第13話

「では、失礼いたします」


 ――タン、……小さな音がして空間が閉じた。メイドは去り、スバルは残った。


「こうしてお姉さまに会えるなんて、夢のようです」


 スバルはそう言いながらクローゼットのドアを開けた。ホテルのクローゼットは奥行きのない小さなものだったが、スバルが開けたそこは小さな部屋だった。いわゆるウオークインクローゼットというものだ。しかも大き目の。様々な衣装やアクセサリーが並んでいた。白いローブも数着並んでいる。


「さあこれを……」


 スバルが白いローブのひとつを取った。


「……あぁ、そうだ。着替えるなら、先にシャワーを使った方がいいですね。私がお手伝いします」


「シャワーはひとりで……」


 断ろうとしたが遅かった。スバルはローブを持ったまま小鹿のように跳ねて寝室へ、そしてそこにあるバスルームに、さっさと向かっていた。


 脱衣所もラブホテルの洗面所と似ていた。あそこよりも少し広い。……そこで彼女は、あっという間に全裸になった。肩ひもと腰ひもをひくだけでローブは足元に落ちたのだ。まるで魔法を見ているようだった。


 妹の裸体は美しかった。むだな贅肉がなく肌はつやつやと、自ら輝いているようにさえ見えた。


 私が男だったら、むしゃぶりついただろう。……彼女を抱きしめて愛撫するイメージが脳内を埋める。同時に、私だって7年前は……、と学生の頃と比較した。あの頃の自分はどうだったのだろう?……思い出せない。ただ煮えるような嫉妬が残った。


「お姉さま、早くぅ」


 甘えるような声で我に返った。彼女は蛇口をひねり、小舟の形をしたバスタブに湯を入れた。


「アッ、うん」


 慌てて裸になり、バスルームに片足を入れて固まった。


 天井が気になっていた。それはアコヤ貝を敷き詰めたように七色に輝いている。


 天井を突き破り、鉄骨が落ちてくる。……短いイメージが浮かんで足がすくんだ。


「お姉さま、どうしたの?……」スバルが世那の視線を追う。「……何かついているかしら?」


「……ううん、何でもない」


 あのホテルでの事故を語るとレンのことに触れざるを得ない。それが嫌で誤魔化した。


 その日初めて会った妹と一緒に風呂に入る。とても恥ずかしいと感じたが、妹の方はそうではないようだった。彼女はニコニコと笑みを絶やさず、お湯の出し方やソープ、コンディショナーなどについて説明してくれた。


 彼女の説明を聞いているうちに気づいたことがあった。あのホテルと違ってここには窓があり、工事現場の音がないことだった。


「窓を開けて見ても?」


 隣に工事現場がないことを確認したかった。


「ええ、どうぞ」


 彼女はシャワーの湯に身をゆだねていた。


 窓辺に近づいて気づいた。窓を開けるためのノブがない。


「私が開けましょう」


 セナの困惑に気づいたスバルが振り向いた。真珠のような水滴が彼女の乳房を駆け下りている。


「……△▽……▲▼……」


 シャワーがスバルの肌を打つ音に混じって呪文が聞こえた。


 ――△▽▲▼――世那は漠とそれを記憶した。


 外開きの窓が音もなく左右に開く。


「魔法で開けるのね……」ここで暮らすのは難しいと思った。レンの治療には成功したけれど、他に魔法を知らない。今みたいに誰かが魔法を使うのを見て覚えるまで何もできない。それも、覚えたものが使えるようになるまでには時間が要るだろう。


 窓の外に工事現場はなかった。空は相変わらず淡いオレンジ色で真白な月が浮いている。眼下には青い森が広がっていた。その先にあるのは教会の尖塔のような建築物や住宅の屋根で、ビルはなかった。


 屋根の上を何かが飛ぶ。鳥ではなかった。人間のようだ。


「スバルさんも魔法で飛んだりできるの?」


「え……」彼女が目を丸くした。「……もちろんです。お姉さまはできないの?」


 彼女が無邪気な笑顔で訊いた。


「病気を治す方法はカーズさんに教えてもらったけど。……どうやって覚えたらいいのかしら? 学校とかあるの?」


「ありませんわ。魔術書のようなものもあるけど、あまり役に立ちません。言葉と同じで、私たちは赤ちゃんの頃から、両親から口伝えに学ぶのです」


「赤ちゃんかぁ……」ここでは赤ん坊なんだ。気持ちが萎える。「……△▽▲▼……」


 窓に向かって覚えたての呪文をゴニョゴニョと唱えてみた。音もなく窓が閉まる。


「アッ……」


「エッ……」


「閉まりましたね」


「できたみたい」


「窓が閉められるなら飛ぶこともできます」


「そうなの?」


「動かすのを、自分の身体に変えるだけですから」


「なるほどねぇ」


「……△▽▲▼……」


自分の身体に意識を向けて唱えた。ふわりと、少しだけ身体が浮く。


何とかなるかもしれない。……気持ちが前を向いた。

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