第20話

 宮殿に帰ったスバルは自室に入った。世那はジャックとメグに呼び止められて広間に残った。


「セナ、悪魔討伐隊がひと月後に出発することに決まった。出立前に、カーズ王子の婿入りを決め、後顧こうこの憂いをなくしたい。覚悟は良いな」


 ジャックの言は、NOと言わせない断定的なものだった。


「お父さま。後顧の憂いなど、まるで死に行く者のようなお話ではありませんか」


 返事を引き延ばしたくて応じると、メグが今にも泣きそうな顔で口を開いた。


「セナ、死ぬかもしれない話なのです。お父さまを安心させてはもらえませんか?」


 両親の切実な視線に、ついに世那は折れた。レンに対する未練もカーズに対する不満もあったが、カーズが十年以上もかけて自分を探してくれたのは、いくばくかの愛情のしるしだろうと思うことにした。


「わかりました。カーズさまとの結婚、お受けします」


 そう応じた時、背後に刺すようなアリスの視線を感じた。部屋に彼女はいないけれど、何らかの魔法を使って見ているのに違いない。


「良かったわ」


 メグが歓喜し、ジャックは肩の緊張を解いた。


 自室に戻った世那は懐から〝霊界へ飛ぶ魔法〟を取り出し、無駄になったかもしれないと思いながらしげしげと眺めた。もし自分が女王に収まったなら、もう魔界から出ることもないだろう。悪魔討伐のような仕事はカーズに委ねられることになるはずだ。


〝霊界へ飛ぶ魔法〟を半分ほど読んだところで重要な決断を安易にしてしまった、と後悔した。散歩に出て森の緑に触れながら、今からでも断ろうか、と悩んだ。


 森の中で一番の大樹のもとに立ち、それに両手をついた。甘えるように体重をかけた。


「他の選択ができたと思う!……ジャックとメグが、……あんなに望んだのに……」


 当人たちを前にすればお父さま、お母さまと呼べたが、そうでなければ何と呼ぶべきか、いつも迷った。それで感情がもやもやしてしまうのだけれど、今は大樹に甘え、吐き捨てるように感情をぶつけられた。


「おやおや、王女様も大変なんだね」


 聞き覚えのない声がする。


「だれ?」


 振り返ると毛並みの美しい黒猫がいた。金色の瞳に知性が見える。


「君はカーズが好きなのかい?」


 そう言ったのは、明らかに黒猫だった。


「あなた、しゃべられるの?」


「君は見たものが信じられないのか?」


「いえ、そんな……」


「カーズは、君が好きな人を殺そうとした男なんだぜ」


 黒猫の言葉に躊躇い、そして驚かされた。


「エッ、どういうこと?」


「ラブホのバスルームに鉄骨を落としたのは彼なのさ」


 黒猫の言葉に世那の頭の中は真っ白になった。


 そよ風が森を撫でていく。


 ――ホー、ホー……フクロウの声がして、世那は我に返った。


「猫のあなたが、どうしてそんなことを知っているのよ」


「俺には友がいるのさ。千里眼の友がね」


 黒猫は得意げに言うと森の奥に向かって歩いて行く。世那は彼を追った。


「待ってよ。もし、あなたの言うことが本当なら、カーズさんと結婚するわけにはいかない。ちゃんと教えて」


「んー、なら、ついてこいよ」


 黒猫は言うと、とことこと小道を歩いて行く。その先にあるのは半獣半人のウイルが住む小さな小屋だった。


「開けてくれ」


 ドアの前で足を止めた黒猫が言った。


「ここに住んでいるの?」


「いいや、友だちの家だ」


「そうなんだ……」


 友達とはいえ他人だ。勝手に入れるのはどうかと思い、ノックをすることにした。


 ――トントントン――


 ――トントントン――


 ――トントントン――


 何度か繰り返したが返事はなかった。


「留守のようですね。入るのはどうかと思いますよ」


 黒猫に言った。


「えー、困るなぁ」


「自分の家に帰ればいいじゃないですか」


「いやいやいや、なんのために来たと思っているの。お姫さまがフィアンセのことを訊きたいって言ったからだぜ」


 黒猫が頬をふくらませた。


「まあ、可愛い」


 世那はからかい、黒猫を抱き上げて頬ずりした。


「だろう」


 黒猫は得意気だ。


「あー、いらっしゃい」


 背後から声がした。フクロウ男のウイルだった。


「あ、……セナ姫……」


 彼は世那だと気づいて恐縮し、丸い眼をクルクル回した。


「ウイル、君が見たことを、このお姫さまに話してやってくれ。その上で、カーズと結婚するかどうか、決めてもらった方がいい」


 黒猫が偉そうに言った。


「大丈夫なのかい?……」ウイルは世那を一瞥した。「……まあ、入ってください」


 彼がドアを開けた。鍵は掛かっていなかった。

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