに……!! こんな場所で死ぬなんて嫌だ……!!)


 鈍痛で思考が途切れるのすら、煩わしい。ケイデンスは両手を握りしめ、這いつくばる床に額を擦り付ける。

 そして不意に視野が鮮明になり、彼は目の前の少女を凝視した。


 (……あれ?)


 そういえば、施設長に呼び止められた少女を見て、自分は何を思っただろう。

 再びこちらに近寄ってくる彼女の、細い両足の、その更に下を見つめ、ケイデンスは目を見開いた。


 壊れた天窓から差し込む光に照らされ、今は動きに合わせて確かに影がある。

 しかしケイデンスは思い出す。

 あの瞬間、確かに、彼女には影がなかった事を。


 それが言外に魔物ではない少女が、それに準ずる何かを所持している事と同義だと。


「──っ!!」


 意識が浮遊する。下から圧迫するような衝動が、内臓を押し上げる。

 切れそうなほど細い糸を手繰り寄せるように、全ての神経を注いで、隠されたソレを探し出す。

 己の魔力に食いついてこいと念じた刹那、少女が息を吸い込むのと同時に、自身の喉を両手で押さえつけた。


「っ、っ、!?」


 彼女は初めて相貌を歪ませ、混乱した様子で口を覆う。

 そして足に力が入らないのか、腰を抜かしてその場に座り込んだ。

 痙攣する両足を見つめ、顔面蒼白でケイデンスを見つめ、声帯の震えない喉を上下に動かす。


「……禁書は所持しているだけで、禁書になるのなら、……お前が所属する機関にだって、詳細はなかったんだろ」


 ケイデンスは痛みが酷い箇所を魔法で治し、立ち上がって少女に近寄る。

 目の前に片膝をつけば、腕の力すら抜けてしまった彼女を、苦い顔で見つめた。


「どういう風に、残ってたんだろうな。魔石の事と、魔物を使って魔法を使う、そんな要約くらい、かな。……どういう風に感知して、どう利用するのかまでは、知らなかったんじゃないか?」


 少女の首から下がり、衣服の中へ通る銀製のチェーンが見える。それを優しく引き寄せると、魔石が加工されたペンダントのようだった。

 水晶に似て透明な表面の奥に、趣味の悪い目玉が浮かび、時折、薄い目蓋を瞬かせている。

 それはティエラ王国に限らず、世界中の非合法な市場で出回っているという、魔物の一部分を利用したペンダントだった。

 しかもまだとなれば、それだけ強力な個体の一部ということ。魔石が反応を示すのは当然だった。


「……知ってるだろ。こんなペンダントを持っていたら、それこそ摘発の対象だ。騎士団員として、見過ごすわけにはいかない」

「──!! っ!!」


 少女はもう何も言えない。

 立って歩くことも、文字を書くこともできない。

 ケイデンスが魔法によって、脳から送られる信号を遮断してしまったからだ。


「……ごめん。俺のことは、全部、気が付かなかった事にしてくれ」


 両手で少女の耳の塞げば、彼女は恐れ慄いて震え上がる。涙を零して唇が動き、ケイデンスから逃げようと身を捩るが、自らの意思で動かせない下半身が、彼女の希望を阻害する。


 ──たすけて。


「………………知られるわけには、いかないんだ」


 不快な浮遊感に身を任せてしまえば、少女の瞳から光は消え、思考は海へ沈むように、意識の外へと途切れていった。


 


  

 

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