第21話

 ウイルの小屋の中は暗かった。彼がパチンと指を鳴らすと数カ所の水晶に灯りがともって室内を照らした。素朴な木製のテーブルとベッドだけがある小さな空間だった。


「そちらに」


 ウイルが差した椅子に世那は掛けた。黒猫は世那の太腿の上。ウイルは世那の正面に座った。


「私はこんな姿ですから……」ウイルは金と黒色の目玉をクルクル回し、世那を通して、世那が過去に経験したことを見たのだ、と説明した。彼によれば、世那の居所を発見したカーズが、世那とレンの関係が深まるのを妨害するために、解体工事現場から鉄骨を落としたのだろうというのだ。レンだけを傷つけ、世那には怪我をさせないように。


「彼の魔力をもってすれば簡単なことだね」


 黒猫が言った。


「カーズはレンに獣人の血が混じっているのが気にいらないようです」


「そうでしたか……。もしかしたら、レンが私の記憶を失ったのも回復魔法の副作用などではなく、カーズの魔法かしら?」


「おそらく」


 ウイルが首を縦に振った。


「……」真実の前に世那の意識が遠のいた。景色がぼやけ、モノトーンになったそれがぐるりと回る。椅子から転げ落ちたが、自身は気づかなかった。


 椅子から落ちた世那が床に叩きつけられることはなかった。黒猫が人型に変わり、世那の身体が床につくギリギリのところで抱きとめていた。黒猫は、黒水晶商店街で猫耳カチューシャをつけていた青年だった。


「危ない、危ない……」


 青年は世那の髪に鼻を寄せて匂いをかぐと、うっとりと目を細めた。


「……ベッドを借りるよ」


「どうぞ。……まさかとは思うが、ボール、ここでのか?」


「俺はそんな奴だったかな?」


 彼がベッドかベンチか分からないようなそれに世那をおろした。


「盛りのついた猫じゃないか」


 ウイルがホホホと笑った。


「ほっとけ」


 彼はベッドを離れてさっきまで世那が座っていた椅子に掛ける。


「いいのか、チャンスだろう?」


「意識のない女を犯すほど落ちぶれちゃいないさ」


 ――ホホホ――


 ウイルは立って、酒瓶とグラスを出した。ボールには普通のグラスを、自分用にはくちばしでなめられる奥行きのある小さなものを。


「まあ、吞め」


 グラスに酒を注ぐ。自分はグラスを持って世那のところに足を運び、鼻先にそれをかざした。


 世那の鼻腔びくうがアルコールに刺激されてヒクヒク動いた。そうして意識が戻った。


「セナ姫、大丈夫ですか?」


 ウイルの声で、世那の意識がはっきりしてくる。


「あ、ええ……、私、ごめんなさい。……どうして……」


 ベッドに寝かされているのに気づいて、慌てて身体を起こした。


「レンという男がカーズに狙われたと知って、意識を失ったんだよ。なあに、ほんの1分ぐらいだ」


 ボールが教えた。


 そうだ、カーズがレンを殺そうとしたと知って頭が真っ白になったんだ。……記憶を掘り返すと、その時、ボールがいなかったことを思い出した。


「あなたは……」


 黒水晶商店街で声をかけてきた青年ではないか?……世那は、夢を見ているのではないかと思った。


「ナンパを拒否られた男だよ。名前はボールだ」


「はい。でも、どうしてここに……?」


「ウイルとは古い友達なんだ」


「ボール、あの事も隠さず正直に話せ」


「何故だよ。猫の姿のままなら、彼女に抱いてもらえるんだぜ」


「猫……」世那は気づいた。「……あなたがあの黒猫。……獣人なのね?」


「あ、バレた?」


 彼がクシャっと笑った。犬に似ていると思った顔が、猫のそれに見えた。


 世那はあいまいな笑みを返して立ち上がる。自室に戻ってカーズとのことを考え直すつもりだった。


「セナ姫、デートしようぜ。そのくらいのことはしてやっただろう?」


 ボールが立ちふさがる。支配しようという威圧感があった。


「ごめんなさい。今は無理だわ」


「結婚が決まっているからか?」


 世那に答えるつもりはなかった。


「どいてください。帰ります」


「また、空に飛ぶか?……」彼が上を指さす。「……ここでは天井があるから無理だな」


 世那は天井を見上げ、それから出入り口のドアに視線を移した。


 飛ぶのは無理でも、時空移動ならできるのではないか?……閃くのと、水晶宮の玄関ホールのイメージが浮かぶのとが同時だった。――×▽◇×――〝霊界へ飛ぶ魔法〟で見覚えたばかりの呪文が走る。


 小屋の中から世那の姿が消えた。


「透明化か?」


 ボールが声をあげ、周囲を手で探った。


「いや、時空を飛んだのだ。王女は水晶宮のホールにいる。……たった3カ月で時空を超えるとは、さすが、王家の血をひく者だ」


 ウイルの金と黒色の瞳が宮の方角を向いていた。


「俺の手にはおえないか?」


「かもしれないな。……まぁ、成るようになる。呑みなおそう」


 ウイルがグラスを嘴に運んだ。

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