13 初陣③




 足に絡まった触手を、抜いたままであった剣で叩き切る。

 見下ろせば大聖堂の屋根が見え、ケイデンスは早鐘を打つ心臓を必死に押さえつけながら、顔を青褪めさせた。


 (待て待て待て! 嘘だろなんで!? こんな場所にこいつが……!?)


 大聖堂の天窓から向こう側に見えるのは、ケイデンスを見上げる巨大なだ。

 地面から突き出す触手の数は、おおよそ10本。その巨体を大聖堂の防御魔法の中へ押し込められたように、歪な触手だけが空気を切り裂き、地面へ叩きつけられた。


 海洋魔物でも滅多に姿を現さないと言われる、クラーケン種。それもこの大きさは群を抜いて最上だ。

 しかしクラーケン種はセイレーンのように知能が高くなく、地上生物に擬態する能力を持たない。少なくとも、こんな内陸部に出現する魔物ではなかった。


 ケイデンスの下げる腰袋が、魔石の熱に耐えきれず発火する。

 彼は咄嗟に紐を切って投げ捨て、震える呼吸音を白く烟る息に逃し、目を細めた。


 (落ち着け、……っ落ち着いて、魔法を)


 いっそ不快なほど強烈な浮遊感が身体を貫き、ケイデンスは視野の悪さに悪態をつく。それでも周囲の水分を集め、足元に氷の地面ができると、それを浮かばせたまま足をつけた。

 滑らないよう魔法を重ね、地表へいるリリアリアを見つければ、彼女はライデンリィに抱えられて、大聖堂を離れようとしている。

 リリアリアの位置から、ケイデンスの状況は見えない。

 それに安堵しつつ、彼は突如出現したクラーケンを睨み据えた。


 (文献でしか知らないが、クラーケンは海洋でしか生きられないはずだ。大聖堂の防御魔法は強固のようだし、建物に亀裂も入ってない。きっとこのまま時間が経てば消滅する)


 幸い、大聖堂の中にはセイレーンしかいない。

 後は自分が安全に下に戻り、他騎士団が応援に来れば勝機がある。


 そう考えた矢先、ケイデンスを見上げるクラーケンの一つ目に、不自然な影ができた。

 視認した時には天窓がこじ開けられ、何かが大聖堂の屋根に足をかける。

 無造作に切り揃えられた赤褐色の髪に、色白の顔。均整の取れすぎた美しい顔面が、真っ直ぐにケイデンスを見上げた。


 セイレーンが擬態した少女だと思考が追いついた時、その魔物が窓を踏み抜いて跳躍する。


 咄嗟に剣で防御し、ぶつかった硬い鱗が甲高い音を立てた。

 衝撃を殺せず体が真横に吹き飛び、しかしケイデンスは頭の中で念じて魔法を行使し、空気の壁を作って着地する。

 不自然なほど大きく見開いた目で、こちらを凝視したソレは、残っていた氷の欠片に足をかけ再び襲いかかった。

 鱗で覆われた四肢を鞭のようにしならせ、ケイデンスの首元を狙う動きに、剣の軸がぶれる。セイレーンにあるまじき肉弾戦だった。


 捌ききれない衝撃が骨を軋ませ、ケイデンスの意識が追いつく前に、体勢が崩れて大聖堂の屋根に叩き落とされる。

 背中を強打し息が止まり、その隙をついて触手が再び足首に絡み、壊れた天窓から中に引き摺り込まれた。


 (海水……!?)


 水飛沫を立てて落ちたそこを埋め尽くしていたのは、防御魔法によって逃げ場のない海水だ。

 クラーケンの巨体に体が沈み、塩水で目が開けられず奥歯を噛み締める。その間も天窓から大聖堂内に侵入し、海底へ押しやろうとする触手が、自由を奪いケイデンスを拘束した。


 このままでは溺死してしまう。

 ケイデンスは焦る己を叱咤し、剣をクラーケンの体表へ刺すと、意識を引き寄せた。


 (海の中は魔物の独壇場だ。何がどうなってるのか全然分からないけど、せめて海水だけでもなんとかしないと、死ぬ……!)


 両手で触手を掻きむしり、強く念じた直後に視界が反転する。

 饒舌に尽くしがたい浮遊感に次いで、脳震盪を起こしたように体が揺れた。次いで凄まじい轟音を立てて、海水が一気にする。


 あまりの熱波にクラーケンが、表現できない悲鳴をあげた。

 蒸発の余波がそのまま攻撃に転じてくれたようで、苦しみ悶える魔物の体表を滑り落ち、ケイデンスはそのまま細い廊下に突き飛ばされる。

 数回ほど回転して壁に激突し、彼は後頭部を押さえて呻き声を上げた。

 あまりの痛みに意識が朦朧とするが、視界の端で、クラーケンの体が徐々に崩れていくのが見える。

 ケイデンスが頭から流れた血を腕で拭い、懸命に起き上がって状況を確認すれば、急速に干からびた魔物は鼓動を失う前に、不可思議な光に包まれた。


 (く、空間転移魔法!? 誰がそんなことを……!)


 柔らかな声はまさしく、空間転移の際に使用する「うた」を歌唱している。

 繊細でありながら麗しいその声は、大聖堂へ不気味に響き渡った。

 そして無情にも、動けないケイデンスが妨害もできないまま、クラーケンの巨体をどこかへ転移させてしまう。

  

 大聖堂の内部は惨な状態だ。建造物という体裁を保っているだけで、見るも無惨に破壊されてしまっている。

 ケイデンスは壁に手をつき、膝で床を擦りながら移動して、恐る恐る広い空間を覗き込んだ。


 静かな音を立てて、先ほど相対した少女が落ちてくる。

 彼女はやはり異常なほど見開かれた眼球で、周囲を見渡しつつケイデンスの姿を目に留めると、再び跳躍して襲いかかってきた。

 痛む足を引きずってなんとか避けると、魔物の拳が当たった壁が、防御魔法を砕かんとするばかりに歪む。


「……お前、なんなんだ。……ただのセイレーンじゃないな」


 呼吸を整えるべく肩を上下させ、掠れた声で問いかけた。

 セイレーンの攻撃方法は、確かに歌によるものだ。しかしいくら知能が高いと言っても、人間の魔法使いが扱う魔法と、同様の事までは出来ないはずである。

 寧ろ魔法使いが身体を強化、もしくは変容し、魔物のように振る舞っていると考えた方が、自然なような──。


 そこまで思考を回し、ケイデンスは目を見開く。


「…………もしかして、……普通の、人間の、魔法使い……?」


 その言葉に動きを止めたのは、少女も等しく。

 虚な目でケイデンスを見ると、彼女は緩やかに口を開いた。


「あなた、を、駆除するの。……存在しては、いけない、……禁術使いを」


 






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