Ⅲ章 獣人
第17話
ふたつの太陽が地平線の向こう側にある時だった。多くの魔人は眠りの底にあったが、世那は椅子を窓の前に置いて、その時だけしか見えない星をぼんやり見ていた。
「あぁ、満天の星が見てみたい」
太陽が空にないとはいえオレンジ色の空は明るく、瞬く星の数は少ない。地球の群青色の空が懐かしかった。同時に思い浮かぶのは、子犬のようなレンの無邪気な笑みだ。
「エッ……」
頭がズンと重くなり意識が遠のいた。
――今、魔界は危機に直面している。皆のものも感じているだろう。精霊たちの嘆きを……――
頭に宝冠を乗せた魔王ジャックが熱意のこもった真剣な表情で語った。
これは夢だ。……世那は自覚していた。目覚めた状態で見る白日夢だと。
――……精霊たちが住む惑星テラが悪魔に
声が消えると同時に、フッと目覚める。まだ、頭は重たいけれど、目の前にあるのは薄いオレンジ色の空と瞬く数少ない星だ。
変な夢。でも、悪魔の討伐だなんて物騒な話ね。……世那は、英雄が仲間と共に悪魔を討伐に向かうロールプレイングゲームをイメージした。勇壮なゲーム音楽が脳内でリフレインする。
「どこにいるのかしら、悪魔?」
その時は、世那も呑気だった。ほどなくベッドに横たわると深い眠りに落ちた。
白日夢が現実とつながったのは家族がそろう朝食時だった。スバルに教えられた。
「夢で見たのは、夢ではないのですよ。魔王はそうやって国民にメッセージを送るのです。寝ていても起きていても、100%メッセージが伝わります。ねえ、パパ」
パンをちぎる手を止めて、ジャックがうなずいた。
「魔王、アッ、お父さまが悪魔を倒しに行くのですか?……本当に?」
「何が冗談であるものか……」
「だから、その前にあなたの婚約披露パーティーを開きませんとね」
祖母のマリーが微笑んだ。
世那には彼女の声が聞こえなかった。頭の中は巨大な悪魔をジャックとその部下の魔人たちが取り囲んで炎や氷の魔法で攻撃するイメージが占めていた。
――悪魔は炎や氷の魔法など易々と打ち消して反撃に転じる。魔人の足元の地面からゾンビが這い出して襲い掛かり、ある者は石化魔法で石像に変わる。それはいずれ戦勝記念公園に英雄として飾られるだろう。
「
ジャックは
「……おお、そうだ。カーズが困っておったぞ。セナが煮え切らないと」
キングの声で、世那は我に返った。魔界に来て約3カ月が過ぎていた。その間、様々な魔法を覚えたり、習慣や慣習、言語を理解するのに忙しかった。カーズには結婚を迫られていたけれど決断できずにいる。彼は紳士的で愛情も感じるのだけれど、あの〝俺様男子〟感に抵抗を覚えていた。同時に、アリスの存在が問題だった。世那とカーズの距離が縮まると、世那に対する彼女の当たりが強くなるのだ。結婚した末にはどんなことになるやら、恐ろしすぎる。
そんなことを考えていたからか、キングの話にピント外れの質問を返してしまった。
「お父さまが討伐に向かう悪魔は、どこにいるのですか?」
キングとマリーが苦笑する。
「それがいるのはテラといったでしょ。お姉さまが住んでいた場所よ」
無表情に答えたアリスの声には、いつも以上に鋭い棘があった。
世那の気持ちはへこんだが、訊かずにいられない。
「地球に!……悪魔が地球にいるのですか?……確かに、悪魔みたいな悪人はいるけど……」
悪魔が地球にいるということも、それが魔界を滅ぼす可能性があるという話も、すぐには信じられなかった。しかし、もし悪魔がいるのなら、それを倒して人間を、レンを救ってやりたかった。
「人間ひとりひとりは哀れな小動物でも、それが集まって育てた欲望は悪魔だ。それが精霊たちの住処を荒らすだけでなく、精霊のエナジーを吸血鬼のごとく吸い尽くそうとしておる」
キングの答えに世那は震えた。悪魔は人間たちの集合的な欲望だという。それをどうやって倒すというのだ。理解できない。
「難しい話ですね……」
マリーが薄く笑った。
「いずれにしてもあの世界は変わる」
「変わる?」
「そうよ。お姉さまが知っている世界も魔界のようになるのよ。ねえ、パパ?」
アリスが言った。
「魔界のようにはならない。彼らは魔法を使えないからな。どのように変わるか、最終的に決めるのは、彼ら自身だ」
ジャックの答えにアリスがふくれっ面を作った。
「どうやって変えるのですか? 人間を殺したりするのですか?」
世那は恐る恐る訊いた。
「場合によっては、そういうこともあるだろう」
「そんな、止めてください。犯罪じゃないですか!」
思わず叫んでいた。
「私たちは世界を守るために行くのだ。犯罪どころか、正義を行うのだよ。当面の相手は女帝、天神照ということになるだろう……」
ジャックが応じた。
世那の脳裏に安国の葬儀時の照の美しい姿と甘い声が過った。――陽彩乃安国様、あなたはこの世に80年もの間貢献し、偉大な足跡を残しました。皇帝天神照はここに感謝の気持ちを表します……残された私たちは、……この美しい世界を守っていかなければなりません――彼女が悪魔の親玉だというのか?
「……言っておくが、たとえセナの望みでも魔界連合の出兵を止めることはできない。出兵は既定路線だ。魔界連合が出張らなかったなら、霊界の天使たちがそれを行うだろう」
彼の言葉には躊躇いなどなかった。
「天使が?」
世那は天使の姿をイメージできなかった。
「人間が考えるようなキューピットではない。彼らに比べれば、魔王軍など子守のようなものだ」
「そんなに恐ろしい者たちなのですか?」
「我々でも怯むほどな」
ジャックが苦笑した。
そんな者が地球に降り立ったら、人間はどうなるのだろう。……その時、世那の頭にあるのは、レンの愛くるしい顔だけだった。
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