第19話

「ここだわ」


 スバルが案内した店の看板には【○○○□□】とあった。


 彼女が恐る恐るといった態度でドアを開け、2人は店内に入った。


 薄暗い店内に人の気配はなかった。本を構成している紙と皮、インク、にかわ、それらにまとわりつくほこりとカビの臭いがツンと鼻を突く。


「いらっしゃい」


 どこから現れたのだろう。突然声がした。店員の目線がスバルに向いていた。彼、もしくは彼女の顔はブタだった。


「ヒッ……」世那の声がのどに詰まる。


「お姉さま……」


 ささやくように警告する声と同時に、スバルの細い指が世那の脇腹の脂肪をつねった。


 2人はブタの顔をした半獣半人に作り笑いを返して魔法書が並ぶ書棚に向かった。


「ここは魔法書が豊富ね。古い本がたくさん……」


 世那は羊皮紙の本を手に取った。【※※○※▽※】表紙には読めない文字があった。


「スバルさん、これ、読める?」


 表紙を向けると彼女は首を横に振った。


「古代文字ですね。どんな魔法かしら?」


 中を開いてみても読めないのは同じだった。


「誰が買うのかしらね?」


「有効な魔法なら、新しい本にも出ているはずです。そっちを探しましょう」


 前の書店ではファッション誌をみていた彼女も、不安なのか世那のそばを離れない。時折、ブタ顔の店員の視線を気にしていた。


「獣人も魔法が使えるの?」


 声を潜めて尋ねた。


「魔人とのミックスなら使えます。純粋な魔人ほどではありませんが」


「なるほど……」


 世那は店員に目をやった。彼、もしくは彼女も羊皮紙の古い文字も読めるのだろう。そうでなければ、売っているはずがない。そしてきっと、そこに書かれている魔法が使えるのだろう。彼、もしくは彼女なら、私がいた世界に行く方法も知っているに違いない。……少しだけ尊敬の念を覚えた。


 世那は羊皮紙の魔法書はさけて紙の書物だけを見て歩いた。そうして見つけたのは〝霊界へ飛ぶ魔法〟という本だった。


「やだ、霊界に行きたいの?」


 世那が手にした本を見たスバルが目を丸くした。


「行ったら、どうなるのかな?」


「さあ、行った人を知らないから」


 彼女が小首をかしげる。


「カーズさんは行ったんじゃない。私を探しに」


 パラパラとページをめくる。


「アッ、そうかも」


「聞いてないの?」


「アリスお姉さまなら聞いているかもしれないけど、私は……」


 彼女はあいまいに応じて微笑んだ。


 本には霊界に行く呪文の他にに行く呪文があった。他にもいくつか次元はあるが、そこへ行く魔法は確立されていないと記述されていた。


 現在、魔法で行けるのが霊界とだけなら、私が育ったのはだ。……世那は確信した。そこに行くための魔法を探していると悟られないために、単純な質問を投げた。


「次元はいくつあるの?」


「さあ、私は知らない。きっと沢山あるのよ」


 彼女は聡明でポジティブな少女だけれど、冒険心には欠けているようだ。


 世那は〝霊界へ飛ぶ魔法〟を買った。ブタ顔の店員に代金を払う時には、何か言われるのではないかとドキドキした。


「まいど、ありがとう。魔法で行ける次元は4つだ。行けるのは私だけ、だけどなぁ」


 店員は宣言でもするように言うと、ブヒッと鼻を鳴らした。とても得意そうだった。


 魔法の話を訊きたい思いと、表情が読めない不安とがせめぎ合った。


 ――ブヒッ――


 強烈な鼻息で我に返る。尋ねたいことは山ほどあるけれど、今はスバルと一緒なのだ。彼女を不安にさせてはいけないと思った。


 世那は、スバルと共に店を出た。


 通りには、猫耳のカチューシャを手にした男性とその仲間が待ち伏せていた。


「なぁ、ちょっとだけ付き合えよ。居酒屋でもゲームセンターでも、なんならフェニックス狩りでもどうだ?」


 彼らが作り笑いを浮かべて取り囲んだ。口からはアルコールの、皮膚からは獣の臭いがした。彼らは獣人なのだろう。


「こ、困ります」


 応じたスバルの手が世那の腕を強く握っていた。王女として大切に育てられてきた彼女は、こういった状況に慣れていないようだ。


 世那はチェニックの内側に魔法書を潜ませるとスバルの肩に手を置いた。


「△▽▲▼……」


 高い空をイメージしてつぶやくと、2人は舞い上がった。見上げる獣人らの顔が、あっという間に胡麻粒のように小さくなった。


 黒水晶商店街の黒い屋根が味付け海苔のりのように見える。彼らが追ってくる様子はなかった。


「もう安心よ」


 宙に浮いた状態でスバルを慰める。彼女は自力で浮かんだ。


「帰る? それとも、お茶する?」


 眼下にはお洒落なカフェや小物を売る店が多い赤水晶商店街の赤い屋根がイチゴムースのように見えた。その隣にある白水晶商店街の屋根は生クリームがいっぱいのったロールケーキのようだ。少し離れたところにある青い屋根は青水晶商店街、光を不規則に反射する様子は競泳プールのようだ。


「私、帰りたいです」


 スバルの唇が紫色をしていた。


「そうね、帰りましょう」


 2人はモップに座り、水晶宮に向かった。

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