3 隅にいる無能③




「本当に連れて来ちゃったんですか、姫さまぁ!?」


 サロンに入った瞬間、ティーセットの準備をしていた第二王女付き侍女が、素っ頓狂な声を上げた。

 ケイデンスの腕から離れたリリアリアは、愉快げに口元を緩ませ、女性騎士が引いた椅子に腰を下ろす。


 以前より数回ほど足を踏み入れたことがあるサロンは、今日も穏やかな日差しが降り注いでいた。

 細やかな装飾の美しい丸テーブルと椅子を囲み、緑が安らぐ観葉植物が、庭園を模して植木鉢の上で揺れている。

 目利きの侍女が選び抜いたティーセットは、隅々まで磨かれて輝き、いつ見ても新品さながらだ。加えて質の良い茶葉で淹れる紅茶の香りも、鼻口に漂って余韻を残す。


 扉の隅に控えたケイデンスは、ホッとする空間に肩の力をやや抜いた。


「ええ。言ったでしょう、クロエ? デビュタントを迎えたら、ケイデンスを連れてくるって」

「そ、そうですけど……」


 リリアリアの侍女、クロエリィ。細いフレームの丸眼鏡を愛用する、気配り上手で優秀な侍女だ。親しく話をした事はないが、寡黙な女性近衛騎士である、ライデンリィの妹だったとケイデンスは記憶している。

 

 クロエリィは第二王女に紅茶を用意すると、ケイデンスににじり寄り、片手を口元に当てて声をひそめた。


「ロビンラーク辺境伯子息さま。もしかして、姫さまに無理やり手籠にされたのでは?」

「て、手籠だなんて、淑女がサラッと口にしてはいけないと思いますが」

「うわぁ流石! 美声! 耳が孕みます!」

「えっ」 

「こら、クロエ。おやめなさい」


 とんでもないことを言われ、一瞬で耳まで赤くし硬直するケイデンスに、リリアリアが助け舟を出してくれる。

 第二王女は音を立てずにカップを持ち上げると、一口飲み込んで息をついた。


「ただ、強引だったのは許してくださいね。早く近衛騎士に昇格しないと、すぐにでも脱退させられそうで」


 ケイデンスがずっと疑問を感じていた、父による辞表の不受理。あれはリリアリアが父に掛け合い、絶対にケイデンスを近衛騎士に採用するので、騎士団に入団させ、彼女のデビュタントが過ぎるまで辞めさせることがないよう、圧をかけていたからだという。

 ロビンラーク辺境伯家としても、王族と密な関係性を保つ事ができ、無能で役立たずな第三子の使い道もでき、一石二鳥な申し出であったという事だ。


 ケイデンスは後ろ手を組みながら、床まで視線を下げる。


「……俺は、魔法も使えない役立たずです。リリアリア第二王女殿下の評判を、落としかねないと……」

「わたくしは、お父さまから男性の近衛騎士を選出する話を聞いてから、あなた以外は嫌なのです。辞退するなど、どうか言わないでくださいまし。許しませんよ」


 ピシャリと切り捨てられ、ケイデンスは言葉に詰まって目線を泳がせた。


 リリアリア第二王女と出会ったのは、約二年前。ケイデンスの成人の儀デビュタントだ。

 少し話す機会があり、読書の趣味で意気投合したせいか、以降、すっかり気に入られている。

 何かと侮蔑の対象になりやすいケイデンスへ、有り難くも便宜を図ってくれていた。


 ケイデンスやライデンリィに対しても、柔らかな色合いの紅茶を淹れたクロエリィが、二人をテーブルまで呼び寄せる。

 本来なら爵位のない一介の騎士が、王族と同じテーブルを囲むなど不敬に当たるところだが、リリアリアは気心の知れた相手をサロンに呼び、茶菓子を食べるのが好きな少女なのだ。

 心得ている女性騎士に続き、ケイデンスもそっと近寄ると、一礼してから椅子に腰を下ろした。


「実際、ロビンラーク辺境伯子息さまの魔法って、どんな感じなんでしょう? わたし、見たことがないんですよね」


 固めの生地でこんがり焼かれたクッキーをとりわけ、皿を差し出してくれる侍女に再度頭を下げ、ケイデンスは苦笑いを浮かべる。


「いや、その、初歩しか無理です」

「でも例えばこのカップを浮かせたりとか、そういうのは大丈夫なんですよね?」

「…………私も辺境伯子息殿の実力は、把握しておきたい……」


 グイグイくる妹と共に、沈黙を守っていた姉、ライデンリィもポツリと呟いた。

 流石に困惑して表情が固まると、クッキーを一枚頬張って飲み込んだリリアリアが、肩をすくめる。


「ケイデンス、大丈夫です。二人は笑ったりしませんから。許可します」

「は、はぁ……」


 王族の私室サロンで問題があってはと、考えうる心配事が一瞬、頭をよぎる。しかし確かにケイデンスの魔法は、あまりに何も出来ないので、万が一にも、億が一にも暴走するような心配がないのは事実だった。


 ケイデンスは緊張した面持ちでカップを見つめ、脳内で旋律を組み立て、すっと息を吸い込む。

 そして誰もが振り返る美声ながら、あまりに調子が外れた音で空気を振動させた。

 本人は至って真面目に「うた」を紡ぐが、拍も抑揚もあったものではない。

 ただ一直線に言葉を羅列し、時折空白が空いて、魔法が発動したカップは慎ましやかにそっと、数センチ、浮いた。


 懸命に歌っていたケイデンスは、息苦しさを感じて徐々に失速していき、最後は言葉尻が途切れて脱力する。

 カップは確かに浮いているが、それ以上、回ることもなければ動くこともなく、再びノロノロとソーサーの上に戻っていく。


 神妙な顔で様子を眺めていた姉妹のうち、妹のクロエリィが感心した表情で大きく頷いた。


「いやぁ、びっくりするほど良い声なのに、擁護できないほど下手へったくそですねぇ……」

「ご、ごもっともです…………」 








 



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