12 初陣②




 最後に案内された大聖堂に足を踏み入れた時、ケイデンスとライデンリィは、ハッとして周囲を見渡した。 

 双方の腰袋に入れている魔石が、強い熱を持ったのだ。


 大聖堂の中では、聖歌隊が練習をしていて、それ以外の人影は見受けられない。

 施設長曰く、普段は一般国民も出入りしている場所だが、今日は視察の都合上、施設内関係者しかいないのだという。 


「姫様」


 ライデンリィがリリアリアに耳打ちすると、彼女は顔を青褪めさせ、聖歌隊に練習を止めるよう告げ、退出を促す施設長へそっと呼びかけた。


「施設長。申し訳ありませんが、大聖堂を見る前に、聖歌隊の皆様にご挨拶をしたいのですが」

「ええ、大丈夫ですよ。みんな、退出前に、リリアリア第二王女殿下にご挨拶を」


 施設長の一声で歌がやみ、聖歌隊はリリアリアにそれぞれ頭を下げてから、出入り口の門扉へ歩いていく。

 ケイデンスは足元の影を見ようとして、周囲の状況に気がつき眉を顰めた。


 (……まずいな、光の加減で見えずらい……!) 


 大聖堂の中は、ティエラ王国のシンボルを模った大きなガラス窓によって、明るく暖かな陽気に満ちている。しかし屈折する光の加減からか、影が幾重も重なって見えるのだ。これでは違和感があっても察知できない。

 緊張した面持ちのライデンリィが、聖歌隊の面々を一人ずつ、顔を覚えるように見つめている。近衛騎士が下げる魔石はまだ、強く痺れにも似た熱を持ったままだ。


 最後の一人がリリアリアに一礼し、静々と歩いていく後ろ姿を見送ろうとした直後、施設長が不審げに声をあげた。


「君、待ちなさい」


 最後に大聖堂を出ようとした少女が、呼び止められて振り返る。

 赤みがかった茶色の髪に、色白の少女だ。彼女は両手に持った楽譜を胸に抱いて、眉を下げて首を傾けた。


「聖歌隊では見ない顔だ。洗礼名を教えなさい」


 聖歌隊は修道士の中で希望者が多く、完全登録制なのだという。そして彼らには普通とは違う、特別な洗礼名が授けられるのだ。

 少女は一度目を瞬かせ、楽譜を口元に当てて俯く。

 ケイデンスは違和感を確かめるべく目を凝らし、そして少女の足元を見て理解した。


 (影がない……!)


 ケイデンスが剣の鞘に手をかけた直後、少女が顔を上げて一行を見つめる。

 その瞳は真っ赤に充血し、ぽっかりと空いた口腔は、黒く塗りつぶされたように異質だった。


「違うの、見逃して、わたしはただ、歌いに来たの」


 少女の形をした魔物は、心臓を震わすような声で囁く。


「本当よ、楽しく歌いにきたの、本当よ、本当なの」


 文字通り歌うように紡がれる声は、鼓膜から脳に侵食するようだ。

 リリアリアと施設長を後ろに下がらせたライデンリィが、鞘から剣を抜いて、切先を魔物に向ける。

 剣呑な表情を前に、魔物は悲しげに眉を下げて視線を迷わせた。


 殊勝な態度に心が揺れたのか、施設長が眉を下げてリリアリアを見る。


「殿下、その、この方は本当にただ、歌いに来たのでは……」

「……そうだったら、良かったわ」


 リリアリアは険しい表情を崩さず、魔物の向こう側を見据えた。

 門扉の外ではいつの間にか、出て行ったはずの聖歌隊員が、虚な目で一列に並んでいる。

 その異様な光景に息をのみ、ケイデンスは奥歯を噛み締め、己の剣を鞘から抜いた。


 リリアリアは体を震わせながら、両手を握りしめて一歩前へ出る。


「歌いに来ただけ……でしたら、その後ろの方々は、どう説明して頂けるのでしょう」


 張りのある声を響かせれば、魔物は目を瞬かせ、心底不思議そうに首を傾けた。


「しっかり歌えば、お腹が空くでしょう?」


 その刹那、ライデンリィの力強い歌が、大聖堂の空間に反響する。

 魔法によって風が巻き起こり、魔物の背後にある扉が音を立てて閉じた。そしてそのまま留め具を跳ね下ろし、逃げ場を失わせて施錠する。

 外界から遮断された魔物は奇声をあげ、少女の肢体が真っ二つに割れると、美しい女人の上半身を持つ軟体生物の異形が、その姿を現した。


 魔物が剥き出しの胸に両手を当て、大きく息を吸い込むのに合わせ、ライデンリィが「うた」を重ねて放電する。同時に施設長が小声で「うた」を口ずさめば、大聖堂に張り巡らされた防御魔法が作動し、異物を排除しようとする魔物の攻撃を阻害した。

 雷撃と共に響き渡った轟音に、クロエリィが片手で耳を塞ぎながら、ケイデンスに二人を託す。


「姫さま、施設長さま! お逃げください! 辺境伯子息さま、お二人をお願いします!」

「っわかった。だけど、二人も無理に応戦しないで逃げるんだ」


 セイレーンは単体でも脅威になる。いかに強い魔法を扱える魔法使いでも、少数で相対するのは避けるべき相手だ。

 主君を守るのが騎士の名誉だと言っても、無謀に立ち向かって良い魔物ではないのだ。


 ケイデンスは施設長の指示で、リリアリアと共に裏口へ走る。

 狭い通路を抜け、施錠された扉の前にくると、施設長が魔法で鍵をこじ開けた。

 そこから外に逃げ、施設長に避難を呼びかけるよう頼んだ直後、クロエリィとライデンリィが頭上高くの窓から飛び出してくる。


「二人とも!」


 難なく地面に着地した二人は、即座に立ち上がって大聖堂を振り返った。


「すごいですよここ! 防御魔法が半端じゃないです! お姉ちゃんの魔法が効いて、動きが鈍ったところで脱出してきたんですけど、向こうは全然追ってこられないみたいです」


 やや興奮気味に話すクロエリィにも、額から流れる汗を拭うライデンリィにも、怪我は見受けられない。

 護衛姉妹揃って、強力な施錠魔法を大聖堂全体にかけたところで、リリアリアはようやく息を吐き出した。


「騎士団へ応援要請を。魔物をこのままにしておけません」

「はい、姫さま」

「……すぐに、……呼んできます」


 離れようと移動する背後で、微かな物音が聞こえて、ケイデンスは振り返る。

 窓ガラス越し、何かと目があった事に気がついた時には、もう遅かった。


「っケイデンス!?」


 聴覚にリリアリアの悲鳴が届いたが、姿を視認する前に視界が回り、物理的な感覚で胃の内容物が浮き上がる。

 地面から突き出した何かに片足を取られ、ケイデンスの体はそのまま、遠心力に任せて天空に放り投げられた。 

  






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