第15話

 魔界にはAIもインターネットもなかった。ショッピングモールやゲームセンターもないし、ロケットや人工衛星もなくて天気予報は中らなかった。食事や衣料品は素朴で慎ましい。人間の世界より文明が遅れているように見えたけれど、住人達は幸せに暮らしていた。


 世那は時々古い街並みをスバルと共に散歩し、時折、人間の世界を思い出した。特に、レンのことを。


 彼は無事に退院したのだろうか? 私のことを思い出して悲しんでいないだろうか? 別の誰かに童貞を奪ってもらっただろうか?……そんなことを考えては人間の世界に戻りたいと思ったけれど、魔界を脱出するには強い魔力がいるらしい。それに、あの世界に戻って出会ったばかりの両親と妹たち、何よりも10年前後の歳月をかけて自分を捜してくれたカーズを悲しませたくなかった。


「あの世界のことを考えているのか?」


 その日も黒いマント姿でやって来たカーズが不機嫌な顔を作った。


 2人は水晶宮の広い庭を散歩していた。


「そんなことないけど……」


「噓をつくな。ここに嘘だと書いてある。俺様は騙せないぞ」


 彼が世那の額にそっと触れる。ジンと熱いものを感じた。それはおそらく彼の嫉妬だ。


 ▽〇●▽……白水晶の精よ、私を透明にして!……念じると、世那の姿は消えた。


「魔法、上手くなったでしょ」


「あぁ、たった三日でここまでになるとは、さすが、魔王の血をひく娘だ」


「そんなことありません。魔法を使うと疲れますから」


「誰でも疲れるものだ。問題はそれ以前のところにある。どれだけ頑張っても、姿を隠せない者がいる。才能と努力は別のものだ。一つの結果にも様々な原因があるように」


 そう言いながら、彼の手は透明な世那の腕を的確に握っていた。


「……見えているの?」


「いや、魔力があふれているからわかるのだ」


「気配みたいなもの?」


「そういうことだ。見えなければ聞く、体温を感じる、……様々なとらえ方がある。何事も工夫が大切だ。……で、パーティーの件だが」


 彼は婚約披露パーティーのことを言っていた。世那はまだ、彼との結婚に応じていなかった。彼のことは信頼しているし、感謝もしているけれど、結婚を決意するところに気持ちが至っていない。


 何よりも、世那は感じていた。透明になっても刺すように見てくるアリスの気配を。彼女も姿を隠して世那とカーズのデートを監視しているのだ。


「申し訳ありません。カーズさんには、私のために多くの時を使っていただきながら。……色々考えることがあって、……亡くなった安国は、どうして私を誘拐したのか? 貧しい暮らしをしてまで、そんなことを考えてばかりいるのです」


「前にも言ったが、ヒイロ氏が誘拐事件を起こした動機はわからない。無駄なことを考えるのは止めたらどうだ」


「もうひとつ、答えを出す前に教えてください。……カーズさんはアリスのことをどう思っているのですか?」


 声を潜めて訊いた。


「聡明な女性だと思うぞ」


「それだけ?」


「それ以外に、何があるというのかな?」


 彼は女心にはうといと思った。やはり〝俺様男子〟なのだ。それはとりもなおさず、自分に対する愛情とアリスに対するそれの差もないということのだろうという確信に繫がった。


 その時、植え込みの陰で人が動く気配がした。アリスのものとは別の気配だ。


「誰だ?」


 カーズが声を上げると木陰から小柄な男性が現れた。驚いたことに、顔がフクロウだった。真丸の目がならぶ顔に愛嬌がある。手には掃除用の箒を持っていた。


「驚かせて申し訳ありません。庭師のウイグと申します」


 彼は黄色と黒の瞳をクルクル回して頭を下げた。


「あぁ、聞いているよ。最近雇われたのだな」


 カーズが屋敷のあるじのように応じた。


「ネズミがこちらに逃げてきたと思うのですが、見かけませんでしたか?」


「見なかったな」


「私も」


 世那が姿を現して応じると、ウイグは木立の中に戻った。


「彼は魔人と獣人のミックスだよ」


 カーズが言った。


「そういえば、彼も獣人の血を引いているとか言っていましたね」


「彼?」


 カーズが首を傾げた。


「人間の犬養レンです」


「あぁ、お前に惚れていた若者か……」


 彼は不味いものを口にした時のように唇を曲げた。

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