2 隅にいる無能②
突如として響いた、可愛らしく柔らかな声に、その場にいた全員が立ち上がった。
兄二人も慌てて自らの昼食をテーブルに置き、最敬礼して頭を下げる。
ケイデンスは一瞬、惚けた顔で彼女を見てしまうも、ハッと我に返り深く頭を下げた。
豊かで艶のある栗色の長髪に、神秘的なサファイアの瞳。しとやかな所作で歩く姿は優美で、王族としての気品を漂わせている。
リリアリア・ティエラ・フェニー。先日デビュタントを迎えたばかりの、花の十六歳。この国の第二王女だ。
彼女は厳重な兵士と、近衛騎士である女性騎士に守られながら、静々とケイデンスに近寄ってくる。
そして後ろへ下がった第1、第2小隊隊長たちをそろぞれ見つめ、大きな瞳をついと細めた。
「ケイデンスに対して、早く騎士団を辞めろだのと、世迷言が聞こえた気がするのですが……」
「深き夜の淵、リリアリア・フェニー第二王女殿下にご挨拶申し上げます。発言の御許可を賜りたく存じます」
「許します」
頭を下げたまま口を開いたアゴールに、リリアリアは扇の内側で微笑んだまま、ゆっくりと頷く。その間もケイデンスを背に庇い、隣には女性騎士が仏頂面で他の騎士たちを見渡した。
「我が弟ケイデンスには、騎士団の任は荷が重く、兄として助言をしていたまでにございます」
「まぁ、そうでしたか。早合点をしてしまい、申し訳ございません。ですがご心配には及びませんわ。ケイデンスはわたくしの騎士ですもの。しっかり任を果たしますわ」
少し頬を染めて柔和に笑う表情に、顔を上げた男騎士たちが一様に惚けた顔をし始める。
ケイデンスは内心、引っ掛かりを覚えて目を瞬かせると、再び足音が聞こえて食堂の出入り口に視線を向けた。
そこには形容し難い感情が、そのまま表情に現れた父と、父を補佐する副団長の姿が見え、僅かに瞠目する。
リリアリアはケイデンスを振り返り、悪戯が成功した少女の顔で、朗らかに笑い片目を閉じた。
◇ ◇ ◇
「だ、だっ、第二王女殿下の近衛騎士!? 俺、いや、自分がですか!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、ケイデンスは慌てて口を噤んだ。
王家私有の応接室に呼ばれた彼の前には、それぞれソファーに座る、げんなりした顔の国王夫妻と、相変わらず微妙な顔の父、そして微笑むリリアリアがいる。
扉の前で一人立たされているケイデンスは、目を白黒させながら父に説明を求めた。
父は口を開こうとした矢先、国王が片手を上げて制し、僅かに声音へ怒りを滲ませる。
「言葉の通りだ。君は今より、我が愛娘が一人、リリアリアの近衛騎士として任務にあたってもらう。勘違いするでないぞ、私とて、君のような青年はなぁ……、…………しかしリリアリアとは、デビュタントを迎えた後、近衛騎士を一人、自由に指名していい約束をしてな。その騎士が君だった」
(な、なんで俺? いやまぁ確かに、リリアリア第二王女殿下とは、面識がないわけじゃないけど……)
リリアリアを盗み見れば、ぱち、と視線が交差して戸惑う。
彼女は扇の内側で上品に目を細め、ケイデンスを見つめながら首を傾けた。
「
本人から数値を聞いた事はないが、リリアリアも膨大な魔力を持っている一人だと、噂で聞いたことがある。
ケイデンスは魔力量だけ見れば、世界一と太鼓判を押されたので、まぁ条件に合致しているのだろう。
しかし第二王女の近衛騎士となれば、第8小隊で活動するのとは訳が違う。それこそ責任の重大性など、天と地ほどの差が生じるのだ。
率直に言ってしまえば、嬉しい気持ちはある。罵詈雑言飛び交う小隊で縮こまっているより、彼女の傍にいた方がいいのは確かだ。それにケイデンスはリリアリアに対し、淡い恋心を抱いていることも否定しようがない。
彼女とどうこうなるつもりは、ない。初めて出会った時からこの瞬間まで、毛根も死滅するほど全く無い。だが、近衛騎士として傍にいられるなら万々歳であった。
しかしそれはそれ、これはこれ、である。
ケイデンスは発言の許可をとり、脳内で言葉を組み立てながら、遠回しに断りを入れようとした矢先、黙していた父が口を開いた。
「ケイデンス、これは
「……、……しょ、承知、いたしました……」
(拒否権はないってことか……)
国王夫妻が諦めやら、不服やらを滲ませた顔なのはひとえに、ケイデンスの評判を聞いているからだろう。
大事な娘を魔法も満足に使えない
しかも厄介なことに、ケイデンスの魔力量が膨大なのは、教会も認める事実なのだ。例に漏れず、王家は嫌々ながら後ろ盾になってくれている。
そのため王家としても、リリアリアの指名を突っぱねることが出来なかったのだ。
ケイデンスは三人の表情から状況を察し、故に手放しで喜ぶわけにもいかず、固い表情のまま再度、深く頭を下げる。
「謹んで、お受けいたします」
「うむ……。もういい、下がりなさい」
重い溜め息を吐いた国王に、片手を払われて退出を促された。
明らかに期待されていないのが丸わかりで、ケイデンスは苦笑いすら浮かべそうなのを堪え、再度、頭を下げる。
そうすればリリアリアが立ち上がり、国王夫妻に一礼した。
「それではわたくしも、ケイデンスを案内するのに下がりますわ」
「待ちなさい、リリアリア。お前には話が……」
「彼はもう、わたくしの騎士ですもの。近衛騎士が主君を置いて、部屋を出るなど可笑しなことですわ。ね、お父さま」
咄嗟に制しようとした王妃に、リリアリアは微笑みを絶やさず反論する。理屈として適っている言い分に、国王は渋々頷いて、リリアリアは変わらず足音も静かに、ケイデンスに近寄ってきた。
扉を開けて彼女を先に廊下へ出すと、ケイデンスはもう一度腰を折って頭を下げ、ゆっくりと扉を閉める。
すぐにどっと疲れが押し寄せ、青い顔で小さく息を吐き出すと、リリアリアが隣で片手を差し出した。
「わたくしの近衛騎士。規定として問題ありませんわ、エスコートして下さいまし」
「うへぇっい!? あ、え、は、はい、大変光栄です第ニ王女殿下……」
あまりに唐突な言葉に変な悲鳴がもれ、ケイデンスは慌ててリリアリアに向き直る。廊下に控えていたのが、彼女が信頼を寄せている女性近衛騎士だけでなければ、後で鉄拳が飛んでくるほどの失態だ。
しかし女性騎士はおおらかに頷き、肘でケイデンスの背を小突くだけであった。
彼が迷いながらも、片方の肘を差し出せば、彼女は扇を閉じてケイデンスを見上げる。
そしてサファイアの瞳に喜びを映し、柔らかく細めて破顔した。
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